第528話 花梨と乗り越えた試練の先に

「とにかく、花梨の一番自信のあるヤツを描いてみたらどうだろう? ほら、いつか心菜ちゃんに着せてあげたヤツとかどうだ? ありゃ可愛かったぞ」


 花梨の部屋にて作戦会議。

 ミッションは『ママ上の納得する至高のデザインを1日で仕上げる』事。


 花梨ママは世界的に有名なデザイナー。

 そのゴッドマザーを納得させるとか、むちゃくちゃハードルが高くて俺なんかには飛び越え方も分からない。


 しかし、俺のド素人な考えでも何かの助けになれたらと、必死に知恵を振り絞る。


「んー。あれも自信作ではあるんですけど、一番かと言われると……」

「そうかぁ。それなら、学校のコンテストで一等賞取ったってヤツは!? 言ってたじゃんか、先生にも褒められたって!」


「……うん。そうですね! まずは描いてみなくちゃ! 公平先輩の言う通り、この間の学内コンクールでトップを取れたものを、更にブラッシュアップしてみます!!」

「おう! 頑張れ!! 俺に出来る事があれば、何でも言ってくれよ!!」


「はい! ……コウくんが傍にいてくれるだけで、心が落ち着きます。ありがとうございます!」

「俺ぁ傍にいる事しかできないのが歯痒いが、こればっかりは仕方ねぇもんな。頑張れ! あ、うるさいと集中できない? 黙って応援してようか!?」


「あはは! 平気ですから、お喋りしててください! 先輩の声がBGMになるので!」


 花梨がそう言うならばと、俺はひたすら彼女のモチベーションアップのために愚にもつかない世間話を披露した。

 そして3時間が経ち、デザインのラフが完成する。


「おお! なんかむちゃくちゃオシャレだな! 俺にゃあもう、どう形容して良いのかも分からんが! これならきっとお母さんの評価もバッチリだろ!!」

「……はい。うん! 持っている引き出しは全部出しましたし、行ってみましょう!」


 まだ制限時間は20時間も残している。

 こんなに早く仕上げるスキルを見てもらえれば、ママ上だって納得してくれるはずだ。



「ふむふむ。なるほどねー。今の流行をよく捉えているし、売れ線にもバッチリ乗ってる。花梨、しっかり勉強してるのね。ママ、ビックリ!」


 ママ上の感触も悪くない。

 これは、難関に思えたのは杞憂きゆうだったかと思った瞬間だった。

 ママ上のジャッジが下る。


「でもね、これじゃダメ。この程度のデザインなら、誰でもできるわ。残念だけど、このレベルなら、私のところで勉強した方が良いと思うの。花梨、一緒にイタリアに行きましょうか? ファッションの本場で、しっかりと鍛えてあげるわ!」


「えっ!? そういうお話になるんですか!?」


 口に出しておいてアレだが、考えてみれば当然の理屈。

 花梨ママはプロの中でもピラミッドの頂点に君臨しているトップオブトップ。

 花梨が今後も頂きを目指すのであれば、一番の近道は自然とそうなる。


 自分の力で道を切り開きたいと言うのは、どう頑張っても感情論。

 ここでママ上を納得させる事ができないのであれば、感情論は暴論になり果てる。


「ま、待って! もう一回、考えてくるから!! まだ時間あるし!!」

「花梨……」


「もちろん、良いわよ! そのための制限時間なんだから! 2人でしっかり悩みなさい! 2人でじっくり考えなさい!! しばらく会えなくなるかもしれないんだから!!」


 ママ上の言葉が俺と花梨に重くのしかかる。

 まさか、こんなに急なお別れをさせられるとは思いもしなかった。


 ならば俺もイタリアにくっ付いて行けば良いかと言えば、話はそんなに単純ではない。

 パパ上との約束だってある。


 俺は大学を卒業したら、その足で冴木グループの新入社員として、冴木家に恥ずかしくない結果を示さなければならぬ。

 俺の武者修行の方が元のスペックを考慮すればどう甘く見積もってもキツい。


 花梨と離れ離れになるのか?


 そんな、冗談じゃない。

 しかし、俺には何もできない。

 今は、その無力さが憎い。



 花梨の部屋に戻ってからも、重苦しい空気は続いた。

 彼女は1時間悩んで筆を執り、「これじゃダメです」とスケッチブックのページをちぎる。


 2時間が経ち、4時間が経ち、すっかり夜が深くなって来ても、一向に光は見えない。

 磯部さんが差し入れてくれた食事にもほとんど手を付けず、頑張る花梨をただ見守るだけの俺。


 少しだけ、諦め始めていた。


 イタリアに行って、花梨ママのレッスンを受ける方が、彼女のためなのではないか。

 俺と言う存在が足かせになっているのならば、それは本末転倒じゃないのか。


「なあ、花梨」

「はい? なんですか? あ、眠くなっちゃいました?」


「いや。なんつーか、花梨のために色々考えたんだけどな。もしアレなら」

「ヤメて下さい!!」


 花梨の声に怒りの色が混じる。

 もう、かれこれ5年近い付き合いだが、こんなにハッキリと意思表示されたのは初めてだった。


「ごめんなさい、大きな声出して。でも、公平先輩が、コウくんが考えてる事、間違ってます! あたしの邪魔になるくらいなら、とか思ってますよね? 違うんです! あたし、デザイナーになりたいと思ったのだって、こんなに誰かを好きになれたのだって、全部コウくんのおかげだと思ってるんですよ!?」


 しばし言葉を失う俺だったが、自分にとって何が大切なのか。

 その点に関して思い違いをしていた事に気付く。


 俺がどうしたいかではなく、花梨がどうしたいのか。


 彼女の希望を叶えるために俺がいるのではなかったか。

 ならば、今の情けない自分は何事か。

 花梨を支えるのが俺の責務ではないのか。


 人を好きになるとは、そういう事ではなかったか。


「花梨。ちょっと気分転換にさ、俺の服、描いてくれよ。そうだなぁ、スーツが良い。お父さんの会社に入って、バリバリ働く俺に似合う一張羅いっちょうらをさ。ダメか?」


「そんなの……。ダメな訳ないじゃないですかぁ! ……そっか! あたしの作った服を一番に着てもらいたい人の事を忘れてました! あはは、ダメですね。コウくん! あたしの隣に来てください! 本気出しちゃいますから!!」


 ほんの思い付きのつもりで言った俺のセリフが、花梨に火をつけたらしかった。

 彼女は、凄まじい集中力でスケッチブックに筆を走らせる。


 俺は、その姿をただ隣で見つめていた。

 それが多分、俺に出来る行動の最適解だと思ったから。



「ママ! ちょっと、起きてよ、ママ! 描けたから! 今のあたしに出来る、最高のデザイン!! これでダメなら、ママの言うとおりにする!!」


 花梨は出来たてのラフを持って、ソファで寝ているママ上を叩き起こした。

 時差ぼけもあるでしょうに、お気の毒な事です。


 しかし、花梨を焚きつけたのですから、責任は取って頂かなければ。


「……ほほう。公平くんのスーツをデザインしたんだ? ふーん。なるほど。襟元がポイントかな。でも、全体的に地味で、流行ともミスマッチだし。何よりこれじゃあ、公平くんにしか似合わないからなぁ。デザイナーとしては論外だね」


 厳しい言葉を告げる割には、なんだか嬉しそうな花梨ママ。

 そして、こう付け加えた。


「だけど、このデザインは素晴らしいね!! 私がデザイナーとして常に大事にしているモットーは、誰に着せたいかを考えるって事! それがすっごく伝わって来る! 花梨、本当に頑張ったんだね! ママも、これなら安心だ!」


「えっ!? それじゃあ!?」

「す、すみません。俺ぁ緊張と眠気で、思考力が低下してて、何がどうなったのか」


「花梨! この調子でしっかりお勉強するんだよ! これは、ママもうかうかしてられないなぁ! 実の娘が最大のライバルになりそう! 公平くん、花梨を好きになってくれてありがとう!! これからも、うちの娘をよろしく!!」


 そこまで聞いて、ようやく理解する。



 俺は花梨とずっと一緒にいられるらしいと言う事を。



 それだけ分かれば、今は充分。

 俺は失礼を承知で、緊張の糸がバッサリ切れた体を花梨のベッドに投げ出した。


 隣には、先に寝息を立てている俺の恋人。



 こうして、嵐のような試練は去り、窓からは陽光が射しこんでいた。

 その柔らかい光を浴びて、俺と花梨は幸せな夢を見るのであった。

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