第508話 公平と覚悟

「痛いっ!? いでぇ!! なぁふっ」


 別に1話飛ばしたりしていないから、安心しておくれ、ヘイ、ゴッド。

 露天風呂でチュッチュしたら、次は一つの布団で夜の運動会?



 良くないなぁ、そういう下世話な感じ。



 別に、俺としても、将来の見通しが立ったと言うか、毬萌の突き進む道を最後まで伴走者として付き合う決意をした訳なので、アレである。

 間違いが起きてもいいかな、とか思っていたのである。


「みゃーっ! みゃっ!!」

「ばぁるすぅ! おまっ、マジか、あぁぁぁん」


 布団に入るなり、2分で寝て、10分で寝相の悪さを発揮して、30分経って、今俺がダブルベッドから蹴り落されたところ。

 それくらいでくじけるな?



 もう蹴り落されるのは5回目なんだよ!!



 布団に乗る度に床に蹴り落されるんだぞ!?

 スーパーマリオの終盤のステージの悪辣あくらつなギミックより酷いわい!!


 体力が多少付いたとは言え、パワーバランスは毬萌が100。

 もちろん、俺を1とした場合である。

 つまり、満腹で、さらに風呂で温まって幸せそうに眠るアホの子と言う名の彼女に触れようとしても、「にへへ」とか笑いながらぶん殴られる。



 その状況でまだいやらしい事考えられるほど俺は性欲の権化ごんげになれない。



 やれやれ。完全に目が覚めた。

 冷蔵庫を開けると、キンキンに冷えた飲み物が。



 ほろよいあるじゃん!!



 ちなみに俺は、酒が飲める年になったにも関わらず、アルコールの風味が好きではないと言うか、未だに慣れないという悲しい現実と同居している。

 でもね、ほろよいは飲めちゃう。


 あと、カシスオレンジとか。

 ああ、ファジーネーブルとか言うオシャンティーなヤツも美味しかった。

 研究室の飲み会で、研究室助手の小笠原さんが勧めてくれた。


 ビール?

 飲もうと思えば飲めるよ。感想は、ただの苦い炭酸かな。


 そういう訳で、ほろよいの桃味を手に取って、乾いた喉に流し込む。

 サントリーは神。



 少し話を整理しようか。


 「俺もアメリカに行ったらぁ!」と宣言したのは良いが、覚悟を決めていたのは俺だけであり、毬萌はもちろんほんの1時間前に聞いたばかりの事実。

 いくら天才だろうと、「じゃあオッケー!」と軽いノリで決められるはずもなし。


 ご存じだろうか。

 アメリカって、鹿児島から北海道より遠いんだぜ?


 そんな、「ちょっとキャンプするか!」みたいに軽々けいけいな考えで住処を移せるものではない。

 生活習慣だって違う。衣食住も別物。そもそも言語からして以下同文。

 いかに毬萌が研究者としての才能があろうとも、俺にとっては研究者である前に一人の女の子。


 もっと言えば、世界で一番大事な女の子。

 傍にいてやらなければと思わない理由を見つけてみたい。


 少し話が脱線したな。まさか、ほろよい一杯で酔ったのか、俺は。


 とにかく、毬萌にも考える時間が必要。

 栗山教授によれば、回答は2月までにすれば良いとのこと。

 向こうの大学に留学扱いになるから、ちゃんと単位も取得できる。



 毬萌は。



 俺も留学するんじゃないかって?

 違う、違う。だって、俺、別に誘われてないもん。


 普通にアメリカに行くんだよ、プライベートで。

 大学は、まあ休学することになるかな。

 お金の都合がつかなければ、退学もやむなし。


 多分、あまり多くの人の賛同は貰えない行動、ともすれば愚行なのは百も承知。

 だけど、人生ほっぼり出しても添い遂げたい相手が毬萌以外に存在しない事は二百も合点がてん


 だったら、それが俺の人生で、俺の生き方なのだ。


「みゃーっ……。コウちゃーん? どこー?」


 柄にもなく語ってしまった。お恥ずかしい。

 ほろよいも甘く見ると恐ろしい。甘いのに。


 愛する彼女がベッドで呼んでいるので、俺も眠るとしよう。



「コウちゃん、なんで目が赤いのーっ? あんなにお布団フカフカだったのに!」

「おう。身に覚えがねぇなら、良いんだ、別に」


 昨晩、10回ほどベッドから蹴り落されたのを機に、俺は床で寝ることにした。

 しかし、固い床と軟弱な俺の体の相性は最悪。

 ほとんど眠れないまま、翌朝を迎えていた。


「さて、今日は何する? 毬萌が主役の旅行だからな。どこでも付き合うぜ?」

 コンディションがイマイチだろうと、そんな事は関係ない。

 アメリカに行こうってヤツが、一晩寝られなかったからって彼女をないがしろにしてりゃ、いい笑いものだ。


「んっとねー。コウちゃんとお部屋でゆっくりしてたいっ!」

「おいおい。結構見て回るところあるみたいだぞ? せっかくの旅行なのに、もったいない」


 すると毬萌は「にへへーっ」と笑う。


「こんなに景色のいいお部屋でコウちゃんとのんびり過ごすのも、わたしにとっては特別なのだっ! コウちゃん、眠かったらね、ここで寝ていいよっ!」

「おう。……マジか。まさか、毬萌発案で、男子の憧れの一つが出て来るとは」


 ひざ枕である。


「にははーっ! コウちゃんは中学生の頃からずーっと見てるけど、あんまり触った事ないもんねー! ささ、どうぞーっ! 毬萌特製の太ももだよぉー!」

「そうか。そんじゃお言葉に甘える事にしようかな」



「みゃあっ! コウちゃんのエッチ!!」

「痛いっ!? なんで!?」



「なんでじゃないよぉ! こっちのセリフだよぉ! 普通に考えて、私の体がある方向くのはマナー違反だと思わないの!? スカート履いてるんだよ、わたし!!」


「ええ……。いや、別に良いけどよ。お前、今更パンチラの一つ二つ、気にすることか? いや、そりゃあ俺も何も感じない訳じゃないよ? でも、パンツひとつで間違いを起こそうとまでは思わねぇえぺっ」


「コウちゃんはいつまで経ってもデリカシーがないのだっ!」

「おう。なんつーか、ごめんなさい」


 力ずくで首の向きを反転させられた俺の体は、頭部のパーツだけ行方不明にならないように、ぐるりと向きを変える。

 しばらくすると、何とも言えない眠気が襲ってきて、俺の意識は混濁こんだくしていった。



「んあ。しまった、結構ガチ寝しちまった。すまん、毬萌。足痛いだろ?」

 時計を見ると、2時間も過ぎているじゃないか。


 俺ならエコノミークラス症候群の発症は余裕。

 下手すると足がもげてる。


「おはよー、コウちゃん」


 見上げると、毬萌がいつものもふっとした笑顔で迎えてくれた。

 単純だと笑われるかもしれないけども、えて言おう。


 この笑顔が傍で見られるなら、アメリカなんて近いもんだ。

 だってそうだろう。



 お互いが好きって言い合えるようになるまで、15年もかかったんだぞ。



 それに比べたら、アメリカに行くくらいがなんだって言うんだ。


「コウちゃん、おっきいお風呂入りに行こー?」

「そうだな! 眠気覚ましにもちょうど良いし、行くか!」


 それから、俺たちは温泉を堪能し、豪華な昼食、そして2日目の夕食も美味しく頂いて、あっと言う間にまた夜が来た。

 旅行ってのは、どうしてこんなに時間が経つのが早いのか。


「俺ぁ今日は最初から床で寝るからな」

「えーっ!? コウちゃんと一緒がいいーっ!!」


「口ではそんな甘い誘惑しといて、お前が眠りに落ちた途端俺もベッドから落ちる事になるんだよ!!」

「むーっ! あっ! じゃあ、良いこと考えたっ!」


 毬萌がコロコロとベッドを転がって来る。

 まさか、寝る前から俺を落とすのか!?


 と思ったら、すっぽりと俺の小脇に収まるうちのアホの子。

 アホ毛がぴょこぴょこ。これは照れている時の動き。


「お昼にひざ枕してあげたから、今度はコウちゃんの番! こんなにくっ付いたら、絶対に離れないよーっ!!」

「おう。そうか。まあ、誕生日に免じて、挑戦してみるか」

「やたーっ!!」


 そしてこの晩、桐島公平、生涯初の腕枕で毬萌と夜をお迎えするのだった。

 無事に朝を迎えられたのかはゴッドのご想像にお任せするが、決してやましい事はしていないとだけ、ハッキリと付言しておく。



 こうして、俺と毬萌、二人きりでの初旅行は、幸せな気持ちのまま幕を閉じた。

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