第506話 毬萌と旅行

 神羽木かみはぎ温泉。

 川羽木かわはぎ市の北部にある、県内有数の温泉スポット。


 元々は上という字に羽木で上羽木だったのが、「縁起が良い」と言うことで、神の字に変わったのだとか。

 現に俺たちは、「神野毬萌と同じ字が使ってある!」という単純な理由で引き寄せられるようにやって来たため、狙い通り、いやさ、狙われ通り。


 神羽木グランドホテルが今回俺たちの予約しておいた宿。

 一泊10000円を飛び越える、仕送り貰ってる大学生の身分ではなかなか分不相応なお宿。


「予約していた桐島です」

「はい。ようこそおいで下さいました。桐島様。確かに、承ってございます。こちらの書類にご記入をお願いいたします」

「分かりました」


 思えば、毬萌とそろそろ2年も一緒に住んでいるのに、2人でどこかに泊まるとなると、記憶を生徒会時代の合宿にまで遡らせなければならない。

 まあ、何か特別な理由でもなければ、既に一緒に住んでいるのだから、どこかに足を伸ばそうと思わないのも納得ではある。


 ならば今回、特別な理由があるのかと言えば、あるのである。


「おーっ! コウちゃん、見てーっ! ベッドおっきい! みゃーっ!!」

「ヤメなさいよ! せっかくオシャレしてきたのに、服にしわがつくでしょうが! ベッド見つけたらとりあえずダイブするのヤメろ!!」


 ルパン三世かよ。


「にへへーっ。コウちゃん、コウちゃん。ベッドが1つしかないですぞっ!」

「見たら分かるわい。そういう部屋を取ったんだから、当然だろうが」


「わたしと同じお布団で寝たかったんだぁ? もーっ、言ってくれればいいのにっ!」

「違う! いや、違わなくもない! ただ、こっちの方が安かったんだよ! ツインの部屋よりも!!」


 ちなみに、俺も毬萌もアルバイトはしていない。

 俺は1年の頃に定食屋の厨房でバイトをしていたのだが、研究室が忙しくなって来てからは、短期バイトをいくつか暇を見つけてする程度。


 ならば、この旅行の費用はどこから出て来たのか。

 先週、実家に電話して、「毬萌の誕生日に旅行したいんだけど、どっかいいとこ知らない?」と聞いたら、電話口の父さんがこう言った。


「公平! 二十歳の誕生日なんだから、盛大にお祝いしなさい! なぁに、旅行の資金なら任せとけ! とりあえず50000円振り込んでおくからな!!」



 涙なしでは語れぬ、父さんの不死鳥っぷり。



 1000円握りしめてパチンコ屋に通っていた父さんが。

 今では営業部の課長に昇進している。


 窓の外社員だったのに、たった3年半であり得ない出世をかましている。

 なんでも、競艇場で知り合って父さんを救ってくれたラーメンチェーンの社長の競艇友達がまたしてもラーメンチェーンの社長だったとかで、「桐島さんの会社のメンマ、うめぇんだ!」とか言っていたら、取引先が100を超えたとか。


 競艇ってステキ。

 ステキを飛び越えていっそセクシーであり、マーベラスまである。


 最近はヘッドスパに通い始めて、母さんは行きつけのエステが出来たとか。

 もう5年早く出世してくれていたら、育ち盛りの俺が貧相な食事にあえぐこともなかったのにと思わないでもないが、今の身分だって望外ぼうがい


「コウちゃん、どしたのー? お外眺めて、なんだかお坊さんみたいな顔してる!」

「いや、もう、なんつーか。世の中ってステキだなって」


 宇凪市の方角を向いて一礼。

 父さん、送ってもらったお金、ありがたく使わせてもらいます。



「とりあえず、その辺散歩してみるか! なんか、色々お店あるみてぇだし!」

「うん! 行くーっ! にははっ、楽しみーっ!」


 温泉街の醍醐味は食べ歩き。

 ただし、晩ごはんもあるので、ここは毬萌の欲求をしっかり管理せねば。


「みゃっ! コウちゃん、温泉卵があるーっ! 食べよ、食べよっ!」


 俺の脳内にあるハイパーコンピューターが演算をはじき出す。

 このくらいなら、大丈夫!


「おっし、食うか! すみません、2つ下さい!」

「はいよ! どうだい、カップルさん、温泉卵カレーもあるけど! 食ってかない!?」


「みゃーっ……。じゅるり」


 お店のおじさん、悪魔的カードを切って来る。

 それはダメだ。名前からして絶対に美味いヤツ!

 毬萌が既に彼氏そっちのけで、他の観光客が食べている温泉卵カレーに心を奪われているのがその証拠。


「じゃ、じゃあ……」


 いや、待て、俺。

 ハイパーコンピューター、仕事しろ!


 今の時間は!? 既に15時! 晩飯は!? 18時!

 カレーの量は!? 結構大盛! 導き出される答えは!?



 カレー食ったら晩飯食えなくなる!!



「ねーねー、コウちゃん、コウちゃん! ……じゅるり」

「ぐぅぅぅぅっ! 温泉卵、2個下さい!!」


 ぴょこぴょこしていたアホ毛が、へにょっとしおれた。

 俺は慌てて説明する。


「違うんだ、毬萌! この後の晩飯がな! そりゃあもう、特別なものを用意してあるんだよ! だから、ここで腹を膨らせちまうと、その、予定が!!」


 何を言っているのかは伝わらなかったが、必死さだけは伝わった様子。


「もーっ! コウちゃんがそんなに言うなら、今は我慢するのだっ!」

「おう! そうか! 良かった!!」


 そして俺たちは温泉卵を堪能。

 結構なお味でおいしゅうございました。


 それから土産物屋を見て回り、大学の友人たち用のものをはじめ、色々と土産を買った。

 もちろん、温泉饅頭はマスト。

 温泉街に来たら温泉饅頭。郷に入っては郷に従え。


 温泉って頭についてるヤツがだいたい最強なのだ。


 あとは、俺の実家と毬萌の実家にも郵送で届くように手配したら、いい塩梅あんばいに日が暮れて来たので、俺たちはホテルに戻った。



「失礼いたします。お夕飯をお持ちいたしました」


 部屋に戻ってしばらくすると、仲居さんが料理を運んで来てくれた。

 近くの海鮮市場が賑わっているらしく、そこから直送で仕入れた海の幸が神羽木温泉の名物だとか。


「おおーっ! すごいっ! コウちゃん、大好きな伊勢海老があるよっ!」

「おう! 久しぶりだなぁ、伊勢海老! 元気そうでなにより!!」


「桐島様。ご準備整っておりますが、いかがしましょう?」

「あ、それじゃあお願いします」


 フッと消える部屋の照明。

 毬萌が「みゃっ!?」と慌てる。

 俺は慌てない。仲居さんとグルだから。


「神野毬萌様、お誕生日おめでとうございます」

「毬萌! 二十歳の誕生日、おめでとう!」



 実は、サプライズのバースデーケーキを注文しておいたのである。



 これも父さんからの入れ知恵。

 「忘れられない二十歳の思い出を作るにはな!」と教えてくれた。

 ハゲ散らかった頭が頼りなかったのに、今ではジェイソン・ステイサムに見える。


「みゃっ!? コウちゃん、こんなの用意してくれてたの!? すごい、すごーい!!」

「おうよ。二十歳の誕生日は特別だからな!」


「去年はローソンのカップケーキだったのに!」

「毬萌、毬萌さん? 仲居さんがいる前でそれ言わなくてもええんやで?」

「そだねっ! あの、コウちゃんはとってもステキな彼氏です!」



 それも言わなくて良いかな! すっげぇ恥ずかしいから!!



「ええ、本当に、ステキな恋人をお持ちで、うらやましいです。それでは、何かございましたらお呼びください」

「あ、はい。恐縮です。お恥ずかしい」


 そして仲居さんが去ったあと、俺たちの特別な夜は始まる。


「みゃーっ! どれもみーんなおいしーねっ! コウちゃん、ありがとーっ!!」

「おう。ケーキは食えるだけ食ったら、残りは冷蔵庫に入れときゃ、明日も食えるからな。あんまり満腹になるなよ」


 そうとも。

 この後は温泉に入らなければならない。


 そしてこのホテル。

 大浴場の他に、部屋にも露天風呂が付いております。


 特別な日には特別な事を。

 俺の計画に狂いはないのである。

 ハイパーコンピューター舐めんなよ、ヘイ、ゴッド。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る