第533話 氷野さんと予備校共同戦線
さて、始まってしまったウキウキ浪人生活。
心はどんよりしているが、多少無理してでも明るく考えなければダメだ。
俺は教室に入ると、見知った顔に挨拶しながら、いつもの席へ。
そこには、仏頂面を貼り付けた不景気のお手本みたいな人がいた。
「おはよう! 氷野さん!」
「……おはよ。なんで朝からそんなに元気なのよ」
「いや、無理やり元気出してかないと、気持ちまで沈んだらまずいなって!!」
「……そうね。それは大変結構な考えだと思うわ」
「氷野さん、朝ごはん食べた? 俺ぁコンビニに寄って、摘まめるものとか買って来たんだけど! ねえ、氷野さん! 朝ごはん食べた? ねぇ、氷野さん、ねぇ!!」
「あー!! もう、うるさいわね!! 食べたわよ! 心菜に気遣われながら! あの子、5月になっても私に気を遣ってくれて、学校の話とか控えてくれてるのよ!?」
「ああ、俺も心菜ちゃんに気遣われたい」
「そうだった。あんたはそういうヤツだったわ」
2週間前に習熟度の診断テストを受けた俺たちは、昨日から、各科目5段階のレベルに振り分けられた。
そして、何という偶然だろうか。
全てのクラスが氷野さんと一緒だという奇跡。
「しかし、良かったよね。氷野さんに付き合う! とか言ってたのに、まさかテストでクラス分けするとは。いやー、予備校に関する知識がなさ過ぎだな、俺たちって」
「うっ……。や、ヤメなさいよ! 私がバカだったみたいじゃない!!」
俺たちは、どの科目も5段階の一番上のクラス。
不思議なもので、予備校の試験だからと思ったらリラックスできて、むしろ実力以上の結果が残せてしまったのだ。
だけど、喜びはまったくない。
これ、本番でやれてたらなぁ……。という、切ない感情がリフレインした。
とは言え、話は戻るが、元気を出していかなくては。
もう5月も中旬になろうかと言うのに、未だにいじけていては人生の損失。
浪人生活を楽しめるくらいの余裕を持ちたい。
「おはようございます。それでは、現代文の授業を始めます」
講師の先生がご入来。
よし、ここはひとつ、強くてニューゲームといこうじゃないか。
「んんー。やっぱり、予備校って言うだけあって、ずっと勉強オンリーなのは肩がこるわね。公平、お昼食べに行きましょ」
「そうしよう! どうする? ラウンジ行く?」
予備校によって様式が違うと思うが、花祭ゼミナールは各階に自習室と、食事もオッケーなラウンジがそれぞれ設けられている。しかも結構広い。
さすがチョビ髭の予備校。お金がかかっている。
また、駅前にあるという立地のため、ちょっと敷地から出たらば食事をする場所には困らない。
半数くらいの学生は外にご飯を食べに行くようである。
ちなみに、隣にコンビニまで建っているという、無敵の配置。
もしかして、このコンビニも学園長のものではないかと
「そうね。私、ちょっとコンビニで買って来るから、先にラウンジ行っててくれる? 今朝はちょっと遅くなったせいで買えなかったのよ。……あ」
氷野さんにアクシデント発生。
そんな時でも助け合えるのが友達。
いやはや、同じ浪人生に友達がいるのって、本当に心強いものだね。
「はい! おにぎり、好きな具を選んで良いよ!」
「ふ、不覚だったわ……。お財布忘れてくるなんて……」
「まあそういう日もあるよ! 梅おかかと鶏めしは俺が食べたいな! そうなると昆布になるけど、良いかな!? あとは菓子パンもあるからね!」
「全然選ばせてくれてないじゃない。いや、いいけど。ご馳走になるんだし。飲み物まで買わせちゃったし。ああ、私、たるんでるわね」
「入学手続きも忘れるしね!!」
「それ、今言う必要ないでしょ!? ぶっ飛ばすわよ!!」
氷野さんと仲良くご飯を食べていると、「ヒュー。ヒュー」とどこかで聞いたような音が聞こえて来た。
あんな音出すヤツ、高橋以外にもいるんだなぁ。
「ヒュー! 公平ちゃんと氷野っちじゃんかよぉー! ヒュー!! 2人でシクヨロしちゃって、お邪魔だったかい? ヒュー!」
何を隠そう、高橋本人だった。
なに、お前も大学落ちたの?
「あんた、確か就職するって言ってなかったっけ?」
「おう。そうだ。堀さんと早く結婚したいからって、ガソリンスタンドに就職したじゃん! なんで予備校にいるんだよ!?」
「ヒュー! 実は、ベンツに軽油を給油しちまってよぉー! ヒュー!!」
「ディーゼル車だったってオチじゃなくて?」
「ヒュー! 公平ちゃん、世の中キャンディーみたいに甘くはないんだぜぇー! バリバリのガソリン車に軽油ぶち込んでやったぜぇー! ヒュー!!」
「何してのよ、バカね……」
「そしたら、ドライバーのおっちゃんが商談に遅れたとかで、怒鳴り込んで来たんだぜぇー! そして、気付いたらクビになってたぜぇー! ヒュー!!」
「本当に何してんだ、お前は」
「私、こいつの事を強く
そして高橋は急遽大学を目指すことにしたらしく、今週から花祭ゼミナールに通い始めたのだとか。
しかし、5階にいるって事は、こいつも最上位クラスなのか?
うちの予備校は、クラスのランクが上がるごとにフロアも1つずつ上がっていくという、実に分かりやすいシステムが採用されている。
俺と氷野さんはAクラスだから、5階。
「なあ、高橋?」
「おっと、言ってくれるな、公平ちゃん! こんな格言を知ってるかい? 男と煙は高いところへ行けってな! ヒュー! ここでも高みを目指すぜぇー!!」
「なんでだろう。俺、お前のこと見てたら元気が出て来た!」
「しっかりしなさいよ! 良くない症状よ、それ!!」
そして昼休みが終わり、高橋はエレベーターで1階まで降りて行った。
明日からも昼飯だけ食いにこの階までやって来るらしい。
本当に、高いところが好きなんだなぁ。
それから時間が経つにつれ、氷野さんもようやく心を持ち直したようで、俺と彼女はお互いに苦手科目を教え合い、2週間に一度のテストをこなしていった。
7月になると、俺と氷野さんで予備校の1位と2位を独占するようになっており、俺たちのモチベーションもそれなりに高い水準を維持していた。
「おはよ。暑いわねぇ。今年の梅雨、全然雨降らなかったからかしら」
「おはよう、氷野さん! 今日は白いスカートが良く似合ってるよ! 緑のブラウスとの色合いがステキ! 夏っぽくていいね!!」
俺なんか、シャツにジーパンか、Tシャツに短パンの2パターンしかないのに。
女の子は毎日私服だと大変だなぁ。
「あんたさぁ。そうやって毎日私の服装を褒めなくてもいいのよ?」
「いや、だってせっかくオシャレしてんだから。誰にも触れられなかったらもったいないじゃん! 実際似合ってるし。あれ、もしかして不快だった?」
「べ、別に! ……悪い気はしないわよ。……ありがと」
「あれ!? 氷野さん、照れてる!? ねぇ、照れてる!? なんだ、氷野さん、可愛いなぁ! いやぁ、そのぶっきらぼうな言い方がまたいいね! もう一回言って、もう一回!!」
「う、うっさい!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!! ツンデレありがとうございます!!」
こんな感じで、俺たちは順調に予備校ライフを過ごしていった。
夏には夏期講習とか言う、盆休みもなければ慈悲もないイベントがあり、現役組はまだしも、浪人組の気力をごっそり奪って行ったが、それもどうにか耐えた。
季節は秋に変わり、志望校の確認と言う名の、講師との面談が控えている。
とは言え、俺も氷野さんもハッキリと志望校は定まっているので、これも何の事はなく、特に言及する必要もないイベントで終わる。
はずだったのだが、いささか予想外の出来事が俺を待っていた。
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