第523話 花梨と猛特訓
ついに幕を開けた、花梨の絵画修行。
鉛筆の削りカスで鉛筆の削りカスを洗う、壮絶な日々の始まりだった。
その戦いは、すっかり秋も暮れて、冬の便りが届く時分になっても続いていた。
「冴木さん、何か疲れてないっすか? あー、彼氏先輩とシクヨロしてんだ!!」
「あはは、そうなんですよー。昨日も夜遅くまで寝かせてくれなくてー」
「マジかー。やっぱりハイスぺ同士のカップルはやる事も進んでますなぁ! 自分、男の影すら見えてこないのにー」
「男の人よりは女の人の方がやりやすいんですよ? まずは見て、それから見て、ずーっと見てから、やっと始めるんです!」
「冴木さん、何の話!? え、ちょっ、彼氏先輩、もしかしてアブノーマル!?」
「おう。花梨も頑張ってるからな。俺も出来る事は協力してるんだ。毎晩裸になって大変だよ!」
「あー、はいはい。自分にはちょっち早いっすわ。お2人のステージは」
学食で中田さんをドン引きさせるくらい、花梨は毎日頑張っていた。
花梨が「夢を叶えるまではあまり人には……」と言うものだから、俺のお口もしっかりチャック。
美空ちゃん、いやさ美空師匠の教えはシンプルだった。
「まずはボールを描きましょ! あとはお豆腐! とにかくボールと豆腐を描き続けるんです!」と彼女は言った。
デッサンの基本は球体と立方体だとは、これまたお師匠のお言葉。
ひたすらボールを紙に描きながら、大学の課題もこなす花梨。
当然、出来る範囲でのサポートは俺が行う。
去年受けた講義のノートを、要点抜き出して事前に渡しておくことで、理解の進捗を早める手助けをする。
別の日は、気分転換に美術館へと出掛ける。
美術館なんて気分転換どころか逆にストレスかかるわ! とお思いかもしれないが、これも美空師匠の教え。
常に見るものを絵として
花梨は元々頑張り屋であるからして、美空ちゃんの気の置けない指導も見立て通り合っていたらしく、先月頃、ついにボールと豆腐のデッサン地獄をクリアした。
「よう描けてますわ! それやったら、次は人物デッサンに取り掛かりましょ!」と美空ちゃんは言った。
「えっ、早くない!?」とこっそり質問すると「公平兄さんはたった半年でオールラウンダーな絵描きが生まれると思うんですか?」と、実に真っ直ぐな正論を突きつけられて、俺は黙った。
美空ちゃんは、中学生の頃からしっかりしていたが、高校二年生になった今では超しっかりしており、真剣な花梨を相手に手心は加えないスタイル。
要するに、受験しようとしている専門学校の試験は十中八九、人物デッサンが出題されるので、そこに絞ろうという作戦。
あと、デザインに必要なスキルは人物デッサンで、それが描けたら他はぶっちゃけて言えばどうでも良いらしい。極論だよ? 極論。
確かに、美味しそうなリンゴの絵が描けても試験に落ちては意味がない。
そして始まった、人物デッサン。
美空ちゃんいわく、「まずは服を着てない状態から描いた方がええです! 骨格とか筋肉の質感を大事に描いてください!!」との事で、ここからは俺の試練でもあった。
「じゃあ、公平先輩! 今日も頑張りましょう!!」
「おう! 任せとけ!!」
こちら、冴木邸の花梨のお部屋。
パンツ1枚しか履いていない俺。
もう、事情を知らない人が見たら、アレがナニする事案である。
「どうだ? そろそろ慣れて来たか? 素人目から見ると、かなり上達してきたんじゃないかと思うんだが」
半裸でマジメな顔をする俺。なんと滑稽なのでしょう。
「んー。確かに、公平先輩の体は描き慣れて来たかもです。でも、あの、気を悪くしないで下さいね? あたし、先輩の体、大好きですよ!?」
言わんとしている事はすぐに分かった。
足りないのである。俺の体は、比較的どころか、極めて描きやすいらしい。
筋肉がないからね!!
毎回ポーズは変えているものの、これではデッサン人形を描いているのと同じではないのかと、俺も思っていた。
そして、今日は美空ちゃんが指導に来てくれる日。
思い切って聞いてみた。
「そらそうですよ! 公平兄さん、体に
「……おう。美空ちゃん、言うようになったなぁ」
顔は可愛いままなのに、言葉に切れ味が加わったよね。
関西っ娘ってそうなのかな?
半裸で女子高生に
「じゃあ、どうしましょうか? 他にモデルになってくれる人と言えば……」
「女の人の裸も描いときたいですわー。男の人やったら、お父さんはどないですか? 筋肉ついてそうですし、適役やと思うんですけど」
「無理です! 生理的に受け付けません!!」
部屋の入口付近で、ガタンと音がして「……あああ」と嘆きも聞こえた。
パパ上、おいたわしや。
「分かった。俺に任せてくれ」
俺は一本の電話をかけた。
要件は言わなかった。多分、言ったら来てくれないから。
許してくれ。俺の婚約者のためなんだ。
数十分後、冴木邸の呼び鈴が鳴る。
使用人の方に「俺が応対しますよ」と言って、彼を招き入れる。
もう逃げられないよ?
そして花梨の部屋へ世間話をしながらお連れして、部屋の鍵を閉めたら準備完了!
ようこそ、筋肉の化身様!!
「ゔぁあぁっ!? なんですか!? えっ、僕、何されるんですか!?」
「大丈夫だ、鬼瓦くん。君はその辺で適当に座っててくれりゃあ良いんだ」
「ただし、服を脱いでくれ」
「桐島先輩!? 久しぶりにお会いできるのを楽しみにしていたのに!!」
そんな瞳で見つめないでおくれ。
まるで、俺が悪人みたいじゃないか。
俺の周りで筋肉って言ったら、君しかしなかったんだから、仕方ないよね。
「なるほど! 考えましたね、公平兄さん! 鬼神の兄貴やったら、筋肉の質感捉えるのに持って来いですわ! ウチも勉強させてもらいますー」
「な、何を言ってるんですか!?」
「まあまあ、鬼瓦くん。あたしとあなたは生徒会長と副会長で1年一緒に頑張った仲じゃないですか! だから、服脱いでください!」
「どうしちゃったんですか、皆さん!?」
「まあまあ、鬼瓦くん。ちょっと脱ぐだけだから」
「ほんまに、ちょっとパンイチになるだけですって」
「四の五の言わずに脱いで下さい! じゃないと帰しませんよ!?」
「ゔぁあぁぁぁあぁぁあぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
冴木邸に鬼の
それからさらに数十分。
事情を理解した鬼瓦くんが半裸で、半裸の俺と世間話。
「絵のモデルならそう言って下さいよ。酷いじゃないですか……」
「だって、鬼瓦くんシャイなところあるからさ。断られちゃうかなって」
「断りませんよ。僕は桐島先輩の頼み事なら大概の事はやってみせます」
「お、鬼瓦きゅん!!」
「桐島先輩!!」
あははは! 天井が近いや!!
この感覚、久しぶりだなぁ!!
「ちょっとぉ! 公平先輩、鬼瓦くんとイチャイチャしないで下さい! 浮気ですよ!!」
「鬼神の兄貴、あんまり動かれるとモデルにならへんので、すみません」
「「ごめんなさい」」
再びモデルに戻った鬼瓦くん。隣には俺。共に半裸。
どうして俺まで服を着ないのかって?
大事な後輩1人に裸でいろって言えるかよ!!
「ところで鬼瓦くん。
「はい。彼女は調理系の短大に行きたがっていたのですが、将来を考えて経営について学ぶ事にしました」
「そうか、そうか。じゃあさ、毎日顔を合わせてるんだよな?」
「ええ。そうですけど?」
「勅使河原さんにさ、裸婦のモデル頼めねぇかな?」
「桐島先輩、卒業されてからリミッター外れました?」
こうして、着実に絵心を身につけていく花梨。
そして冬が過ぎ、春が来て、専門学校の入学の日になった。
受験の結果?
花梨は俺の知る限り、世界で一番の頑張り屋さんだぞ。
野暮なことを言うんじゃないよ、ヘイ、ゴッド。
その彼女が全力で頑張ったんだから、出来ない事なんて何もないのである。
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