第505話 毬萌と可能性
「コウちゃーん! ご飯できたよーっ!!」
「おう。筑前煮じゃん! いやぁ、毬萌も分かってんなぁ!」
「むーっ。言っとくけど、わたしお野菜が主役の煮物、好きじゃなかったんだよー?」
「知ってる、知ってる。俺の好みに合わせてくれてんだろ? まったく、お前は最高の恋人だよ。俺にゃもったいない!」
毬萌は照れ笑い。
アホ毛はぴょこぴょこ。
今日も俺たちはいつも通り。
「にへへーっ! コウちゃんが喜んでくれるならね、好きじゃないも好きに変えられるのだっ! さあー、食べよーっ!!」
「おう! いただきます!」
アメリカ留学の話はどうなったのかって?
それを聞くかね、ヘイ、ゴッド。
えらい事になったんだよ、あの後。
栗山教授が「アメリカに行ってみないか?」と言った、次の瞬間には毬萌さんのご機嫌は斜めを通過して直角へ。
意味が分からないと思うけど、なんかやべぇと言う雰囲気が伝わったら、俺の意図は通じている。
「なんでわたしが1人でアメリカ行かないといけないんですかっ!? なぁんでー!?」と、不満をぶちまけた毬萌は「もう研究室やめるっ!」とまで言い出した。
そこで慌てた栗山教授が「も、もちろん、選択肢、可能性の一つだよ! ごめん、ごめんなさい!!」と土下座をしてどうにか事は収まった。
自分の親より年上のおっさんに土下座させるとか、いたたまれない空気が研究室を支配して、それから今日までの5日間、アメリカは禁句となっている。
そして、それはもちろん、俺と毬萌の間でも。
まだそれに関して2人で話し合いすら持っていないが、あの怒り方は尋常ではなかったゆえ、わざわざ話題にする事はないと思っての判断である。
「んーっ! 意外とごぼうもれんこんもおいしーねっ!」
「うん、美味い! ついに毬萌の舌も大人になって来たかぁ。感慨深いなぁ」
「にははっ。わたしももうちょっとで二十歳だもんっ! 大人のおねーさんだよっ!」
「それなら、俺ぁとっくに二十歳だから、大人のお兄さんだな。って、おい! なんで椎茸と絹さやと里芋が大量に俺の皿に移住してんの!?」
「んー。その子たちはね、わたしにはちょっと早いかなって思ったのっ!」
「大人のお姉さんが聞いてあきれるな。まだまだ毬萌はお子様だ」
ワイワイ楽しくその日を過ごして、明日がくれば同じようにして楽しむ。
そうして毎日を過ごせば、ある地点で振り返った時には至極平和なアルバムが仕上がっている。
それは間違いないかと思われた。
一つの幸せの集大成と言っても良い。
それも間違いないかと思われた。
だが、しかし、果たして。
本当にそれで良いのか。
その迷いが俺の中に生まれていたのも事実であった。
数日後。
「じゃあ、コウちゃん! あとでねーっ!!」
「ごめんねー、桐島くん! 可愛い彼女を誘拐しちゃって!」
「ふふ、体育の時間は仕方ないよねー。今日、温水プールで水泳だよ」
「みゃーっ! 泳ぐのだっ! でもね、コウちゃん泳ぐの上手なんだよっ! 2人にも見て欲しかったなぁー!」
「はいはい、ごちそうさま! 早く行かないと遅れるよ!」
「じゃあ、少し駆け足で! 準備運動もかねて!」
毬萌は、横尾さんと近藤さんを連れだって、体育の授業に出動。
12月の体育でプールが選ばれる辺り、川羽木大学ならでは。
さて、計画通りに毬萌がいなくなったな。
では、俺も予定をこなそう。
体育の授業? そんなもん、俺は短期集中科目で夏休みの間にこなしたよ。
2週間、毎日ゴルフやってた。
むしろ、なにゆえ俺が通年で体育を履修すると思うのか、その理由を知りたい。
ベンチに腰掛け、見ているだけで心が落ち着く名前をタップして、コール音を聞く。
海外にかけても無料なのがラインのすごいところ。
海を越えていっそセクシーだね。
「あ、もしもし! すみません、今日もこっちの都合に合わせてもらっちまって! そっちはもう夜ですよね。本当にすみません」
もうご尊顔は2年以上拝んでいないが、声は数ヶ月に1度聞く、俺の最高の先輩。
きっと、今も柔らかい鉄仮面を装備して、朗らかに笑っているのだろう。
『いえいえ、お気になさらず。わたくしと致しましては、こうして高校時代の後輩が頼ってくれる事、とても嬉しく感じていますよ。桐島くん』
「助かります! 相談相手が土井先輩以外思いつかなくて! 天海先輩や、地元の連中だと、毬萌にバレるのは確実ですから」
ミスター花祭学園の殿堂入りを果たした、我らが頼れる大先輩。
土井先輩にご降臨頂いた。
『今回のお話、既にライントークでだいたいのご事情は把握しておりますが、桐島くんのお考えをまずは伺いましょうか』
土井先輩がおられるニューヨークは、もう日が変わる時分。
貴重な睡眠時間を頂戴して、恐縮極まりない。
そのため、前置きはなく単刀直入に話させてもらうことにした。
「俺ぁ、毬萌の才能が認められて、それが生かされて、本人がその事で幸せを感じてくれたら、それが一番だと思ってるんです。ただ」
『神野さんは、留学に対してかなりの拒絶反応を見せている、と。その理由についても、桐島くんはお気付きなのでは? わたくしの知る君は、
いっそ、「それは思い上がりだ」と言って欲しい願望を込めて、俺なりに出した答えを提出する。
「……俺と離れたくないから、じゃないかと」
そして、俺の知る土井先輩は、白を黒とは絶対に言わないお方。
だからこそ、今日もこうして相談させてもらっている。
『わたくしもその考えで間違いはないと思います。神野さんは、あなたが一番大切なのです。他の何よりも。あなたがそうであるように』
薄々思ってはいた事だけども、土井先輩にハッキリと肯定されると、俺のほんわかぱっぱとした考えが一気に重みを増したような気になる。
「俺ぁ、どうしたら良いんでしょうか!? このままの生活で、卒業したらそれなりの就職先を選んで、普通に結婚して、子供が生まれて、子育てしてたら年取って、子供が独立して孫が出来て、仲良くじいさんとばあさんになる。それはもう、望むべくもない人生なんです!!」
少し声が大きくなっていたようで、冬の屋外ベンチに座っている酔狂な男子学生にチラリと見られる。
これは失礼を。俺は「申し訳ない」と頭を下げて、座り直した。
『桐島くん。わたくしごときがあなたの人生に関わる重大な選択に、差し出口を挟むつもりはございません。ただ、ひとつだけ助言をするならば、ですが。あなたは、高校生の頃から慎重でしたね。何をするにも、まず相手の事を考えていた。それは美徳です』
土井先輩は一旦言葉を区切り、「ここから大事なとこだぞ」と俺に教えてくれる。
聞き漏らすまいと、耳に全ての認知機能を集約させた。
『今回は、あなたが思う事を第一に考えてみてはどうですか? 神野さんが信頼を寄せる、桐島くん。そんなあなたの考えは、他の誰の言葉よりも神野さんの望む未来を語ってあげられるのではないか。わたくしはそう愚考致します』
「……あっ」
ここ数日、頭の中を曇らせていた暗雲から、少しだけ薄日が射した思いだった。
「ありがとうございます! 土井先輩のおかげで、少し前進できそうです!」
『ふふ、あなたはいつも、自分の力で前進していますよ。今度お会いする時は、一緒にお酒でも飲みたいものですね』
俺は土井先輩に、見えるはずもないのに何度も頭を下げながらお礼を言って、通話を終えた。
「おーいっ! コウちゃーん! もーっ、こんなとこにいたーっ!」
そしてタイミングよくやって来た毬萌。
俺は、返事をする代わりに、ひとつの提案を彼女に差し出した。
「毬萌。再来週あたり、2人で旅行に行かないか?」
12月21日は、毬萌の誕生日。
俺は、その日を跨ぐ形で、2泊3日の旅行をしようと彼女に言った。
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