第504話 毬萌とステップアップ
心理学。
と言うか、恥ずかしいからあまり言いたくないが『俺の感情の研究』は、思いのほか毬萌を熱中させた。
「神野くん! ちょっと、君のレポートで分からないところがあるのだが! いや、これは私の理解力に問題があると言う事は分かっている! その上で、ひとつ教えてもらえないだろうか!?」
一方で、栗山教授が毬萌の天才理論を解読しようとする日々が続いていた。
さすが研究者。
ちょっとやそっとじゃへこたれない。
これまで、親しい者を除けば、毬萌の天才に理由もなく称賛する者と、理解を諦めて称賛する者の2種類しか周囲にいなかった俺たち。
それを、ここではとことんまで追求してくれる。
その一点のみにフォーカスを当てても、この大学に来た意味があったと言える。
そして毬萌の説明を受けたあと、栗山教授は肩を落として俺の元へとやってくるのもルーティーン。
「また理解できなかった……」と。
「コウちゃんくん! すまないが、このビシッ! バシッ! とした気持ちと言うのは、どういう意味だろうか?」
「ああ、それはですね、多分緊張とか、張り詰めた状態の事を指しているんだと思います。精神的に集中力が向上している、みたいな感じです」
「なるほど! いや、神野くんはもはや別格だが、コウちゃんくん、君もなかなかどうして! こうして見ると、優秀な学生だ!」
「いや、良いですよ。そんな俺に気を遣わなくても。毬萌のサポート役として俺ぁここに籍を置かせてもらっている身だとしっかり自覚しています」
すると栗山教授は首を横に振る。
「確かに私は神野くんを熱烈に求めたが、学生の評価に
「そうなんですか? こいつぁ、なんだか照れますね。恐縮です」
そんな風に褒められて認められると、俺だって悪い気はしない訳で。
俺と毬萌は、心理学についての研究に時間を費やす毎日を重ねて行った。
充実した1日の最後は、熱めの風呂に限る。
うちでは毬萌が先に入るのがルール。
レディーファースト。毬萌ファースト。
「コウちゃん! お風呂のお湯が出ないよーっ!」
「マジかよ。ちょっと見てみるわ。ばぁぁぁぁ! 服を着ろ!!」
「お風呂に入るのに服を着ろと言うのは、コウちゃん、とってもナンセンスなのだっ!」
「確かにお前の言う通り! だから今すぐ服を着て!!」
蛇口から水は出る。
急な断水とかではない模様。
しかし、毬萌の言う通り、お湯の方をひねっても出て来るのは冷たい水。
真夏なら我慢も出来るが、12月にこれは厳しい。
おまけに、給湯器に問題があるようなので、俺のにわか仕込みな大工スキルではどうにもならない。
「仕方ねぇなぁ。ちょっと歩くけど、スーパー銭湯行くか。コインランドリーの向かいにあるヤツ」
「みゃっ! おっきいお風呂入りたい!!」
確か、あそこのスーパー銭湯では、岩本くんがバイトをしていたはず。
「今どんな感じ? 混んでる?」とラインを送ったらば『割と
もう行かない理由がないじゃない。
「おっし。そんじゃ、行くか! 湯冷めしねぇように、しっかり厚着していくぞ」
「了解なのだっ! お風呂あがったら、牛乳とアイスと、色々食べたい!」
「まあ、たまには良いか。最近毬萌も頑張ってるしな」
「やたーっ! 行こ、行こーっ!!」
はしゃぐ毬萌の口から、白い息が出ては消える。
まったく、いつまで経っても落ち着きがないのは困ったものだ。
「よお! 来たな、2人とも! これ、内緒のクーポンな! 山盛り用意しといたぜ!」
岩本くん、職権乱用によって、入浴の割引券、食堂のクーポン、マッサージ器の無料券などを大盤振る舞い。
上司に怒られないと良いのだが。
「ありがとーっ! 岩本くんっ! そーゆうとこ、女の子は見てるよっ!」
「おう。そうだな! 岩本くんはいい男だ」
「ねーっ! わたし好きだよーっ! にははーっ」
「あああ、あああ!! ありがとうございまぁぁぁす!!」
「どうした岩本くん!? 今の間にいったい何があったんだ!?」
「コウちゃーん! わたしタオルとか借りとくねーっ!」
「お、おう。頼んだ」
岩本くんのメンタルが非常に不安定。
最近学んでいる俺の心理学でお役に立てると良いのだが。
「いや、何て言うかさ、もうじき3年じゃんか、僕ら。もう就活とか、卒論とか、色々忙しくなってきたら、恋人作ってる暇もないじゃん?」
「えっ、そんな事もねぇと思うけど」
「あるんだよ! もう僕は手遅れなんだよ!! だから、神野さんを崇めることくらい許してくれよ!! 決していやらしい事なんて想像しないから!!」
「しっかりしてくれ、岩本くん! 君はなんか、変な宗教とかにハマりそうだな!?」
毬萌が俺の分もタオルやら浴衣やら借りて来てくれたので、岩本くんに「辛くなったら一人で抱え込まないで」と告げて、いざ入浴。
普段スーパー銭湯なんて来ないから、結構新鮮。
生徒会の頃に合宿で行った花祭ファームランドを思い出すなぁ。
あそこの風呂も、すごい充実っぷりだったもんなぁ。
ひとしきり風呂を楽しんだ俺は、打たせ湯で「修行!」とやったのち、サウナに不戦敗してから外に出た。
毬萌はまだ風呂に入っているようだし、俺はマッサージ器へ。
最近のマッサージ器ってすごいよね。
モビルスーツのコックピットの椅子みたいになってるんだもん。
これが無料とか、ステキを通り越していっそセクシーだね。
「あーっ! コウちゃん、ズルい! わたしもマッサージ器に座るっ!!」
「お前が長湯してるから、先に楽しませて貰ってたぜ。はっはっは」
「み゛ゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
「おう。なんか色々と揺れててあれだけど、他に誰もいねぇから、まあ良いか」
何とは言わないけど、また少し成長したな、毬萌!
その後、ソフトクリームを食ってから、岩本くんに挨拶して俺たちは帰路に就いた。
翌日。
「だから、せんせー! コウちゃんがなんでわたしの事を好きになったのかを論理的に解明できれば、人が人を嫌う機会を減らすことができて、最終的には世の中から争いが減らせると思うんですっ! 聞いてますかっ!」
「き、聞いているとも! もう、心理学に対するアプローチが斬新過ぎて、私の頭が沸騰しそうだよ! 誰か、冷たいお湯持って来てくれたまえ!!」
落ち着いて下さい、栗山教授。
「俺がお茶淹れますよ」
そう言って電気ポットに向かうと、助手の小笠原さんがやって来る。
「いいよ、いいよ。僕がやるから。桐島くんも、自分の論文書いてる途中だろう? 論文って筆が乗っている時は一気に頑張っておくと、後が楽なんだよね」
「すみません。俺が一番の若輩者なのに。お気遣いまで頂いて」
「お礼を言いたいのは僕たちの方だよ。正直、栗山先生、ここ数年はスランプだったんだ。それが、神野さんの登場でモチベーションを一気に超回復! 僕は教授の感情の起伏について論文でも書こうかと思ってるくらいさ。あはは!」
俺は「それなら良いんですけど」と、結局小笠原さんに押し切られる形で、再び毬萌の隣の席へと舞い戻る。
教授とうちの彼女は、未だによく分からん理論について語っている。
正直、毬萌が「コウちゃん好き好き理論」とか言う度に、恥ずかしさで体温が上がる思いをしている。
俺が雪だるまだったら、もう溶けてるよ。
「なるほど、恋愛感情だけではなく、家族愛や友愛、人間の抱く愛情そのものにフォーカスを当てるとは、私にはとても思いつかない発想だ! 素晴らしい!」
「にははーっ! すごいのはコウちゃんですっ!」
「うんうん。コウちゃんくんも素晴らしい! そうだ、ところで神野くん。君に相談があるんだが、聞いてもらえるかね?」
「ほえ? なんですか?」
「アメリカのとある大学がね、君の論文を高く評価していて、留学して高度な研究をしないかと誘って来ているんだ。私も悪くない話だと思うのだが」
聞き捨てならない教授の言葉に、俺は振り返る。
毬萌がアメリカ!?
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