第462話 激震の桐島家

 その日の晩飯はカレーライスだった。

 しかも、うちではめったにお目に掛かれないシーフードカレー。

 ちくわを入れて「シーフードカレーよ!」とか、ふざけた事を抜かす母さんだが、ちゃんと海老とかイカとか入ってるヤツ。


 伝説のスーパーサイヤ人くらいレアなメニューの出現に、心躍るのは俺。

 まだかしら、まだかしらと、スプーン片手にテーブルで待機。


 そんな俺を父さんが優しい目で見つめている事に気付き、俺は質問した。


「どうしたんだよ、父さん。なんかあったの?」


 すると、父さんは優しい笑顔を顔に貼り付けたまま、少し言い出し辛そうに口を開くのである。


「あのな、公平。父さん、今日、社長に呼び出されたんだよ」

「……ちくしょう。なんてこった」


 全てを悟った俺は、一本だけ電話をさせてくれと父さんに頼む。

 頷くのと同時に光る切ない頭頂部。

 ああ、ついに来てしまったのだな。


「おう。もしもし、毬萌?」

『もしもしーっ! どしたの? もしかして、晩ごはん食べにくるー?』

「いや、毬萌。ごめんな」

『ほえ? どういうことかなぁ?』


「多分俺、学園辞める事になるんだと思う。もしかしたら、引っ越すかも。ごめんな。ずっと一緒に居てやれなくて。今から家族会議だから、切るな。……ごめん」


 毬萌の返事も聞かずに、俺はスマホをテーブルに置いた。

 さあ、この世の終わりの笛の音を聴こう。



「あら、お父さんったら、お夕飯の前に話すの? もう、急なんだから! じゃあ、ご飯冷えちゃうから炊飯器に戻すわね!」

「いやぁ、ごめんなぁ、母さん。やっぱり、こういう事って早く言っておきたいじゃないか。公平も、引っ張られるのは嫌だろう?」


 俺は厳かに同意した。


「おう。どうせなら、一瞬で済ませてもらえると助かる」


「あっはっは! 一瞬は無理だよ、公平。色々と、そこに行きついた経緯いきさつがあるんだから」

「……だよな。おう、分かった。覚悟して聞くよ」


 もうゴッドも分かっていると思うけども、一応確認しておこうと思う。

 父さんに、来るべき時が来た模様。

 この改まった感じはただ事ではない。


 まだ父さんがメンマを営業で売っていた頃、あれは中一の時分だったか、うっかり俺を放置して夫婦水入らずの温泉旅行に出かけた事があった。

 「息子、いなくね?」と気付いたのが三日目の夜。

 その頃、俺は毬萌の家に保護されていたのだが、その時の夫婦謝罪会見だってここまで改まった態度はなかった。


 つまり、息子を三日三晩放置していた事よりも重篤な事実が告げられるのである。



 みんな死ぬしかないじゃない。そして、もう何も怖くない。



「あのな、父さん、昨日は11時で仕事が終わったんだよ」

「マジかよ」


 残業して、23時まで頑張ったのね、と、普通の人は受け取るだろう。

 違うから。

 午前11時だから。


 普通はそろそろエンジンが温まって来て、仕事にも熱が入り出す頃合い。

 父さんの会社は9時出社だから、わずか2時間で退社している。


 尋常じゃねぇや。


「それでな、母さんの作ってくれた弁当持って、競艇場に行ったんだよ。いやぁ、まだ2月なのに、春のような陽気だったなぁ。母さんの弁当も美味しくてね」

「あらやだ、お父さんったら! それは隠し味に、愛情が入っているからよ!」


「そうかぁ! いや、参ったなぁ! 父さんも母さんの事、愛してるよ!」

「ヤダ、この和製ブルース・ウィルス! エビスビールつけるわね!!」



 ああ、ちくしょう。

 なんだかもう、色々とちくしょう。



「それで、どうなったの? 父さん、もっとスピードアップお願いできる?」

「はっはっは! 公平はせっかちだなぁ! 誰に似たんだか!」

「そうねぇ、この子ったら、母さんにもお父さんにも似てないんだから! あれかしら? 深い愛情でデキちゃったから、その影響かしら!?」


 あんたらを親に持ったことによる、後天的な原因だよ!


「ああ、それでね、競艇場でいつも会う、やぶさんって言うおじさんがいてね! この人が、前歯がないんだよ! 父さんは髪がないけどね、ははっ!」

「もう、お父さん! 上手い事言ってー! チーカマ出すわね!」


 ヤブって言葉の響きがもう不吉。

 父さんには髪がないけど、俺には神も仏もない模様。


 ゴッド、ちくしょう、信じてたのに、ちくしょう。


「それでな、藪さんと、9レースで舟券当てた方の言う事を聞こうって話になったんだよ。藪さんってば、父さんの自信のあるレースって知らないで! けっさく!!」

「えっ、もしかして、負けて藪さんの借金の保証人になったの!?」


 俺が想定している最悪のラインがグッと下がった。

 これ、下手すると父さんと仲良く遠洋漁業コースだ。

 高校辞めるとかのレベルじゃねぇや。


「あっはっは! 公平は心配性だなぁ。もちろん、父さんが勝ったんだよ。4コースから見事な捲くりが決まってねぇー! いやぁ、あれは爽快だったなぁ!」


 とりあえず、連帯保証人の線が消えてホッとした。

 すごいなぁ、もう、告げられる悪いことには抵抗する意思がないもん。


「で、父さんはね、藪さんに言ったんだよ。うちの会社のメンマ、山ほど買ってくれないかって」

「またしょうもない事を言うなぁ。酒でも一杯奢ってもらえばよかったじゃん」


 出来もしない事を求めるよりも、そっちの方が建設的だよ。



 と、ここで玄関の呼び鈴が鳴って、話が一度中断。


「俺が行くよ。へーい。どちらさんでー」

「コウちゃーん! いなくなるのやだぁー!! わたしも一緒に方法考えるからぁー!!」


 玄関を開けると毬萌が号泣しながら胸に突っ込んで来た。


「おうっ! すまんな、毬萌。もう、全ては終わった事みてぇなんだ」

「ひぐっ、ぐすっ……。じゃあ、せめてお話一緒に聞く……」


 ああ、こんなにアホ毛をしおれさせて。

 俺ってヤツも、つくづく悪い男である。



「と言う訳で、社長賞のボーナスと、営業部の係長に昇進したよ!」

「あらぁー! お父さん、おめでとう! エビスビールどうぞ!!」



 どういうことなの?



「俺がいねぇ間に話が進んでんじゃねぇか! ちょっと待ってくれよ! なに、つまりどうなったの!? 父さん、クビになったんじゃねぇの!?」

「なんだ、公平、聞いてなかったのかい?」


「この場にいなかったんだよ!!」

「コウちゃーん……」


「おや、毬萌ちゃん。嫁ぎに来たのかい?」

「それはいいから! 大事なところを教えて!!」


 父さんは、やれやれと両手を挙げて、ロバート・デ・ニーロっぽいポーズを取る。

 自分の親じゃなかったらビールをよく振って、顔面にぶっかけてる。



「藪さん、どすこい幸四苑こうしえんって言うラーメンチェーンの会長なんだって言うんだよ! それで、会社のメンマを毎日、千食分仕入れるとか言ってね。まあ冗談だと思ってたんだけど、一応名刺だけ渡しといたんだ。そしたら今日——」



 藪さんがガチの会長で、父さんは1日で超大型契約を結んでいた、と。

 窓際まどぎわどころか、窓の外社員だった父さんの驚天動地きょうてんどうちな報告に、さぞかし会社が混乱したのは想像するに容易である。


 そして、今日社長に呼ばれて、ラーメンチェーンとの営業の担当になり、役職付けないと相手に失礼だからと12階級特進くらいして係長に昇進。

 臨時ボーナスまで出て、給料も爆上がりしたのだと言う。


「父さん? あの、クビになったんじゃねぇの?」

「やだよ、この子は! なんて縁起の悪い事言うんだい! 大出世だよ!」


「だからな、公平。ここからが言いたかった事なんだけどね。そろそろ進路を決める時期だと思うけど、学費の心配はしないで、好きな大学を選びなさい。なぁに、金なら父さんがこれから稼ぐさ!」



「と、父さん……!!」



 父さんのハゲ散らかった頭に後光が差して見えたのは気のせいか。

 いや、気のせいではない。


 覚醒したのだ。

 父さんは、長い長いサナギの期間を経て、ついに蝶へとクラスチェンジ。


「コウちゃん? 学校辞めなくて良いの?」

「おう! 何か知らんが、助かったっぽい! 毬萌っ!」


「みゃっ!? こ、コウちゃん! 苦しいよぉー」

「すまん! だけど、今はなんかを抱きしめてないと、この幸運に耐えられそうもねぇんだ!!」


「あらあら、この子ったら、お盛んだよ! ほら、ご飯食べるよ! 毬萌ちゃんも食べていくでしょう? 今日はね、お祝いのシーフードカレーよ!!」

「みゃーっ! ごちそうになりまーす!!」



 こうして、桐島家始まって以来の激震は、良い激震として幕を閉じた。


 じゃあ最初からそこを言えよ!!!

 そう思いもしたが、嬉しそうに頭を光らせる父さんを見ると、無粋ぶすいである。



 今日だけは、好きなだけエビスビール飲めばいいよ。

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