第530話 花梨とウェディングドレス

 冴木ブライダルにて、本日俺は、結婚式場のパンフレットのモデルとして、新郎役を仰せつかったのだが。

 いささか問題がある。

 軽視できない問題だ。


「鬼瓦きゅん! 俺ぁやっぱり帰るよ!!」

「何を言っているのですか! 今帰ったら事件ですよ!!」

「そうだよ! こんなに大事だと思ってなかったんだよ!! 俺、ジーパンにパーカーで会場に来た瞬間、死にたくなったもん!!」


 こちら、新郎の控室。

 何がヤバいかって、ヘイ、ゴッド。

 モデルって言っても、せいぜい写真5、6枚撮ったら終わりだと思うじゃん?



 テレビカメラまでいるんだけど!?



「失礼いたします。桐島くん、そろそろ用意の方が整われたかと現場監督の方から言付かって参りましたが、いかがですか?」


 現場監督がいるのは良いんだ。


「用意がよろしければ、まずはお2人のツーショット写真から撮影したいと、写真監督の方が申しておられました」


 写真監督ってなんだ。


「それから、スタイリスト監督からも伝言を頼まれました。メイクはほどほどにしてくださいとのことでございます」


 スタイリスト監督ってなに!?

 スタイリッシュな監督のことかな!?


「そして総監督から、まあ気楽にやってくださいよ、とお言葉を預かっております」


 何人監督いるの!?

 昔のRPGで出て来る色違いの敵キャラか何か!?


「桐島先輩。死相が出ております。失敬。ファンデーションで補修します」

「鬼瓦くん。俺と交代してくれない? 勅使河原さんと君でやんなさいよ」

「桐島先輩。さすがにその発言は冴木さんに言わない方が良いと思います」


 そうだね。

 確かに君の言う通り。


 花梨は俺を驚かせようとして、サプライズを仕込んでくれたんだ。



 そのサプライズが俺の死因になる可能性があるけどね。



 分かっている、分かっているんだ。

 俺ぁ、冴木グループに入って、のし上がっていかなければならない宿命を背負う男。

 ならば、これくらいの大騒ぎ、涼しい顔でこなさなければ。


 でもね、もう少しだけ、段階を踏みたかったなぁ。



 撮影スタッフ、100人くらいいたよね!?



「おやおや。桐島くん、お顔が固くなっておりますよ。せっかくの衣装がそれでは台無しです。笑って下さいませ」

「土井先輩……。俺ぁ、先輩みたいにスーツを着こなせません。ものすごくよく似合ってますよ。それに比べて、俺ときたら」


「わたくしのスーツは天海が仕立ててくれたものです。やはり、恋人の見立ては正しいという事ですよ。ほら、桐島くんも自信をお持ちになられてください」


 土井先輩の励ましが、いつもより遠くに聞こえるのは何故だろう。

 なんだか、俺は本当に花梨に相応しい男なのか、ここに来て自信がなくなって来た。


 ドアがノックされ、鬼瓦くんが「ゔぁい!」と返事をする。

 なだれ込んでくる女子チーム。


「にははーっ。コウちゃんのオールバック、変なのー! でもタキシードはカッコいい! そっかぁ、コウちゃんもお婿むこに行くんだねぇー」


「さすがは冴木花梨のデザインね。公平の貧相な体が全然貧相に見えないわ! むしろ、なんかシュッとしてる! 公平のくせに! すごいじゃない!!」


「はっはっは! 2人とも、その辺にしてやらないか! 桐島くんが合格発表を見に来た受験生のように悲壮な顔立ちをしているぞ! 新郎を困らせるものじゃない!」


 女子チームがやって来たという事は、つまり時が来たという事であり、俺も覚悟を決めるしかないという事でもあった。

 よし、分かった。


 清水の舞台から飛び降りようじゃないか。


 転落死したら、俺のお墓の前には毎年、伊勢海老をお供えしてください。



 控室を出て、仲間たちを従えて歩くのは俺。

 ただでさえ緊張で死にそうなのに、現場に入ると会場がざわつく。


「新郎役の桐島様、入られましたー! よろしくおなしゃーす!!」

「「よろしくおなしゃーす!!!」」


 ドラマ撮影かな?


「どうも、桐島様。わたくし、本日総監督を務めさせていただきます、有原です」

「ヤメてください! 俺に敬語なんか使わないで下さいよ!!」


 絶対に相当偉い人が、なんだかものすごく下手に出てこられる。


「いえ、そういう訳には! なにせ、総帥のお嬢様のフィアンセ! 失礼があっては、わたくしの首なんか簡単に飛んでしまいます!!」

「困るんですよ。そんな風に扱われると。俺、今年冴木グループの採用試験受けるんですよ?」


 花梨パパは、俺に一切の忖度をしないとかつて言った。

 だけど、娘に一切の忖度をしないとは言っていない。

 全砲門フルオープンで忖度している。


 まあ、こんな感じで色々と嘆いてきた訳だが、彼女の姿を一目見るだけで、緊張が羽を生やして飛んでいき、俺の注意は彼女に釘付けになるのだから、桐島公平と言う男の底の浅さがうかがい知れる。


「お嬢様の準備、整いやしたぁー!」

「「お疲れ様です! お嬢様!!」」


 陳腐な表現しかできない自分の語彙ごいの少なさには辟易へきえきした。



 花梨は、まるで童話の中から飛び出してきたお姫様ように、美しかった。



「……あの、コウくん? どう、ですか? 似合います?」

「おう。そりゃあ、もう。すっげぇ似合ってる」


「えへへ。良かったです。胸元とか、スカートとか、下品にならない程度にセクシーを目指してみたんですけど」


 まさか、俺の最上級の誉め言葉であるセクシーを先に言われてしまうとは。

 花梨は本当に、色々飛び越えて実にセクシー。


「お母さんもこれなら太鼓判を押してくれるだろ」

「実は、もうデザインの時点で確認してもらってます! いいドレスねって褒めてくれましたよ!」


「そうだったか。いや、俺のタキシードも、俺なんかにゃもったいないくらい……。ああ、いや、すまん。こういう言い方、花梨は嫌いだったよな?」

「あはは。コウくんはずっと、出会った時からコウくんのままですね!」


 俺たちの会話が途切れたタイミングで、総監督の有原さんが声をあげる。

 どうやら、撮影が始まるらしい。


 それから、俺と花梨は指示通りにモデルをこなした。

 ゆっくり2人で寄り添って歩けと言われればそうしたし、こっちに向かって微笑めと言われたら、表情筋に無理させて笑った。


 ギャラリーは気楽なものだ。

 毬萌と氷野さんはキャーキャーうるさいし、天海先輩は土井先輩と「私たちの式場もここにするか!」とか言ってるし、鬼瓦くんはいてるし。



 そして、いよいよクライマックスが訪れる。


「それじゃあ、最後に誓いのキスのシーンを撮らせて頂きます。もちろん、している振りで構いませんので。よろしくお願いします」


「うっす」

「分かりましたぁ」


 指輪の交換もしていなければ、神に愛も宣誓していない。

 ならば、キスだって作り物で済ませるべきだろう。

 本番に取っておくべきとも言える。


 だけど、俺だって時には理性がどこかへ行方不明になる事もある訳で。


「どうします? 本当にキスしちゃいますかぁ?」

「そうだな。おう」


 悪だくみを思い付いた子供のように笑う花梨を見て、俺は。

 心から愛おしいと思った。



「そんじゃあ、誓いの前払いを貰っとくか。いいな? 花梨」

「へぁっ!? えっ、あの、コウくん!? みんな見てますけど!? ちょっ……んっ」



 ギャラリーが「わぁぁぁぁ!!」と興奮する。

 総監督が「これは良い画が撮れた!」と満足そうにスタッフへ指示を飛ばす。


「これで、もう逃げられんな。俺も。おう? どうした? 花梨?」

「ど、どうしたじゃないですよぉ! なんでコウくんはいつも、いつもぉ!!」


 何やら、ご機嫌斜めの花梨さん。

 キスが下手くそとか言うクレームはヤメて欲しい。


 俺が傷つくし、誰だって慣れるまでは下手くそなんだぜ?


「悪かったって。何でも言う事聞くから、機嫌直してくれ。なっ?」

「もぉー! ……じゃあ、今日の夜、あたしに付き合ってもらいますからね!!」

「おう! 何か知らんが、どこにだって付き合うぜ! 今夜だろうと、来年だろうと、5年後も10年後も。任せとけ!」



 こうして、無事にブライダルモデルをやり遂げた俺と花梨。

 本当の結婚式は、今日よりもっとずっといいものにしたいと思うのは、欲張りだろうか。

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