第492話 花梨と演説

「それでは、最後に冴木花梨候補。演説をお願いします」


 松井さんの司会進行は、もはや文句のつけようのない安定感。

 さすが、我らがみのりん。氷野さん一押しの風紀委員。


 花梨は、松井さんに軽く会釈をして、今度は講壇に向かい、頭を下げた。

 自然と拍手が起きる。


 見たか、これが俺の応援演説の効果よ!

 なんて言いたいところだが、一つ前の上坂元さんの時も同じように拍手が起きた。

 黒木くん?


 今その話、必要かな?


 今からうちの大事な、大切で可愛い後輩が演説するんだから。

 ゴッドは黙って、正座して、まばたきもしないで静聴してちょうだい。



「皆さん、まずはお礼から申し上げておきます! 今日まで、あたしの、あたしたちの選挙活動を温かく見守ってくださり、ありがとうございました! 初めての事ばかりで不安でしたが、無事に今日を迎えられたのは、皆さんのおかげです!」


 完璧な滑り出し。

 花梨の作った原稿を毬萌が修正したんだぞ。

 そんなの、無敵に決まっているじゃないか。


 諸君諸姉、見よ、これが冴木花梨だ!


 と思っていたら、俺の心臓に悪い事を花梨がし始めた。

 少し黙った彼女は、手に持っていた原稿を折り畳み、制服のポケットに入れる。


 少し会場がざわつく。

 俺の心の中もざわつく。


 ざわわ。ざわわ。どうしたんだよ、花梨さん。


「この演説のために、あたしはすごく準備を重ねてきました。尊敬する先輩にも意見を貰って、完璧なスピーチをしようと思って、ついさっきまで、原稿を読み直していたんです。……だけど、ヤメました! あたしは、今、この胸にある言葉で皆さんに語りかけたいと思います! 先ほど、あたしの応援人である、大切な先輩の演説を聞いていて決めました! 急遽の予定変更ですので、つたない部分もあると思いますが、ご了承ください!」


 お、俺のせいで花梨の心に何かしらの変調をきたしている!?

 俺が原稿見ないで演説したから、そうしなくちゃって思わせちまったか!?

 そいつはまずい! 花梨、アドリブはあまり得意じゃないだろう!


「あー。あはは、今、その大切な先輩が、舞台のそででアタフタしています。思い返せば、あたしの生徒会活動は、その先輩から学ぶことばかりでした。あの人、さっきあたしの事を散々、自分の事を後回しにしちまうー、なんて言ってましたけど、そうなったのは自分のせいだって気付いていないみたいです!」


 俺の後ろには、いつの間にか、ステージの下で待っていたはずの毬萌が。

 そしてこんにゃろう、「みゃっ!」とか言って、俺の背中を思い切り押しやがる!

 すると、舞台の袖から俺の貧相な顔がこんにちは。


「はい! この人です! あ、皆さんもご存じでした? そうですよね! 自分の事を後回しにばかりしている、今の副会長です! この人のマネばかりしていたら、いつの間にかあたしも似てきてしまったようです! その先輩が、自分の言葉であたしの事を応援してくれたので、あたしも率直な感情で皆さんに最後のお願いをしたいと思います!」


 俺は毬萌に「何をするんじゃい」と当然の抗議をする。

 毬萌は「これが最後の援護射撃なのだっ」と言って、にんまり笑う。

 俺の背中を撃つ事に何の意味があるのやら。


「ええと、選挙活動を通して、あたしは今年度の生徒会の良いところを踏襲とうしゅうしていく、と語って来ましたが、ごめんなさい! 多分それって、無理だと思います。と言うか、無理です! 1年間過ごして分かったんです! あんなに完成された生徒会の再現なんて、あたしにはとてもできません!」


 大丈夫かしら。このままちゃんと演説は形になるのかしら。

 隣にいる毬萌はドンと構えている。その度胸が俺も欲しい。


「でも、先輩方がやり方を教えてくれました! どうしたら皆さんが笑顔になるのか。どうしたら皆さんのお役に立てるのか。それをとことん考えると言うやり方を、あたしはしっかり学んできました! だから言えます! あたしは、皆さんに寄り添えます! 先輩方が、あたしに寄り添って手を引いてくれたように!」


 ステージの下、最前列に氷野さん発見。

 彼女はいつもの落ち着きがなく、オロオロしている。俺の仲間だったか。


「皆さんが嬉しい時は、あたしも一緒に笑います! 皆さんが苦しい時は、あたしも一緒に悩みます! だけど、皆さんが泣きたい時には、一緒に涙は流しません! 代わりに、どうやったら笑えるのかを、一緒に考えさせてください!! あたしは天才じゃないし、自分の事を凡才だと言い切れるほどの思い切りもありません! 先輩たちにあった才能が、あたしにはありません!!」


 鬼瓦くんはどこ行った? ああ、証明器具の横にいた。

 そういえば、設営に回るって言ってたな。……泣いてるじゃないか。

 いつの間に声を殺して泣くスキルを身につけたのか。


「その分、頑張ります! 誰かのために頑張れる事が一番大事だと言う事を、あたしの大好きな先輩たちが教えてくれました! 皆さん、どんな事でも構いません! 思った事、感じた事、それを全部、あたしに教えてください! そうしてくれたら、あたしは頑張ります! 頑張っちゃいます! 皆さんが安心して生活できるように! そして、私事わたくしごとでごめんなさい! 大好きな先輩たちが安心できるように!!」


 これはいけない。ちょいと目が、アレだな。ナニして、ちょっと、おう。

 花粉が多く飛んでるのかな? 目が痒くていけねぇ。


「あはは、すみません。やっぱり、あたし、アドリブで上手にお喋りする能力もまだまだみたいです! 現会長に比べたら、全然ですね。でも、これがあたしです! この1年間の総決算が、今の冴木花梨です! こんなあたしでよろしければ、どうか、皆さんの新しい1年間を、一緒に歩かせてもらえませんか!?」


 会場の温度はどうだ?

 もう、なんかよく見えないから、盛り上がってんのか、そうじゃないのか。

 ああ、そろそろ終わりみたいだな。


「それでは、ご静聴ありがとうございました! ご縁があれば、皆さん、またお会いしましょう! 1年2組、生徒会書記、冴木花梨でした!」


 頭を下げる花梨。

 場内はまるで水を打ったような静けさ。


 そして、彼女が顔を上げるのを号令にしたかのように、一斉に場内が、割れんばかりの大喝采に包まれた。

 なんだよ、お前ら、人をヒヤヒヤさせやがって。


 盛り上がるなら、もったい付けずに最初から全力で盛り上がりなさいな。

 人が悪いぜ、まったく。それにしても——。



 よく頑張ったな、花梨。



「以上をもちまして、応援人および、立候補者の演説を終了いたします。これより10分の休憩ののち、投票へ移ります。選挙管理委員が投票用紙を配りますので、いずれかの候補の名前をご記入のうえ、順番に投票箱へとお進みください」


 松井さんのアナウンスで、会場の空気が弛緩する。

 張り詰めていた緊張が解かれ、隣近所の生徒同士が、「誰に入れます? 奥さん」と、相談しているようだ。


 本来は投票の前に相談なんて、論外である。

 けれど、ここは花祭学園。

 イベントはすべからく祭となすのを良しとするこの学園において、少々のルール違反があろうとも、指摘するのは野暮である。


 何より、その相談によって花梨が不利になることはないと思われる。

 だったら好きなだけお喋りをどうぞ。

 俺は身内贔屓をする男なのだ。


 公平の名前が泣いているだろうが、俺も泣いているから痛み分け。


「もぉー。せんぱーい。なんで泣いてるんですかぁ」

「おう。そいつぁ花梨にそのままお返しするぜ。あと、毬萌もな」

「み゛ゃー……。花梨ちゃん、お疲れ様……!」



「はい! あたし、やり切りました!!」

「おう! 頑張った、頑張ったな、花梨!!」



 うちの大切な後輩は、こうして長い選挙戦を乗り切った。

 投票結果が出るのは明日。


 どのような結果が出ようとも、俺たちは受け入れる準備ができている。

 だけど、俺には確信めいた予感があった。


 それについて、今この場で言及するのは、それこそ無粋と言うものである。

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