第450話 公平と既に一生分のチョコ

 2月14日。

 とうとうやって来たバレンタインデー。


 鞄の中には逆チョコに備えて、鬼神のお菓子講座で作りに作ったトリュフチョコレートが、実に20袋。

 俺は児童養護施設に寄付でもするのだろうか。

 もう鞄がパンパンである。


 俺を過剰評価してくれる鬼瓦くんを邪険にするのは忍びないので、彼の言うとおりに用意したものの、絶対に余ると思うんだ。

 まあ、いいさ。余ったら俺が毎日少しずつ食べよう。

 そこそこ日持ちするらしいし。


 この時の俺は知るよしもなかった。

 実に長く、気の休まる事のない1日が始まろうとしている事を。



 下駄箱でしなびたスニーカーを履き替えていると、毬萌が言った。

「コウちゃん、今日って日直じゃなかった?」

「……しまった。忘れてた。ちょっと日誌取りに職員室行って来るわ。毬萌は先に教室行っててくれ」

「分かったー!」


 チョコ作りに集中するあまり、てめぇの仕事を忘れるとか、大概である。

 もっと気を引き締めようと思い、職員室へ。


「あら、桐島くん。おはよう。早いのね」

「やあ。今日は生徒会に朝の仕事を割り振っていないと思ったけど?」


「おはようございます。大下先生、浅村先生。あの、高須先生おられます?」


 ちなみにうちの担任は高須先生。

 40半ばで二児の母。実に気性の穏やかな優しい先生。

 あまりにも優しいので、2年が終わろうとしているこのタイミングまで名前を出しそびれていた。

 すみません。高須先生。


「ああ、日直かい? だったら、日誌は持って行って良いよ。僕から高須先生に伝えておこう」

「うっす。助かります。では、失礼します」

「あ、待って、桐島くん。はい、これ。タイミング良く来た君に、チョコレートをあげましょう」


 大下先生が、なんか高そうなチョコを差し出して来た。


「えっ!? 良いんですか!? むちゃくちゃセレブな見た目ですけど!?」

「ああ、いいの、いいの! チョコレート代は、男性の先生方からお返しで回収することにしているから。ね? 浅村センセ?」

「参ったなぁ。前向きに善処しますよ」


 実に呆気なく、1つ目のチョコをゲットしてしまった。


 ああ、いかん。

 ほうけていないで、逆チョコだよ、逆チョコ。


「じゃあ、大下先生。こちら、お口に合えば良いんですけど」

「あら! 桐島くんが作ったの!? やだ、これはポイント高いわよー! あなたがもう10歳年を取っていたら、ディナーを一緒にしても良いくらい!」

「からかわんで下さいよ。そんな大したものじゃないっす」


 すると、浅村先生と大下先生が顔を見合わせて含み笑い。

 あらヤダ、なんだか大人な感じ。


「桐島くんはきっと社会人になったらモテるだろうねぇ。いや、もう既にモテてるみたいだけど。その素養は天然ものかな?」

「そうですね。恋人や奥さんが苦労しそう。うふふっ」


 ありもしないお褒めの言葉をとりあえず頂戴して、俺は職員室を出た。

 ……貰えるものなんだなぁ。チョコレート。


 いやいや、待て。

 大下先生は大人の女性。俺みたいなエノキタケに慈悲をくれただけだろう。

 こんな事で勘違いするほど、俺は安くできちゃいないよ。


「桐島先輩、おはようございます!」

「おう。松井さん。君も日直だったか」

「はい。あ、でも、先輩にも用があったので、ちょうど良かったです!」

「おう。何だろう。俺でお役に立てると良いが」


 すると松井さんは首を横に振る。


「あ、いえ、お願い事ではなくてですね。これ、受け取って下さい! いつもお世話になっているお礼です!」


 チョコレートである。

 しかも、手作りっぽい。


「お、おお、マジか。ありがとう。義理チョコにまで手間かけるとか、偉いなあ松井さんは」

「ふふ、本命寄りの義理チョコですよ? 先輩がフリーだったら、もしかすると今日告白していたかもしれません! なーんて! 失礼します!」


 やべぇな。すげぇドキドキした。


 みのりんさ、花梨に影響されてちょっと小悪魔属性を手に入れ始めてない?

 と、いかん! そうじゃない! 逆チョコ! お返しせにゃあ!!


「松井さん! 待ってくれ! これ、お返しになるか分かんねぇけど」

「わっ、すごい! 桐島先輩の手作りですか!? 嬉しいです! ありがとうございます!」

「お、おう。大したものじゃなくてすまんが」


 そして松井さんは職員室へと消えて行った。


 この短時間で、2個目のチョコが。

 マジかよ。あれ、これ現実かな?


「副会長! チョコ好きですか!?」

「ひぃやぁぁぁぁぁぁっ!?」

「うわっ、どうしたんですか!?」


 ソフトボール部の片岡さんだった。

 そして彼女までもが俺にチョコを差し出している。

 そりゃあ叫び声も出るさ。

 のっぺらぼうの怪談みたいな展開になってきた。


「これ、去年色々とお世話になったお礼です! うちの部員全員からです!」

「お、おお、おう。ありがとう。じゃあ、これ……」


 片岡さんにチョコの包みを2つプレゼント。

 全部で12個あるから、部員全員に行き渡るだろう。

 そして、彼女も俺の手作りチョコを褒めてくれ、笑顔で去って行った。



 これ、マジのヤツじゃん。



 俺が、この俺が、チョコレート祭状態フィーバーに?

 嘘だろうとはもう言えない。

 朝の15分間で、既に3つのチョコ。

 人生の記録を更新してしまった。


 これまでの記録? 2つだよ。

 母さんと、毬萌の母ちゃんから貰った年があった。


 そして、教室で日直の仕事をこなして、2時間目まで授業もこなす。

 お花を摘みに行くために廊下へ出ると、堀さんが立っていた。


「桐島くん、これ受け取ってくれる?」

「えええっ!? ゴリさんまで!?」


「ああ?」


「失敬。堀さん、高橋がいるのに俺なんかにチョコくれて良いの? あいつ、いじけたりしない?」

「もう、タカシくんにはちゃんと特別なヤツをあげるんだよ! これは、私とタカシくんからのお礼! 私たちが付き合えたのって、桐島くんのおかげだし!」


 そう言って差し出すのは、マカダミアナッツチョコレート。

 明治のヤツ。これ大好き。

 なるほど、俺の好物をチョイスしてくる辺り、確かに高橋が一枚噛んでいると見て間違いなさそうだ。


「おう。じゃあ、遠慮なく。でも、俺がいなくても、多分高橋と恋人になってたと思うよ? だって堀さん、可愛いし」

「も、もう! 桐島くんはすぐそうやってからかうんだから!」



 ——ゴッ!!!!!



 ああ、この右肩から全身に広がる鈍痛。

 この痛みがさ、教えてくれるよね。

 俺のチョコレートカーニバルが現実に起きている事だってさ。


「ほ、堀さん、ちょっと、ちょっと待ってて……」

「え? うん。分かった」


 俺は、右肩をダラリとぶら下げて、自分の机へ。

 チョコを、逆チョコをお返しせねば。


「ヒュー! 公平ちゃん、どうしたんだぜぇー? おっと、言わなくても当てて見せるぜぇー! さては、ウォーキングデッドごっこだな? ヒュー!!」


 お前の彼女に照れ隠しでぶん殴られたんだよ。


「ひとつだけ頼みがある。高橋、堀さんに格闘技をヤメるように言ってくれ。ああ、いや、それが無理なら、普段からグローブ付けるように言ってくれ」

「ヒュー! 公平ちゃんのユーモアは濃厚だぜぇー! プロボクサーじゃあるまいし、ジュエリーを何だと思ってるんだぜぇー?」


 学園内で指折りの危険人物だよ。


「分かった。もう良いや。今日は堀さんとよろしくやるんだろ? 節度は守れよ」

「ヒュー! オレっちは、結婚するまでキスもしないって、自由の女神とマリア様に誓った男だぜぇー? ヒュー!!」


 お前は本当に立派だよ。高橋と堀さんに幸あれ。


「堀さん、お待たせ。これ、大したもんじゃねぇけど、高橋と一緒に食ってくれ」

「えー? ありがとー! 桐島くんが作ったんだ! すごいね!」

「おう。食べさせあいっこしたら良いよ」


「も、もう! そんなことしないってば!」



 ——ゴッ!!!!!!!



 青息吐息でトイレまでたどり着き、とりあえず個室に入って呼吸を整える。

 痛みをこらえるには呼吸が大事だって炭治郎も言ってた。


 それにしても——。


 これはとんでもない事が起きている。

 これまで頂戴したチョコは、もちろん義理だと分かっているとも。

 が、問題はそこじゃない。


 女子が次々と俺にチョコをくれる。


 これは明らかに異常事態である。

 もしかして、北海道と四国の場所が入れ替わるのだろうか。



 この後、さらに目まぐるしい展開が待ち受けているのだから、もう大変。

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