第515話 毬萌とずっと一緒

 あっという間に時間は過ぎる。

 アメリカでの研究は、実に有意義なものだった。


 毬萌にとっては。


 彼女のクリエイティブな思考は、海を越えてもやっぱり通用した。

 と言うか、海を越えても驚愕を持って迎えられた。


 毬萌が流暢りゅうちょうな英語を喋る度に、偉い研究者が俺に「ホワイ?」と説明を求める。

 それにどうにか答えた頃には、もつと偉い人が列を作って待っている。


 英語は日常会話ならどうにか! なレベルの俺にとって、学術的な専門用語を咀嚼そしゃくして、適切な形で投げ返すのは至難の業。



 持って来て良かった、おしゃべりコウちゃん3号・改!!



 毬萌の手によって、専門用語の翻訳にも対応した、俺の声で喋るイカした翻訳機。

 気付けば俺は、俺に通訳をしてもらいながら日々をどうにか乗りこなしていた。


 あと、おしゃべりコウちゃん3号の特許が欲しいと、同い年のビリーが頼み込んで来るので、毬萌に丸投げしたら「500ドルで良いよっ!」と快諾かいだく

 俺の声がたった500ドルで売られてしまった。


 来年、おしゃべりコウちゃん3号は、全米デビューするらしい。

 ビリーがメールで「これはアメリカ全土で絶対に売れる! エキサイティングな気分だよ!!」とか興奮気味に語っていた。



 もう俺、アメリカには行けないねぇ。



 そんな訳で、留学を終えて、川羽木大学に戻って来た俺たちは、ついに4年生になり、大学生活最後の1年のスタートを切ったところだ。



「神野くん! ぜひ、うちで天文学の研究員に!」

「並びなさいよ、あなた! 神野くん、航空力学について知見を発揮しないか!?」

「ええい、彼女には地質研究の道が合っていると言うのに!!」


 今日も栗山研究室の前はすごい人だかり。

 アイドルの出待ちかな?


 あながち間違っていないので困る。


「すみませーん。通りまーす。どうも、こいつぁすみません。失礼します」

 毬萌は研究室で缶詰になって研究に没頭中。


 ならば、身の回りの世話は俺の仕事。

 今日も元気に昼ご飯を持って来た。

 コンビニで済ませたら良い?


 こんな所まで付き合っているのに、ゴッドは本当にゴッドだなぁ。

 うちの大事な毬萌の栄養バランスは、俺が完璧に管理するの!!


「お、おい! 君! 君、もしかして、コウちゃんくんじゃないか!?」

「そうだ! 神野くんの研究対象! つまり、彼を捕まえたら!!」

「神野くんの興味を惹ける! 待ちたまえ、コウちゃんくん!!」



 見つかってしまった。



 ちくしょう、ちゃんと頭にタオル巻いて、サングラスかけて、TOKIOの松岡昌宏さんスタイルの変装をしていたのに!!


「捕まえろ! 少々手荒になっても構わん!」

「いたぞ! 殺せ!!」


 そうとも、今や俺も、川羽木大学の有名人。


 川羽木大学始まって以来の天才と呼び声高いうちの毬萌。

 その隣に何故かいつもいる、平均点よりちょっとだけ優秀なエノキタケ。


 あまりにも自然に居るものだから、気付かれるまでに3年も逃げおおせたのだが、さすがにそのまま逃げ切れはしなかった。

 俺は、『神野毬萌を召喚できるチケット』とか『SSR確定ガチャ』とか呼ばれて、今日も教授連中からその身を狙われている。


「桐島くん! こっちだ! 急いで!!」

「小笠原さん! 了解です! うぉぉぉぉ!!」


 アメリカの武者修行でお肉中心の食生活を送っていたところ、グルメ細胞がマッチしたのか、俺の体は鍛え上げられていた。

 もはや、普通の人と言っても差し障りのないレベルに!


「やれやれ。毬萌、どうだ? 捗ってるか?」


 毬萌と栗山教授は、今日も激論を戦わせている。

 その内容は。


「違いますよぉー! せんせー!! コウちゃんラブ因子は、偶発的に生まれる訳じゃないんですっ! きちんと限定された条件が必要なのっ! 論文にも書いたじゃないですか! 父性と母性を合わせて、それを愛情に変換する過程で」


「ま、待ってくれ! コウちゃんラブ因子は人工的に作れると言うことかね!? そ、それが実現可能となれば、今年の学会はコウちゃんラブ因子で持ち切りになるぞ!!」



 うわぁ! すっげぇ嫌だ!!



「みゃっ! コウちゃーん!! なんでお昼過ぎても会いに来てくれないのー!? なぁーんでぇー!?」

「いや、まだ8分しか過ぎてないだろ!? これでも急いできたんだぞ!!」


「ギュってしてくれたら、許したげるっ!」

「ああ、分かった、分かった。ほれ、これでいいか?」


 人前でハグする事に恥ずかしさを覚えなくなったのはいつからだろうか。


 栗山教授が俺と毬萌を指して「見たまえ! 今、君たちの心がほわっとしているだろう? これが、コウちゃんラブ因子だ!!」とか、この春から研究室にやって来た学生にレクチャーしている。


「毬萌。ちょっと屋上に行かねぇか? ずっと研究室にこもりっぱなしじゃ、ストレス溜まるだろ? いい天気だし、外で弁当にしよう」

「わぁーい! 行く行くっ! せんせー、ちょっとお昼休みにしますっ!」


「うむ! ゆっくり休みたまえ! ああ、コウちゃんくん! この間の論文、評判が良いよ! 充分に学者としてやっていけるレベルだ!!」


 実は俺も、毬萌の陰に隠れてこっそりと心理学の研究に励んでいる。

 毬萌の進路がどうなるかは分からないが、どこまでも連れ添うと誓った以上、俺もそれなりの立場にならないと、彼女が肩身の狭い思いをしてしまう。


 もちろん、非常階段をトントンと駆けあがって行く俺の恋人はそんな事、思いもしないだろうけど。

 アホ毛が春風に触れて、ぴょこぴょこ動く。



 研究棟の屋上は、関係者以外立ち入り禁止。

 そして、関係者は研究室に所属している者だけ。


 学者さんは春の光が嫌いなのか、それとも花粉に弱いのか。

 この季節は閑散かんさんとしていて、実に居心地がいい。


「あっ! 見て、コウちゃん! 今日誰もいない! 貸し切りだよーっ!!」

「おう。良かったな。俺としても良かった」

「ほえ?」


 俺は、「いや、こっちの話だ」とはぐらかして、弁当を広げた。


「みゃーっ! なんか全体的に茶色いのだーっ!」

「文句言うんじゃありません! 見た目より栄養! 俺ぁ、毬萌の父ちゃんと母ちゃんにお前の事を頼まれてんだ!!」


「にははーっ! わたしコウちゃんの茶色いお弁当好きだから、平気ーっ!!」

「そりゃあ、どうもありがとう。ちなみに、鶏のから揚げが入ってるぞ!」


「みゃっ! それは食べなくちゃだよっ! あーむっ。んー、おいひー!」

「落ち着いて食えよ。ほれ、お茶もあるからな」


 さて、どうやって切り出したものか。

 こればっかりは、経験のしようがない。

 そりゃあ、百戦錬磨の恋愛マスターなら、3度や4度こなす者もいるだろうけど。


 俺にとってはこいつが初恋の相手。

 そして、最後の恋の相手でもある。


「コウちゃん? どしたの? なんか隠してる?」

「か、隠してナイヨ?」


「さては、何か美味しいものを用意しているのだっ! みゃーっ!!」

「ば、バカ! よせ! 高かったんだぞ、これ!!」


 アメリカから帰って今日までの間、アルバイトを3つ掛け持ちしてようやく貯まった有り金はたいて、ついさっき買ったばかりなのに。

 まかり間違って潰れたらどうすんの!


「あのな、今じゃなくて良いんだけど。お前の研究が落ち着いたら、あれだよ。恋人は卒業して、なんつーか。結婚、してみてもいいかなとか、思ったりな」


「みゃっ!? えっ、これ、もしかして!! コウちゃん、コウちゃんっ!!」

「まあ、お前の予約券みたいな感じかな。世間では、婚約指輪とか言うらしい」


 ちゃんと言葉にして言わないと、ダメだよな。

 こういう大事なことは。



「毬萌。俺で良ければ、結婚してください」

「はいっ! 絶対にコウちゃんの事を幸せにしますっ!!」



「いや、早い!? 即答かよ! もっと考えろよ! あと、それ俺のセリフ!!」

「即答だよぉ! そんなの、ずーっと前から決めてたもんっ!!」



 こうして、俺と毬萌の未来は、まだまだ続いて行くようで、それは何より。

 いつかのオリエンテーリングで不細工な告白した時を思い出すように、見上げるとそこにはどこまでも抜けるような空の青。


 あの日の空と今日の空は、もしかしたら繋がっているのかもしれない。

 俺と毬萌の気持ちがずっと繋がっていたように。



「ねね、コウちゃん! せんせーに褒められてた論文! 何について書いたの?」

「そりゃあ内緒だ。教えられねぇ」


「えーっ! なぁんでぇー!? 教えてくれないと、ずっと抱きついたままだよっ!!」

「願ったり叶ったりじゃねぇか」


 言える訳ないだろう。

 論文のタイトル、それは——。



 ——天才美少女な幼馴染のくせに、なんで俺の前でだけそんなにスキだらけなんだよ。





 毬萌との未来編、完。

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