第297話 毬萌と徒競走

 さて、体育祭が始まった。

 冷えた麦茶が美味い。


 過度のストレスによって俺の言語中枢がバグったと思われるのは心外である。

 ちゃんと体育祭は始まっているし、冷えた麦茶もしっかり美味いのだ。


 俺が居るのはテントの下。

 各学年、色別に割り当てられたテントの下で、自分の出番が来るまでは声援を送ることになっているが、俺は例外。

 生徒会役員は、風紀委員と一緒に『役員テント』の下に集められている。

 その隣には『実行委員テント』が存在し、体育祭の大本営はそっち。

 だが、何か不測の事態が起きて人手不足になった時、人員がすぐに出せるように、実行委員以外の風紀委員及び生徒会のメンバーは一か所に集められている。



「公平せーんぱい! 隣、いいですか?」

「おう。もちろん。花梨も麦茶飲むか?」

「あ、はい! いただきます……? あの、どうして先輩はそんなに飲み物に囲まれているんですか?」

 そうとも、俺の周りには、麦茶とスポーツドリンクの類が山脈を作っている。


「おう。こっちの、これ。ウォータージャグって言うんだってな」

 ウォータージャグとは、スポーツイベントの時によく見かける、蛇口をひねる要領でクイッとやると冷えた飲み物が出てくる、アレである。

 プロ野球のベンチとかにも置いてある、アレである。


「さっき氷野さんが来てな。あんたはすぐに死んじゃうから、これ抱えときなさいって。このウォータージャグを丸ごと置いて行っちまった」

 氷野さんの中で、どうやら俺の生命力はピクミン以下らしい。


「あ、あははは。でも、そっちの凍った麦茶のペットボトルや、凍ったアクエリアスに、ゼリー飲料の数々はどうしたんですか?」

「この麦茶は、さっき鬼瓦くんが。そっちの凍らせたアクエリアスは、ほら、花梨のクラスメイトの松井さんが持って来てくれた」

「えっと、まだ数が合わないんですけど」

 本当だね。不思議だよ。


「他にも、ちょいと面識がある程度の風紀委員の一年生が、俺の脈を計ったり、体温計持って訪ねてきたりしてな。みんな、必ず飲み物を置いて行くんだよ」

 お地蔵様にするお供え物かな?


「ついには、まったく面識のない生徒にまで、生き残って下さい! 自分、そっちに賭けてるんで!! とか言われてな。どうも、俺の知らんとこで色々あるらしい」

 把握している限りだと、献身で見舞ってくれる生徒が7割。

 俺が体育祭のどの辺りで倒れるか賭けが行われており、大穴の完走に賭けた者たちの暗躍が2割。

 残りの1割は、身内、つまりいつものメンバーによる対応である。


「それだけ公平先輩が慕われてるって事じゃないですか!」

「おう。そうだと良いんだが。なんかな、学園内で、俺が絶滅危惧種みたいな扱われ方をされているような気が。……おう? ああ、ありがとう。うん、頑張るよ」

「す、すごい! 喋っている間にも飲み物の差し入れが……! なんだか、公平先輩が芸能人みたいになっちゃってます!!」


 いや、芸能人を前にした高校生は、あんな深刻な顔はしないと思う。

 今の子なんか、年老いた老犬に水を与える面持おももちだったもの。


「桐島公平! まだ生きてるかしら!? ちゃんと水分取ってる!?」

「おう。氷野さん。ははは、まだ最初の競技が始まるところじゃないか」

「だから心配しているんでしょう!? あんた、すぐ死ぬから!!」

 スペランカーかな?


「マルさん先輩ー! 先輩も見に来られたんですね!」

「あら、冴木花梨! ごめんなさい、桐島公平の生死が気になって、挨拶が遅れたわ!」

 なに、その俺の生死が気になってってパワーワード。


 二人が話題にしている競技は、徒競走。

 200メートルを全力疾走させると言う、狂気の競技。

 体育祭の開幕戦でもある。

 いつものメンバーは我らが白組に勢揃いしている訳であり、応援する時も陣営が一緒なのは楽で助かる。


「あ! お二人とも、毬萌先輩の番ですよ!!」

 そうなのだ。

 この競技には、毬萌がトップバッターとして参加している。

 しかも、最終走者のグループ。

 同じグループには、陸上部やテニス部などの運動自慢女子が並ぶ。

 番組編成を担当しているのが誰かは知らんが、よく考えられている。


「生徒会長、頑張ってー!」「会長、負けるなー!」

「他のメンバーも簡単にやられんなよ!」「会長の揺れる胸キタコレ!!」


 なに? いつもみたいに不届き者のチェックはしないで良いのかって?

 うん。平気、平気。

 今、氷野さんファンネルが飛んで行って、粛正ボコボコにしているから。

 今日は楽で良いよ。麦茶飲む? ヘイ、ゴッド。


「ふぅ。良い準備運動になったわ! 毬萌ー! 体に気を付けて、無事に完走してくれたら良いのよー!! とにかく足元に気を付けてー!!」

 氷野さん、過保護な母ちゃんみたいになる。


「毬萌せんばーい! 頑張って下さーい!! ファイトですよー!!」

 花梨の応援はスタンダードで良いね。

 こういうのが良いんだよ。毬萌もさぞかし力が湧いているだろう。


 おう。毬萌のヤツ、こっち向いて手を振ってやがる。

 まったく、しまりのない笑顔を見せてからに。


「あああっ! 今、毬萌が私を見て微笑んだわ! ステキー! 毬萌ー!! 見た、桐島公平!? また私を見て笑ったの、あの子! もう、麦茶飲んでる場合じゃないわよ!!」

 氷野さん、人気アイドルのガチ勢みたいになる。


「ほら、公平先輩も声援を送ってあげて下さいよ!」

「おう。まあ、それもそうだな。おっし」



「毬萌! 負けんなよ!! 頑張れ、頑張れ、負けんなー!!」



 すると、屈伸運動をしていた毬萌のよく通る声が、グラウンドに響く。



「コウちゃーん! あんまり大きな声出すと具合悪くなっちゃうから、座っててー!!」



 続いて巻き起こる、全校生徒の笑い声。

 良いんだよ? 生徒生活を盛り上げるのも生徒会の仕事だから?

 俺が道化を演じることで、みんなが笑顔になるのならそれはそれでぜんぜ



「コウちゃーん! 手首やひざの裏を冷やすんだよー!! すぐに行くから頑張ってー!!」

「ヤメろよ! 俺ぁまだ元気だよ!! お前こそ、走る前に酸素を無駄遣いすんな!」

「平気、平気ー! ごめんねー! コウちゃんに大きな声出させちゃったー!!」



 おい。俺ぁ2回目の道化のオファーは受けてないんだけど!?



 そしてスタートの号砲とともに、走り始めた6人の女子。

 その描写がいる?

 毬萌がぶっちぎりで一等賞だったよ。

 そりゃそうなるよ。あいつ、体力もチートだもん。


「ちょっと、桐島公平!? これ、ちゃんと撮れてる!? どうやって確認するの!?」

 氷野さんは、いつの間にか撮影班から奪ってきた連写の効く一眼レフで毬萌の活躍をフレームに納めていた模様。


「おう。大丈夫、撮れてるよ。15枚中、2枚もちゃんと撮れてる」

 残りは氷野さんが興奮した結果、彼女の指がこんにちは。



 こうして、体育祭は実に賑やかな船出を飾る。

 会長も快調。ヨーソロー。

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