第457話 おっさんとチョコ
「じゃあねー! コウちゃーん!」
「おう。今日はマジで、ごちそうさまでした。腹いっぱいで幸せだ」
「にははーっ。わたしも、コウちゃんが幸せだと幸せだよー!」
「んじゃ、帰るわ。また明日な」
「うんっ! 帰り道に知らないおじさんがチョコくれても、着いてっちゃダメだからねーっ!! まっすぐおうちに帰るんだよーっ!!」
「俺ぁ子供か!! 言われんでも、そんな危ないおっさんになんか着いて行くかい! じゃあな! 温かくして寝るんだぞ!」
毬萌の家にさよならバイバイ。
これにて、長い長いバレンタインデーは幕を閉じる。
チョコレートに溺れるような、実に甘い時間だった。
しかし、とても充足感がある。
用意していた逆チョコが、ぴったりなくなった事も起因しているのは間違いない。
俺が貧相な腕まくりして作ったかいもあったって訳だ。
何事も、チャレンジしてみるものである。
しかし、逆チョコした場合のホワイトデーの扱いってどうなるのかしら。
やっぱり、ホワイトデーはホワイトデーで、ちゃんとお返しするべきだよな。
いや、なんか自意識過剰とか思われるかも!?
これはアレだな、うちの鬼神に相談案件だ。
そう思い、綺麗にスッキリバレンタインデーの総括をして、締めくくった俺。
だが、俺のバレンタインデーはまだ、終わらない。
「あららー! 桐島くーん! 桐島くんじゃないのー! こんな夜更けに、感心しないなぁー!」
俺の名を呼ぶ軽薄な声。
心当たりがあるので、振り返って鼻の下を確認したら、見慣れたチョビ髭。
学園長である。
「ああ、こんばんは。夜更けって言っても、まだ9時過ぎですよ? この時間なら、予備校とかから帰る生徒も割といますって」
「お、さすが桐島くん! クレバーな切り返しだねぇ! そう言われると、おじさん何も言えなくなっちゃうよ! なはははは!」
この、目上の人から声を掛けられて「じゃあ失礼します」って言い出し辛い状況に、誰か名前を付けて欲しい。
そして、言い出す際の
そうとも、俺は離脱すべき機を失っていた。
さっさと帰っておくべきだったと、激しく後悔することになる。
「学園長は何されてたんですか? ああ、夜のお店に行くところですか?」
「桐島くんは名探偵になれるねー! もしくは占い師! おじさん、反論の余地がないよー。困ったなぁ、てへぺろ!」
このおっさん、もう酒が入ってるな。
早々に切り上げて帰ろう。
「教頭先生みたいに家庭を持った方が良いんじゃないですか? 学園長なら引く手あまたでしょうに」
「ぷー! それがね、聞いてよ桐島くん! 教頭先生ね、また奥さんと娘さんに出て行かれたんだよ! ぷぷー! くすくす!」
すげぇどうでも良いけど、すげぇ悲しい気持ちになる知らせがもたらされた。
「それは、なんつーか。ご愁傷様と言いますか……」
「でね、教頭先生を励まそうと思って、さっきまで飲んでたんだよ! もー、教頭先生の飲むペースが速くってさー! 困っちゃうよねー」
なるほど、教頭が潰れたので、学園長は飲み直しに繰り出すと。
独身貴族ってのは気楽で良いって、こういう人を指して使うべき言葉だなぁ。
「まあ、生徒の俺が
「教頭先生なら、あそこで死んでるよ?」
「えっ!?」
学園長の指さす先には、巨大なゴミ袋が2つ連なっていた。
こんなところに不法投棄とは、許されない行為であ——
——教頭じゃねぇか。
ゴミ袋に見えたの、教頭の腹だよ。もう1個は頭。
ある意味では最悪の不法投棄じゃないか。
「えっ、あの、大丈夫なんですか!? 本当にピクリとも動きませんけど!?」
「それがねー。教頭先生って重たいじゃない? 頑張ってここまで引っ張って来たんだけどさー。なんかもう、良いかなって!」
「良かないでしょう!? 急性アルコール中毒で死んじまいますよ!!」
「えーっ? 桐島くん物知りだねー! じゃあ、ちょっと
こ、このチョビ髭……! 最初からそれが狙いか!!
しかし、マジで死なれたら、チョビ髭と仲良く保護責任者遺棄致死罪である。
ああ、こういう時に甘さを捨てられない自分が憎い!
渋々、そして嫌々、ゴミ袋……教頭の元へ近寄る俺。
そして、ドラクエシステムで、どうあっても俺より前を歩かない学園長。
腹立つなぁ。
「あー。教頭先生? 生きてますかー? 教頭せうわっ、くっさ!!」
強烈なアルコール臭と、動物園のゴリラコーナーみたいな臭いが俺を襲う。
軽く
これ、ゴミの不法投棄じゃないな。
産業廃棄物の不法投棄だ。公害だよ。
「あーあ、桐島くんじゃないかねぇ。君も、一杯ひっかけたのかねぇ?」
「ひっかけますかい。とりあえず、座って下さい。起きられますか?」
どうでもいい話をするけども。
ポケモンでさ、カビゴンが寝て道
俺、子供ながらに「寝てるだけなのに可哀想」とか思ってたんだけどね。
このカビゴンなら、居合切りで一刀両断するかな。
「娘がね、フランス人の彼氏ができたとかでねぇ。家を出て行ってねぇ」
くっせぇカビゴンがなんか語り出した。
「ジュテームとか言うから、おかしいと思ってたんだよねぇ。それからね、嫁がねぇ。カレーうどんでシャツを汚した事を怒るもんだからねぇ。言ってやったんだよねぇ。誰が食わせてやってるのか、ってねぇ」
「サイテーっすね」
「そうだねぇ。最低だったねぇ。まさか、バレンタインデーに嫁と娘が出て行くなんてねぇ。知ってるかい? 桐島くん。時間をいくら戻したって、人は同じ過ちを犯すものなんだよねぇ」
タイムトラベルしてきたみたいに言わないで貰いたい。
このデブが同じ過ちを繰り返した事の
そんなもん、知っとるわい。もうお前、帰れ、ヴァレンティヌス様!
「聞いてよー! それでね、さっきまでガールズバーで教頭先生を励ましてたらね、先生ってば、モモカちゃんの一気コールでテキーラがぶ飲みしちゃってさぁ!」
俺は酒に詳しくないが、「テキーラ 一気飲み」って検索かけたら、一番上に「死亡」って出て来た。
脂肪は付けるだけにしておいてください。
「とりあえず、タクシー呼んで帰ってもらえますか。夜中具合が悪くなったら、迷わず救急車呼ぶんですよ? ガチの時は
「桐島くん……。君って子は、やっぱり優しいねぇ……」
潤んだ瞳でこっち見ないで下さい。思わず殴りそうです。
「桐島くーん! タクシー捕まえたよ! おじさん、偉いかな?」
あんた、一番面倒なババコンガの介抱を俺に放り投げて、どの口が言うのか。
「はい、教頭先生、立って! うわっ、くっさ! はい、歩いて!」
「桐島くん……。これ、良かったらあげるから、食べてくれないかねぇ」
教頭が取り出したのは、洋酒入りのチョコレート。
「本当はねぇ。妻を驚かせるつもりだったんだけどねぇ。世の中ってのは、上手くいかないねぇ……。桐島くん?」
「なんすか?」
「ハッピーバレンタイン」
「運転手さん! 出してください! いますぐに!!」
いつの間にか学園長も自分のタクシーを拾っており、「アデュー」と手を振りながら去って行った。
俺のバレンタインデーが、最後の最後でなんか汚いものに上書きされた。
ちくしょう。そうはいくか。
スマホを取り出し、スッスとやって、ポチリ。
歩きながらの通話は危険?
うるせぇ、コンビニの前まで来てんだよ! 文句あんのか、おおん!?
『コウちゃん? どしたのー?』
「いや、すまん、毬萌。用事はないんだけどな。あの、アレだよ」
『ほえ? なんだろ?』
「ちょっとな、お前の声が聞きたくなってな」
『みゃっ!?』
「ああ、違うんだ。変な意味じゃない。ただな、今はとにかく、すっげぇお前の声が聞きたかったんだ。何でもいいから、少し話をしよう」
『う、うん! 別にいいけど、さっ! コウちゃんってば、いきなりさっ!!』
そして俺は毬萌と、とりとめのない話をした、はずである。
曖昧な言い方になっているのは、俺の記憶中枢がどうもこの辺りの記憶が生命にかかわると判断したらしく、まるっと消去したからに他ならない。
そうだ、今年の俺のバレンタインデーは、最高だった。
ヴァレンティヌス様、今回限りだ。2度目はない。
家の窓から上空を睨み、異国の偉い人を恫喝しながら更けていく、バレンタインの夜であった。
ちなみに教頭のくれたチョコは父さんにあげた。
嬉しそうだったよ。
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