第518話 花梨と恋人っぽい呼び方

 花梨がまた、正式な後輩になってから1ヶ月。

 ゴールデンウィークも終われば、サークルの勧誘も落ち着いて、学内は静かになってくる。


 新入生たちも、この頃になると大学の雰囲気にも慣れ始める。

 去年の俺もそうだった。


 ただ、ハツラツとした活力は隠し切れないのが新入生。

 何故そう言い切れるかと言えば、目の前の新入生がまさにそうだとしか言えないからである。



「先輩! 公平先輩! やっと会えましたぁ! お昼ですね! 何食べますか!?」

「おう。花梨。花梨さんや。嬉しいのは分かるし、俺も花梨の顔が見られて嬉しいけども。ちょいと落ち着きなさいよ」


 新入生総代の美少女と、パッとしないエノキタケが一緒に歩いているだけでも目立つのに、仲良さげで、ついでに腕まで組んだりしたら、そりゃあ目立つとも。


「だって、先輩ってば、一年生の履修できる講義、ほとんど取ってないじゃないですか!!」

「おう、そりゃまあ。去年頑張ったもん」


「もぉー! あたしは先輩と一緒に講義が受けられると思って、ずーっとウキウキしてたのにぃ!! ウキウキの返還を要求します!!」


 一年生と言えば、理想に燃えて、「何でもできるぞ!」と方々を見回しながらやる気をたぎらせるのがお仕事。

 それは結構なのだが、花梨はやる気を全部俺に向けている。


「ごめんな。よしよし」

「あー! なんだか、あたしの事をまた子ども扱いしてませんか!? とりあえず頭撫でとけば満足するとか思ってませんかぁ!?」



「すまん。ちょっと思ってた!」

「もぉー! あたしも割と満足しちゃうから反論できません!!」



 とりあえず、学食でチキン南蛮定食を注文する。

 花梨は天ぷらうどん。ダイエット戦士らしいチョイス。

 うどん自体は低カロリーだけど、天ぷらは高カロリーだよ、とは言わない。


「冴木さん! ちょっと良い?」

「はい! なんですか?」


 俺にくっ付いてばかりいるので、同学年の友達が出来ないんじゃないかと心配したりもしたけども、完全に杞憂で終わった。


 ちょうど訪ねて来たのは、中田さん。

 金髪が眩しい一年生女子。パリピな外見と違って、中身はマジメ。


「すみません、彼氏先輩! お邪魔しちゃって!」

「おう。気にしなくても大丈夫。ゆっくり話して良いよ」

「あざっす! 彼氏先輩、マジいい彼氏! 冴木さん、見る目あるー!!」


「えへへー。中田さん、おだてても何も出ませんよ!」

「実はさー、ここの意味がまったく分かんねぇんですわー。なにこれ、日本語じゃないじゃん! で、冴木さんにヘルプを求めて来たワケ!!」


 彼女たちが話題にしているのは、『基礎マクロ経済A』の講義内容。

 分かるなぁ。去年は俺も苦戦したよ。


 この講義を担当するのは、ヒルマン教授。

 日本に住んでもう20年になるので、普通に日本語で会話するのだが、ところどころで英語を挟んできて、しかもそれが重要な部分だったりするのがくせ者。


 「ヒルマン教授の講義は経済学よりむしろ英語力が鍛えられる」とは、かの講義をクリアした者たちが口々に語る、最もありふれた感想。


「これはですね、コマースですね。商業って意味なんですけど、さっきの講義では通商を表すために先生は使っていましたよ。あと、指しているものが商売の時もあるので、要注意です!」


 さすが花梨。しっかりと講義を乗り切るコツをもう掴んでいる。

 秀才な彼女を持てて、俺も鼻が高い。


「はぁー? 3種類もあんの!? ちょっちメモるわ! マジかー。そりゃ分かんないはずだわー。一応ねー、ノートは取ってんだよ? けど、自分で読んでもイミフ!!」


 俺も、少しくらいは彼女の友人に良いところ見せておこうかしら。

 早いところ話を切り上げないと、花梨のうどんがのびてしまうし。


「中田さん。俺のノート貸そうか? 去年のヤツ、取ってあるから。まあ、俺の汚ぇ文字で良ければだけど。なんかの役にくらいは立つかもしれん」

「マジっすか!? かぁー! 彼氏先輩、マジ優しい! ぜひお願いしゃっす!」


「おう。ちょっと待ってな。ええと、確か持って来てんだよ。ヒルマン教授の講義、今年も受けてるから。おう、あった。はい、どうぞ」

「おお! すごっ! 彼氏先輩、もしかして勉強できます!?」

「いや、人並みだよ。花梨に比べたら全然」


「ソッコーでコピーしてくるんで! まだ学食いますよね!?」

「おう。別に急がんでも。明日とかでもいいよ?」

「いえ! そーゆうワケにはいかねっす! ダッシュで行って来ます!!」


 そう言って、本当にダッシュで行ってしまった。

 誰かとぶつからなければいいが。


「おし! さあ、食おうぜ花梨! ちょいと冷めちまったが、昼はしっかり食わねぇと!」

「……はーい」



「花梨さん? ……あの、なんかねてらっしゃる?」

「別に、拗ねてないですー! 彼氏先輩って、誰にでも優しいんだなぁーって!!」



 なんてこった。

 花梨の評価を上げようとしたのに、結果的に中田さんの俺に対する評価が上がって、肝心のうちの彼女のご機嫌が低下している。


「いや、花梨。違うんだ。俺ぁ、別に中田さんがどうこうって訳じゃなくてだな」

「知ってますよぉーだ。公平先輩、あたしのために良いところ見せてくれたんですよねー」


「お、おう。あれ、知ってる割には、態度が冷たいなぁ?」

「公平先輩、なんか高校時代と変わってなさ過ぎるんですもん! あたしも変わってないから、これじゃあ全然なんです! 彼氏と彼女っぽさが!!」


 花梨さん、難しい事を言い始める。


「恋人っぽいことしようって? よし、キスするか!! 痛いっ!?」


 花梨さん、エビ天の尻尾で器用に俺の眉間みけんを撃ち抜く。

 海老の尻尾、美味しいのに。とりあえず、それを俺はモグモグ。


「もぉー! キスって、そーゆう感じでするものじゃないんですー!! 公平先輩は段階を踏んで下さい! 1年ぶりに同じ空間で生活してるんですよぉ!!」


 確かに、「とりあえずビール!」みたいなノリで、キスするかと言ったのは俺が悪い。

 冷静に考えると、それはもう俺が悪い。

 頭も悪いし、デリカシーもなかった。反省している。


 ここは、何か建設的な意見を出すべきかと思われた。


「じゃあ、アレだ。呼び方を変えてみるとか!」

「むー。呼び方ですかぁ?」


 いかん。花梨がやさぐれている。

 彼女がテーブルに肘をつくとか、ただ事ではない。


「俺ぁもう、花梨って名前で呼んでるけど、ほれ、花梨は俺の事、先輩って呼ぶじゃん? そこに改善の余地があると思わないか!?」

「……言われてみれば、確かにです」


「別に、呼び捨てでも構わんぞ? 俺、年下からどう呼ばれても気にしないし!」

「ダメですよぉ! 呼び捨てはあり得ません! 先輩に失礼です!!」


「お、おう。そうか。じゃあ、どうするかー。あだ名とかでも良いぞ!?」

「あだ名ですか? あ、それはちょっと恋人っぽいかもです!」


 そう言って、花梨はちゅるちゅると最後のうどんを吸い込んだ。

 俺もみそ汁をすする。


「毬萌は、ほれ、俺の事をコウちゃん、コウちゃんって呼んでたろ? そんな感じで、好きに呼んでくれ!」

「んー。毬萌先輩とは差別化を図りたいですねぇ。公平、公平、むぅー?」


 花梨が俺の名前を念仏のように唱え始める。

 大丈夫かな。俺、天に召したりしないかしら。

 昔、高橋の野郎に「公平ちゃんはニフラムで消えそうだぜぇー!」とか言われた事あるからな。


 しばらく悩む花梨を「かわぇぇのぉ」と眺めていると、彼女は「あ!」と、何かを思い付いた様子で、ニコニコし始めた。



「えっと、あの、じゃあ、コウくんって言うのは、どうですか!?」

「おう、良いじゃん! 呼んでくれ、呼んでくれ!」



「じゃあ、こほん。……コウくん! 大好きですよ!」



 タイミングが悪かった。

 中田さんが、ちょうどノートを返しに来た瞬間と重なるとは。


「いやー、お熱いことで! 彼氏先輩、冴木さんにそんな風に呼ばせてるんすかー! へぇー! うらやまっすわ! ノート、あざっした!!」


 花梨さん、無言で下を向いて、小刻みに震える。

 何かフォローをするべきか。

 でも、この場合、大体焼け石に水なんだよね。



「もぉー! コウくんは封印です!! 特別な時しか呼びません! もぉー!!」



 花梨の理想の恋人っぽい大学生活の模索は、まだ続くようだった。

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