第427話 冬の日のサイクリング
「おっはよー! コウちゃーん!! にへへっ、楽しみだねっ!!」
「おう……。まさかこの俺がサイクリングする日が来るとはな」
「わたしもビックリだよぉー! コウちゃん、自転車好きなんだねっ!」
好きじゃないよ。
「……まあな。実はそうだったんだよ」
氷野さんが誘ってくれたのに、「俺ぁ自転車で遠出なんかせんわ!!」とか言えると思うのか。
今年の冬は寒いけども、俺の心はそんなに冷えてはいないのだ。
とは言え、サイクリング。
その名前の響きだけで既にちょっと具合が悪いまである。
「あら、2人とも早いわね! おはよ!」
「マルちゃん! おはよーっ!!」
氷野さん登場。
昨日修理した、と言ってもチェーンはめ直しただけだが、自転車は順調そうで何より。
みんなの自転車は本格的ななんとかバイクみたいな車種ではないが、変速機のついたものなので、割と普通にサイクリングが楽しめるとか。
俺の自転車?
よくぞ聞いてくれた。
これまで、度々登場してきたがその姿は神秘のベールに隠されて来た愛車。
毬萌の家に行くのも、冴木邸に行くのも、氷野さんのマンションに行くのも、リトルラビットに行くのも、いつもこいつと一緒だった。
ママチャリ。
もうオチまで見える?
奇遇だね。俺もだよ。
ただでさえ体力が後期高齢者を
「桐島さんとこの子を見てると、なんだか自分に自信が湧いて来るねぇ!」とか言われている事も知っている。
人をオルニチン配合の健康食品の個人的な感想みたいに言わないで欲しい。
そんな俺が、ママチャリで初サイクリングに挑むと言う。
自分で言うのも悲しいが、自分で言うしかないので言うけども。
サイクリングを舐めないでもらいたい。
絶対に道中で死んじゃうパターン。
むしろ、それ以外のパターンが起きること自体が異常事態。
「それで、今日はどこまで走るのかな? そこのファミマくらい?」
「おつかいか!! って言うか、うちのマンションから毬萌の家までの間にファミマ2軒もあるわよ!! 今日はね、
はい。死んだ。
宇凪臨海公園と言えば、去年の夏に毬萌と花火を見た思い出深い場所である。
あの時は、色々と恥ずかしい事をしでかしたものである。
その思い出が今日、地獄に上書きされるけどね。
「みゃーっ! コウちゃん、自転車見せてーっ!」
「おう。好きなだけ見てくれ。こいつの遺影も撮ってやんねぇとな」
「大丈夫よ、公平。あんたにも無理のないペースで走るから。心配しないでよ」
氷野さんの優しさは嬉しいが、俺は静かに視線を落とす。
とても親愛の情に満ちた彼女の目を直視できない。
無理ないペースって、だいたい幼稚園児が走るくらいの速さだけど。
幼稚園児は自転車に乗れない?
じゃあそこは俺の勝ちで良いよ。三輪車にでも変えといて。
臨海公園まで、どう見積もっても10キロはある。
絶命のセリフはどれにしようかなぁ。
いや、何を弱気な事を言っている、桐島公平。
生徒会の任期だって終わりが近いのに、この程度で泣き言を?
ちゃんちゃらおかしい!
そんな雑に作られたところてんのように俺の決意はフニャフニャでスカスカだったのか。
とりあえず、やれるだけはやってみよう。
俺は、まずスマホを取り出した。
「あ、もしもし、鬼瓦くん? ごめんね。助けて。今すぐ自転車に乗って来て欲しいの。多分ね、俺死んじゃうから」
5分で道路の向こうの方で土ぼこりが舞う。
耳を澄ませると、ほら。「ゔぁあぁあぁぁっ」って、元気な鬼神の声がする。
「ぜんばぁぁぁぁい!! ご無事ですかぁぁぁぁぁっ!?」
「うん。まだ生きてるよ」
「公平、あんた……。最初からジョーカー切って来るとか、自分の体を少しは信じてあげなさいよ! 平気よ、ちょっと10キロそこら走るくらい!」
「せ、先輩!? 桐島先輩!? 10キロ走られるんですか!? どうしてそんな無茶を!? し、死ぬ覚悟ですか!?」
「氷野さん? 氷野さんが最近俺の事を買ってくれてるのはむちゃくちゃ嬉しい。けどね、これが一般的な俺への評価。そして、正しい評価とも言える」
俺の足に縋りつき、戦地に赴く旦那に「行かないで」と懇願する嫁役の鬼瓦くん。
大丈夫さ、鬼瓦くん。
生存率を1パーセントでも上げるために、俺は君を呼んだんだ。
事情を話さずとも、彼は俺の目を見て頷いてくれた。
「最期は僕が看取ります」「そうか。あかんか」「はい」「そうか」
僕らはいつも以心伝心。鬼神の心繋ぐテレパシー。
どうやら、鬼瓦くんをもってしても俺の生存確率は極めて0に近いらしかった。
そうだ、最期に毬萌を抱きしめておこう。
「みゃーっ! できたよ、コウちゃん!!」
「俺の遺影? って、ナニコレ。俺の自転車、こんな物々しかったっけ?」
俺の自転車の右側に、なんかよく分からんが変な装置が付いていた。
毬萌に説明を求める。
「これはね、ゴーゴーコウちゃん1号だよっ!!」
「お前の作るコウちゃんシリーズで良い目にあった事がないのだが」
毬萌が説明するには、原付バイクの範疇につくかつかないかのスレスレまで機動性を上げた、スーパー自転車らしい。
嫌な予感しかしないが、既に退路はないのだ。
「平気よ、公平。だって、私も去年の春くらいまで自転車乗れなかったのよ? あんたが練習に付き合ってくれたんじゃない」
もちろん、その思い出はしっかりと俺の中に残っている。
あの頃の氷野さんは、もうちょっとトゲトゲしてたよね。
「でも、氷野さんはさ。その1か月後に原付の免許取ったよね? ついでにその数か月後にはバイクの免許も。元から才能があったんだよ」
「うっ……。なんか、私が力をひけらかしたみたいにしないでよ。……その後の免許が取れたのも、元は公平が一緒に練習してくれたおかげなんだし」
「あ! その照れた感じは良いね! 最高! そのままもう一回同じセリフ言ってくれる!? 今度は目線くれると嬉しいな! もう一回撮るからぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「ちょ、調子に乗るんじゃないわよ! もう! あー、もう! どうして公平はこんなに公平なのかしら!? 腹立つわね!!」
「おう。なんか哲学的な問答が始まっちまったか。毬萌、これ、マジで大丈夫なヤツ? 乗った瞬間に制御不能になって、ちょっと行った川に突っ込むとかしない?」
俺が自爆するだけならまだしも、
車道を走る訳だし、そこの確認は万全にしておきたい。
「平気なのだっ! ゴーゴーコウちゃん1号が右側に付いてる理由は、万が一車道に倒れそうになった時にはちゃんと左側に自転車ごと吹き飛ぶようになってるよっ!」
「そうか! そんなら安全だ!!」
「……氷野先輩。安全の意味が僕の中で崩れていくのですが」
「鬼瓦武三。この2人の感覚に慣れたら、それは人としてのラインをいくつか越えてるから、注意しなさい」
「……なんと、氷野先輩ほどの毬萌先輩ガチ勢でもですか?」
「毬萌の事を熟知していれば、おのずとこの結論に辿り着くのよ」
「勉強になります」
「おし。色々と不安はあるが、せっかくこうしてみんなで集まったんだ。サイクリングと洒落こもうか。何かの時には俺を置いて先に行ってくれ!」
「にははーっ! コウちゃんが最初から死亡フラグ立ててるーっ!!」
「私が発案者なんだから、公平は引きずってでも完走させて見せるわ!」
「ゔぁい! いざと言う時は僕が責任をもって引きずります!!」
俺の途中リタイアの権利がスタートの前に消滅した。
残ったのは、完走か、市中引き回しの刑か。
こうなったら、もうアレだ。
ゴーゴーコウちゃん1号よ、お前に全てがかかっている。
俺の自転車での活動限界は3キロ。
良いな。それを越えると、俺も自分を制御できる自信がない。
「それじゃ、行くわよ! 歩行者と車に気を付けて、マナーを守って走りましょう! 途中からはサイクリングロードに入るから、それまでは特に注意よ!!」
こうして、俺の新年一発目、命がけの体張る系企画が始まった。
今年の明暗を占う意味でも、これは是非とも完遂したい。
俺の未来の色は、何色だろうか。
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