第421話 花梨と手袋

「ほらぁ! 見てましたか!? せんぱーい!!」


 花梨が15メートルほど向こうで、誇らしげな表情。

 多分、その魅惑のバストをやはり誇らしげに張っているのだろう。

 近づくと確実にダメージを受けるが、近づかないとナンパの餌食になるかもしれない。


 やむを得ない。

 俺は水中に沈み、スイーッと潜水泳法で花梨に接近。


「おう。上手に泳げてたなぁ!」

「ひゃあっ!? も、もぉー! 先輩、いきなり足元から出現しないでください!!」

「いや、しかし俺の泳ぎで接近するにはこれしか方法が」

「もぉー。でも、潜水してたらあたしの事も分からなかったんじゃないですか?」


 先に告知。

 どうして俺は「水着の柄で分かるよ」と言わなかったのでしょうか。



「そりゃあ! 花梨の尻が見えたら! 一発で分かるよ!!」

「……せんぱーい? あたしのお尻、おっきいですか?」


 事故の原因の多くがうっかりによる確認ミスだと言う。

 たった今、事故った俺も多分に漏れず。なんと浅はか。


 しかし、今日の俺はロマンティックあげるよモード!

 事故は避けられなくとも、その後の処理が肝心なのだ!!


「いや、花梨の尻、俺ぁ大好きでなぁ! もう、世界一のお尻だと言っても良い! アレだよ、なんだったら、毎晩抱きしめて寝たいくらいのお尻だよ!!」



 事後処理がどうしたって?



「も、もぉー! 分かりました! 分かりましたから、ヤメて下さい! は、恥ずかしいじゃないですかぁ!!」

 赤面の花梨さん。


「おう。ちょいと失礼。ふむ。なんだか頬っぺたが熱いな。まさか、風邪ぶり返したか!?」

「先輩のせいに決まってるじゃないですかぁ! もぉー!! あたしは元気ですぅ!!」


 とりあえず元気ならよかった。

 よし、次の流れるプールで俺は挽回する!


「いやぁ、すげぇもんが世の中にはあるんだなぁ。なにこれ、すげぇ!」

「ふーんだ。カップル浮き輪って言うんですよ! 先輩の鈍感!」

「いや、違うんだぞ? 花梨のお尻は、もう言葉にしたらラノベの1章を軽く超えるくらいのボリュームになるのは確実で!! あ、ボリュームってサイズじゃないよ?」


「ふふっ、分かりましたぁ。あたしの負けです! 先輩があたしの事を嫌な気分にさせないようにしてくれてるの見てたら、何でも許しちゃえそうですよぉ」

「おお、さすが花梨、理解があるなぁ! きっといいお嫁さんになるぞ!」


「た・だ・し! 浮気はぜーったい許しませんからね!?」

「誰に言っとるのか分からんが、俺ぁ浮気なんてしない男だぜ?」

「さっき心菜ちゃんのエプロン姿を車の中で嬉々ききとして見せて来た人の言うことは信じられません!!」


 しまった。アレも浮気の範疇はんちゅうなのか、花梨さん。

 でも、天使の写真をあがたてまつるのって、普通の事なんじゃないの?

 口に出すとまた面倒な気がするから、言わないけどもさ。


「それにしても、流れるプールって良いなぁ。すげぇリラックスできるじゃん」

「ですねー。先輩とくっ付いたままって言うのがポイント高いです! でも、先輩? あたしに気を遣ってませんか?」

「おう?」


「だって先輩、やっと泳げるようになったあたしと違って、水泳得意じゃないですか! 泳ぎたいのに我慢させてるのかなぁって」

 気の利く後輩の頭の上にポンと手をのせ、俺は首を振る。


「俺ぁ、こうして花梨と喋ってるだけで楽しいぜ? それにな、ここって他のお客さんもいるだろ? あと、女性のお客さんが特に」

「へっ? ああ、はい。そうですね。なんですかぁー? 目移りですかぁー?」

「違う違う! 俺の泳ぎと言えば、潜水だろう?」

「はい! 水泳記録会の時の公平先輩、とってもステキでした!」


「おう。そう思ってくれるのは、多分この施設で花梨だけなんだ」

「どういうことですか?」


「潜水で泳ぐとね。覗き目的だと間違われるんだよ……」

「ああ……。なるほどです……」


 実際、過去に毬萌と安い市民プールに遊びに行った時など、だいたい2回、多けりゃ4回くらい監視員の人に注意されていたんだもの。

 そりゃあ、自然とプールから足も遠のくわい。



 ひとしきり波に揺られて満足した俺たちは、プールサイドへ移動。

 水着でちょうど良い温度設定バンザイ。

 外は今日も小雪が舞うらしいのに、俺たちの恰好のなんと開放的な事か。


「せーんぱい!」

「おう!? ビックリした! 花梨め、やるようになったな!」

「えへへー。本当は後ろから抱きついて、だーれだってやりたかったんですけど、手がふさがってましてー」


 そう言って花梨は、可愛いバスケットケースをテーブルに置いた。


 おのれバスケットケース。

 お前がいなければ、俺は背中に幸せがやって来た事実。

 忘れぬ、忘れぬぞ。


「あー。先輩、今、いやらしい事を考えてましたね?」

「バカ言っちゃいかんよ! 俺ぁ、まったくこれっぽっちも惜しい事したなぁなんて思っとらんとも!!」

「初めて会った時から、先輩は胸が好きですねぇ。困った人です!」


「えっ!? ちょいと待って! 初対面の時、俺が胸見てたのバレてた!?」

「はい! バレバレです! そのあと、ええええんっとか言ってました!」


 ヤダ、ちょっとだけ死にたい。

 4月からこっち、ずっと頼れる先輩を装っていたところ、まず最初にドスケベが顔を出していた模様。


「まあまあ、先輩、気を落とさないでください。あたしは全然気にしてませんので! それより、見て下さい! じゃじゃーん!! サンドイッチですよ!!」


 バスケットケースの中から出て来たランチボックスには、色とりどりのサンドイッチと付け合わせの唐揚げが待っていた。


「おお! 美味そう! 食っても良いかな?」

「もちろんですよ! どうぞどうぞー」


 シンプルなハムサンドとボリュームのあるカツサンドを両手にもって食べる行儀の悪い男。

 それは俺である。


「むっちゃくちゃうめぇ! 花梨、覚えててくれたんだなぁ。この前、俺が今度サンドイッチ食いたいって言ったこと」

「へぁっ!? せ、先輩の方こそ、覚えててくれたんですか!? あの、鬼瓦くんたちと一緒に植物園に行った時の事!」


「忘れるわけないでしょうが。花梨の言った事やした事は、だいたい覚えんぞ。おー。こっちの厚切りハムのヤツ、ちょうど良いピリ辛だなぁ! うめぇ、うめぇ!」


 花梨と言えば激辛使いの名手である。

 しかし、今や彼女は手加減と言う技法を習得した。

 つまりは無敵である。


 そして、花梨の手作りサンドイッチを堪能させてもらった。



「ふぃー。腹いっぱいだ。こりゃあ、しばらく泳げんぞ。俺としたことが」

「あはは! そんなに食べてもらえて、あたしは嬉しいですよ! 先輩とお話してるだけでも楽しいですし!」


「そうだ。忘れねぇうちに。これ、しょっぺぇもので申し訳ねぇが、ささやかなクリスマスプレゼントだ」

「えっ!? ええっ!? せ、先輩からクリスマスプレゼント!! ど、どうしよう、あたし何も用意してませんでしたぁ!! どどどどど、どうしよう!!」


「落ち着きなさいって! 花梨はめちゃくちゃ手の込んだ弁当作って来てくれたじゃん。朝、早起きしたんだろう? それだけで、充分なプレゼントだよ」

「そ、そうですか? 本心からそう思ってます? 気を遣ってたら嫌ですよ!?」

「ははっ。思ってる、思ってる」


 そして俺の家にあった井筒屋の包装紙が花梨の手によって開かれる。

 井筒屋で買ったものじゃなくてごめんね。


「わぁ! 手袋! しかも手編み風!」

「あ、すまん。手編み風の既製品じゃねぇんだ。俺が編んだ」


「へっ!? 本当の!? て、手編みですか!? …………っ!!! だ、大事にします!! 一生!! 先輩の手編み……!! えへへへ……」


 その時の花梨の表情はまさに花が咲いたようで、それだけでコツコツ夜なべした労力は報われたと考えるに足るご褒美であった。


「あの、でも、これって、毬萌先輩には?」

「二人とも、仲良しだなぁー。大丈夫。君らの勝負のタイミングまで、俺ぁ公平に二人を扱わせてもらうぜ。なんせ俺の名前だからな。信憑性は抜群!」


 花梨は、「えへへ、そうですかぁ」と呟き、大事そうに手袋を頬に当てていた。



 それから腹ごなしにもうひと泳ぎして、俺たちは帰宅。

 こうして、遅れて来たクリスマスデートは終了。


 俺は彼女たちのサンタクロースになれただろうか。

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