第438話 スタイリスト心菜ちゃん

 風呂に入ろうとしたら、スマホがピカピカ光っていた。

 誰かがラインで何かしょうもない事でも呟いたのかしら。

 そんな横柄な態度でスマホを手に取ってベッドにダイブ。


 氷野心菜と表示された不在着信の履歴。



 まさかのご無礼。この命で償えるだろうか。



 急ぎ折り返す。

 着信は45分前である。

 1回のコール音が永遠に感じる。


 万が一、心菜ちゃんが気分を損ねていたらどうしよう。

 あまつさえ、「電話に3コール以内に出ない兄さまなんて嫌いなのです!」なんて言われたら、俺はどうするだろう。


 この世界線に見切りをつけて、転生まであり得る。


 長い……長いぞ、いつもならもうとっくに心菜ちゃんが出る頃なのに。

 ダメだ、死のう。


「はわわ! 兄さま、ごめんなさいなのです! お風呂入ってたのですー!!」



 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!



 諦めかけていたタイミングで急に心菜ちゃんが、もとい、湯上り心菜ちゃんがスマホの画面に映ったものだから、俺の心臓が一瞬鼓動を止めた。

 そののち、今度は興奮で心臓が早鐘を打つものだから、血圧の急降下からの急上昇で眩暈めまいがする。


 だけど、これで仮に死んでも俺ぁ、悔いはないんだよなぁ。


「兄さまー?」


 はっ!? いかん! 俺はまだ生きているのだった!

 ならば、口を動かして言葉を紡がねば。


「いや、さっきはごめんね心菜ちゃん。電話に出られなくて。本当にごめん!」

「謝らないで欲しいのです! 心菜も今、お風呂に入ってたから、おあいこなのです! 兄さま、さっきはきっとお勉強してたのです!」

「お、おう。そうね、世界平和について考えてた」



 嘘です。

 ライトセーバー片手に、オリジナルのカッコいい始解しかい解号かいごう考えてました。



「やっぱり兄さまはすごいのですー!!」


 ぐあぁぁぁぁっ。む、胸が痛いぃぃぃ。

 俺、しょうもない嘘でこんなに胸が締め付けられるの、初めてだ。


「ぐぅぅぅっ。そ、それで心菜ちゃん? 俺に何か用かな?」

 罪悪感で押し潰されそうになるため、本題に入ろうとする卑怯者。


 貼り付けにされて石を投げられても、俺は文句を言わない。


「そうだったのです! 兄さま、女の子の服に詳しいです?」

「えっ」


 全然詳しくありません。


 そう言えば良い。だって、それが真実であり、俺の全てなのだから。

 なのに、それなのに、俺ときたら、口が動かない。

 心菜ちゃんの期待に応えられない俺なんて、そんなのタダのキノコじゃないか。


「お、おう。まあ、アレだね。うん。それなり、かな?」


 ダメだ。今日の俺はどこまでも愚か。

 どんどん堕ちていく。底なし沼である。


「やっぱり兄さまは物知りなのです! あのあの、心菜と一緒にお洋服を選んで欲しいのです! 兄さまの好みを知りたいのです!!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


「兄さまー?」


 ああ、いかん。小首をかしげる心菜ちゃん。とても可愛い。

 しかし、違う、そうじゃない。

 会話を成立させなければ。


「こ、心菜ちゃんは、俺の好みのお洋服を知って、どうするんだい?」


 俺色に染まりたいのかい?

 俺は明日死ぬのかい?


「姉さまの服を一緒に選んで欲しいのです!」

「……うん?」


 姉さま。心菜ちゃんの姉さま。つまり、丸子姉さん。

 俺は急激に冷静さを取り戻し、心菜ちゃんの話をじっくりと聞いた。

 端的にまとめると、こうなる。


 家族写真を撮るから、氷野さんの洋服選びを心菜ちゃんは俺と一緒にしたい。


 実に光栄な事であるが、俺色に染める対象が氷野さんに変わっただけで、なんだろう、このクールな思考回路は。

 さっきまでショート寸前で、今すぐ会いたいわだったのに。


 とりあえず、明日の放課後、心菜ちゃんとマンションの前で待ち合わせ。

 生徒会の仕事は、そうだな、持って帰るか。



 そして翌日。

 午後5時前。

 俺はそろそろ来慣れてきたマンションの前に到着していた。

 心菜ちゃんをお待たせしないようにするのが俺のジャスティス。


「兄さまー! お待たせなのです!!」

「はぁぁぁぁぁっ!! ……やあ、心菜ちゃん。全然待ってないよ?」


 心菜ちゃんの制服姿。うん。可愛い。

 もういっそ、俺、転入したい。アリエル女学院に転入したい。

 そのためならば、俺は公子きみこちゃんの封印を解いても良い。


「姉さまが帰ってくる前に、お部屋に行くのです!」

「えっ。氷野さんの許可を貰わないで勝手にお部屋に入るのはまずいなぁ」

「でもでも、内緒で選びたいのです!」



「じゃあ仕方ないね! 内緒で入ろう!!」

「わぁーい! 兄さま、優しいから好きなのです!!」



 そして潜入、氷野さんのお部屋。

 相変わらず、綺麗に片付いている。


美子みこ姉さまが帰って来るのです! 成人式なのです!」

「美子姉さま? ああ! 氷野さんのお姉さんか! 大学生の!!」


 お名前を存じ上げなかったが、そうか、美子さんと言うのか。

 今年の成人式は、確か市長の都合で本来の成人の日の翌週の日曜に行われるとか、そんな事が市の広報誌に書いてあった覚えがある。


 市長、別にいらねぇんじゃねぇかな。


 とは言え、そう決まったからにはそれに従わなければ式に出られない。

 家族が勢ぞろいするタイミングで、家族写真を撮るのが氷野家の習慣らしい。


 そして、氷野さんの服を選びたいと言う心菜ちゃん。

 聞けば、学校でファッション誌を皆で見ていて、コーディネートに興味を持ったからだと言う。


 大変尊い。素晴らしい理由である。


 先ほどから、氷野さんのクローゼットを開けて、これじゃない、あれじゃないと、ゴソゴソ服を発掘している。


 もうその姿が尊い。一生見ていたい。


 が、その時はやって来た。


「ただいまー。あら、心菜ー? 誰か来てるの? ……って言うか、なんか見覚えあるわね、この靴。心菜ー?」

「お、おかえりなさい。丸子姉さま」



「……あんた。人の留守に人の部屋で、何してんのかしら?」

「弁解をさせて下さい。お願いです、すぐに殺さないで」



 号泣謝罪会見と、心菜ちゃんの弁護で、どうにか命を繋いだ俺である。


 氷野さんも優しくなったよね。

 ローキック一発で許してくれたもん。

 こんなの、もうご褒美だよ。


「そうなの! 心菜が選んでくれるなんて、嬉しいわね!」

「兄さまの意見も聞くのです! 男子目線の、もてこーで、がトレンドなのです!!」


「ふぅーん。兄さま、まさかモテコーデに造詣ぞうけいが深いとは、知らなかったわ」

「ごめんやで! そんな、じっとりとした目で見んとって!」

「……はあ。まあ、実際、家族写真の時って何着たら良いのか、毎回悩むのよね。だから、公平のしょうもない意見も聞く価値はあるかも」


 氷野さんにしては、何と言うか、慈悲深いお言葉。


「家族写真って、そんなにかしこまるもんかな? 俺んちなんて、高校入学の時の写真、父さんはハゲ散らかして、母さん30年物のスーツで撮ったよ?」

「……公平の家もなかなか特殊ね。うちは、親がちょっと厳しいから。はしゃぎ過ぎないで、しかも固すぎない服、とか言われても、困るのよね」


 ははあ、なるほど。

 厳格なご両親だとは聞いていたが、そんな細かい注文まで付くのか。


「姉さま、姉さま! このスカートが良いと思うのです! 丈が適度に短くて、んと、えーと、ふぇみにん、なのです!!」


 とりあえず、ファッション用語を背伸びして使う心菜ちゃんが激カワ。


「心菜が言うなら、それにしようかしら。……ほら、男子目線の意見は?」

「おう。氷野さん脚長いから似合うと思う。普通に可愛いよ。絶対」

「……あんたは誰かれ構わずに可愛いを連呼するから、信用できないのよね」


「姉さま、上着はこの白い、えっと、にっとが良いと思うのです! シンプルなのに、かじゅあるであくてぃぶ、なのです!」

「おお! 良いなぁ! 氷野さんスタイル良いから、ちょっとモコモコしたヤツでも細く見えるし! と言うか、結構オシャレな服持ってんのね、氷野さんって」


 すると、氷野さんはバツが悪そうな顔をして、口先を尖らせる。


「姉さんのお古なのよ。姉さん、私と全然タイプが違うから。服の趣味もコロコロ変わるし、性格もかなり軽いの。まあ、着るものに困らないのは助かるわ」


「ほへぇ。俺にゃ機会がなさそうだけど、一度会ってみてぇなぁ。氷野さんファミリーにも。どんな家族なのか興味があるよ」



 こんな社交辞令を言うものだから、ゴッドがイタズラをしてくる訳である。

 よもや、氷野さん一家の団欒に俺が混じる事になろうとは。


 この時は思いもしなかった。

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