第514話 毬萌と留学

 毬萌は俺の顔をチラっと見て、「うん」と何かを確認した。

 俺の経験上、毬萌が俺の顔を見るのは、何かを決める時。


 高校時代、生徒会長になる事を決めた時もそうだった。

 難航していた大学選びを毬萌が納得する形で決着させた時も。

 最近では、栗山教授の研究室に入るのを決めた時も。


 そして、人生単位で大きく未来が変わる決断をする、今この瞬間。


 結局、いつもこいつは先に決心しちまうんだ。

 俺が、ああだこうだと周りで慌てているのを見て、勝手に落ち着きおってからに。


 そして、決めた後に毬萌は必ず言う。


 「だって、コウちゃんが一緒なら平気だもんっ」と。


 その言葉が、俺をどれだけ奮い立たせるかも知らないくせに。

 これが、毬萌を天才だけどスキだらけと評価するゆえんである。

 俺がどれだけ毬萌の事を好きなのか、こいつは理解しているようでしていない。


 と、見せかけてしている。

 ああ、天才って言うのは、面倒くさい。



「わたしね、この春から、アメリカに留学するっ!」



 これまで、毬萌の巻き起こす天才的な、あるいはアホの子的な騒動に散々付き合ってくれた、楽しい、そして頼もしい仲間たち。

 一瞬言葉を失うも、「今回はそう来たか」と、すぐに対応してくれる。

 君らがいてくれたからこそ、毬萌は真っ直ぐに成長できた。


「わぁー! すごいです! ついに毬萌先輩、世界進出ですね!」

「ええ。いつかはそんな日が来る気がしていました」


 最初に反応するのは、やっぱりこの2人。

 花梨と鬼瓦くん。


 生徒会で苦楽を共にした後輩たちは、驚きよりも納得の表情。

 どんな時でも毬萌を全肯定してくれる、秀才と鬼才。


「えっ、ちょっ、えっ、ちょっ!? ああ、分かったわ、志摩スペイン村みたいな感じのところに行くのね!? た、確か、大阪にアメリカ村ってあったし! な、なんだ、ビックリしちゃったわよ、まったく! えっ、ちょっ!?」


 氷野さん、落ち着いて。

 毬萌ガチ勢の氷野さんは、基本的に毬萌が絡むとポンコツになる。


「姉さま、しっかりしてなのです! 毬萌姉さまの決断を後押ししてあげるのは、親友の姉さまの役目なのです!!」


 そして、そんな姉をいさめる心菜ちゃん。精神的な成長も眩しい。

 ああ、天使が聖母の階段を上ろうとしている。

 尊いなぁ。実に尊い。


「大丈夫なのだっ! ちょっとあっちでお勉強したら、すぐに帰って来るよっ!」

「ゔあぁぁあぁっ、ま、毬萌ぉぉぉ!! そうね、親友として、私は背中を押さなくちゃ……!! 体にだけは気を付けてね……!」


 氷野さん、飲んだ紅茶を全て涙へと変換させる構え。

 漫画みたいな泣きかたである。


 ひとしきりリアクションが決まったところで、全員が俺を見る。

 まあ、そういう展開になるよね。

 分かっているとも。じゃあ、俺も言っちゃう。



「もちろん、俺もついて行くよ。こいつだけで海外留学とか、危なすぎるだろ」



 さあ、俺にもみんなの感動をくれ!

 さあさあ、準備は出来ている!! 早くでっかいのちょうだい!!


「あはは! やっぱり公平先輩は、どこまでも公平先輩ですねー! あたしが世界で一番好きな先輩は、絶対にその道を選ぶ人ですもん!」

「ゔぁい! 桐島先輩、僕、いつでもお菓子送ります!」


「いや、あんたはついて行かなくちゃダメでしょ? 何もったいぶってんのよ」

「兄さまとはテレビ電話でお話しするから、心菜、寂しくないのです!」


「お、おう。あの、なんつーか、毬萌の発表と温度差がないかい?」


 全員を代表して、花梨が答えてくれた。



「だって、あたしたち、みんなが公平先輩の事、とってもよく知ってますから!!」



 なんと。よく知られていたらしい。

 高校時代にもっと二面性とか出していっとけば良かった。

 いや、せめて毬萌より先に進路を言えば良かった。


 ああいや、待て待て。

 そもそも俺、毬萌がアメリカ行きを決断したの、今知ったんだけど。



「おい! 毬萌! お前、留学の事決めたんなら、言えよ!」

「にははーっ。コウちゃんの気持ちは知ってたから、言わなくて良いかなって」



 いや、言えよ!!

 こっちは旅行から帰ってずっと、やきもきしながら毎日を過ごしていたのに!!


 こうして、楽しいお茶会の時間は過ぎていく。

 どんなに力を込めて秒針を押し返そうとしても、それは無為な努力。

 秒針が進む事で、みんながみんな、それぞれの夢に向かうのだから。



 帰宅後。

 俺は早速、父さんと母さんの前で土下座した。


 毬萌についてアメリカに行きたい事。

 そして、大学を休学したい事。無理なら退学したい事。

 それがこの先も毬萌と一緒に歩いてくために必要である事。


 学費から生活費まで出して貰っているドラ息子としては、ビンタの5発や10発は覚悟の上の、先制土下座。


「そうなのか。良いよ。公平に好きにしなさい」

「あんた、体弱いんだから、飲み水は厳選するんだよ! いいヤツ買いな!!」


「休学っていくらかかるんだろうなぁ。ちょっと待ってな。オッケーグーグル、川羽木大学の休学費用は? ……ああ、こんなものか。じゃあ、休学にしとこう! アメリカでの生活費も心配するな! 父さん、頑張って働くからな!」


「間違ってもバイトなんかするんじゃないよ! あんた、強盗に遭ったら、死ぬよ!!」



 俺の両親が、神にクラスチェンジしていた件。



「あの、俺が言い出しといてアレなんだけど、理解があり過ぎじゃねぇの!?」

 俺が親だったら、多分何発かは確実に引っ叩くよ?


「何を言ってるんだ! 息子が添い遂げる相手を見つけて、2人で決めた事なら、父さんと母さんはそれに協力するだけだろう!」

「いいかい、月に1度は連絡しなよ! 味噌と醤油は送るからね!」


「お父様……! お母様……!! ありがとうございます!!」


 こうして、俺はアメリカ行きを両親に許された。

 あっちでは家事手伝いになるが、毬萌を支える事ができるなら、肩書なんてどうでもいい。

 さあ、早く川羽木大学に戻って、栗山教授に報告だ。



 俺と毬萌は、翌々日、新幹線に乗って川羽木へ戻り、その足で研究室へと向かった。

 鉄は熱いうちに打て。

 今更になって毬萌が翻意しない事は分かっているが、教授がうっかり留学の話を断らないとも限らない。


「栗山せんせーっ! わたし、アメリカに行きますっ!!」


 正月の挨拶もしていないのに、ずいぶんとご挨拶な俺の彼女。

 しかし、「あけましておめでとう」よりも、研究室は沸いた。


「そうか! 決心してくれたか!! いやぁ、これはめでたい! では、早速先方に連絡を入れよう! 君たちは我が研究室の誇りだよ!!」


 盛り上がっているところで、実に言い出し辛いのだが、言わなければ。

 水を差すってこういう事なのね、と思いながら、静かに挙手。

 「どうしたのかね?」と栗山教授。ああ、すみません。


「あの、俺ぁ毬萌について行こうと思うんです。それで、大学は休学するつもりなんです。研究室にせっかく入れて頂いたのに、申し訳ありません」


「何を言っとるのかね、コウちゃんくん」


 休学は生ぬるいから今すぐ大学辞めろ、とか言われるのですか?

 いや、それも覚悟の上です。



「君も留学するんだよ。神野くんと一緒に」

「何を言っとるんですか、教授」



「先ほども言っただろう。、我が研究室の誇りだと! そもそも、留学だって1年間の短期だよ。この素晴らしい才能に満ちた若者を世界に自慢したら、またうちで研究してもらうに決まっているじゃないか!」


「す、すみません。俺ぁ、何が何だか」

「3月には渡米してもらうから、準備をしっかりね。1年とは言え、慣れない土地に行くのだから。手続きは全て、小笠原くんにやってもらうとしよう」


 イベントの進行速度に頭も体もついて来ません。

 つまり、俺も毬萌と一緒に留学できるって事なんでしょうか。



「コウちゃん! わたしたち、ずっと一緒だよ! 海の向こうだって、地球の外だって! 別の銀河に行ったって、ずーっと一緒だもんっ!!」



 毬萌の言葉だけが、俺にとっての真実であり、全てである。

 こんなに喜んでいるという事は、つまり、そういうことなのだ。


 どうにか思考が現実に追いついたころには、2月も終わろうとしていた。

 そして、俺たちはアメリカに旅立った。

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