第199話 人混みと繋いだ手
海浜公園へ向かって歩き始めて、15分。
周りがすっかり浴衣のカップルまみれになりおった。
俺の住む街のどこに潜んでいやがった、このリア充どもが。
「あーっ! コウちゃんがよその女の子見てるーっ! ひどーいっ!!」
「なっ、み、見てねぇよ!」
厳密には見ていたが、別にやましい感情はなかったし?
何なら、
「やっぱり、コウちゃんはあんな風に背の高い子が好きなんだ……」
「なんでそうなる!? 別に、背が高かろうが低かろうが関係ねぇよ!」
「じゃあ、あの子の浴衣、似合ってると思う?」
毬萌の視線の先の女子は、年の頃は俺たちと同じくらいと思われたが、濃紺の浴衣を身に纏い、大人っぽく見えた。
「まあ、似合ってんじゃねぇの?」
「ほらぁーっ! コウちゃん、よその子の方をよく見てるーっ! ひどいよぉーっ!!」
「声がでかい! なんだよ、さっきから!」
「だって……言われてないもん……」
今度は声が小さい。聞き取れない。
何なのこの子。声のボリュームの摘まみが大雑把過ぎるんだけど。
「わたし、まだコウちゃんに言われてないもんっ!」
「な、なにを!?」
「浴衣、褒めてもらってないっ!!」
思考回路がつながり、何故か妙に冷静に納得した俺。
そう言えば、毬萌の浴衣に対して何の感想も述べていない事実。
これは大いに認めよう。
ただ、俺の言い分だってある。
今回は、毬萌に似合うと思った浴衣をあらかじめ買ったのだから、そりゃあもう、似合ってなければ嘘になる。
だから、わざわざ口に出すまでもないのではないか。
合理性を度々口にする天才にだって、その理屈は通用するのでは。
俺はその旨、努めて冷静に毬萌に伝えた。
「むーっ! コウちゃんの鈍感っ! なんで分かんないのーっ!?」
毬萌さんご立腹である。
「いや、だって合理的に考えると……」
なおも食い下がってみるものの。
「女の子を褒めるのに合理的な方法とかないもんっ! コウちゃんのバカぁ!」
取り付く島のない毬萌さん。
こうなると水掛け論である。
そして、毬萌と水を掛け合って、かつて一度でも勝利を掴んだことがあっただろうか。
愚問である。
そして、このパターンは大概毬萌が正しい事が多い。
つまり、早々に非を認めてしまうのが吉。
「悪かったよ。いや、マジで、お前に似合ってるから、その、わざわざ口に出すまでもねぇかなと思っただけで」
「女の子は、ちゃんと口に出してもらえないと不安になっちゃうんだよっ!?」
「おう。そうか、すまん。謝るから、機嫌直してくれよ」
「……じゃあ、ちゃんと言ってーっ!」
「おう?」
「ちゃんと、わたしの浴衣姿の感想、口に出して言ってよぉー!!」
ぐっ。意識させられて口に出すと、それは結構な恥ずかしさが伴うのだが。
しかし、機嫌を損ねるような事を言ったのは俺であるからして、止むを得ん。
「あー。毬萌。なんつーか……」
「んー? なぁにー?」
「お、お前! 楽しんでるだろ!?」
「コウちゃん、ちゃんと言うんでしょーっ? いつも言ってるもんねっ! 男に二言はねぇぜーって!!」
そんな事言ってたの、普段の俺!?
もうそういうのマジで迷惑なんで、ヤメてもらえます!?
そのせいで、何故か毬萌にからかわれる羽目になってるんで!
相手が花梨ならまだしも、毬萌だぞ!
ちくしょう、なんて屈辱だ!!
「毬萌に、すっげぇ似合ってるよ、その浴衣! ひまわりがお前にピッタリで!! そこら辺の女子かき集めても、お前より可愛い子はいねぇよ!!」
勢いに任せて叫ぶように言ったけれども、である。
この人口密集地帯において、この声のボリュームはいかがしたものか。
良くないね、実に良くない。
周囲から、何やらニヤついた視線をそこかしこに感じるもの。
「それもお前のせいだ」と毬萌を見ると、こっちはこっちで、ぼふっとした柴犬顔が真っ赤になってやんの。
俺はやっと気付く。
こいつ、舞い上がって完全にアホの子モードになってるなって。
強いて言えば、その気付きがもう少し早ければ助かったのに。
「お前ぇっ! 言われて照れるんなら、言わせんなよっ!!」
「だっ、だってぇー! こ、コウちゃんが、そ、そこまで褒めてくれるなんて……お、思わなかったからさっ! し、仕方ないじゃん!!」
とにかく今は衆目が痛い。
そして、この状況になるまで考えが及ばなかったことに戦慄すら覚えるが、人だかりの中に、うちの生徒、いるんじゃなかろうか。
いや、居るね。
普通に考えたら、絶対に居る。
そのうちの生徒に今の俺たちを目撃されてみろ。
完全にデートしてると思われるじゃねぇか!!
むしろ、付き合ってると受け取られるかもしれん!!
そうなった日にゃ、俺ぁどの面下げて朝礼の運営すりゃいいんだ!?
「おい。毬萌」
俺は彼女の手を乱暴に掴む。
「み、みゃっ!?」
「ちょっと走るぞ! どっか、人気の少ない場所まで!」
「あ、う、うんっ!」
そして毬萌は、俺の手をそっと握り返す。
「ぜはぁ、ふひぃ、あふぅん……。こ、ここまで来りゃあ、大丈夫だろ?」
「こ、コウちゃん、手が……」
「ああ、悪い。痛かったか? いや、手汗の方か? おう。これは俺としたことが。ぬっちょぬちょだな、おい。すまん、すまん」
「あ、んーん! コウちゃんが良いなら、えっとね、このままがいいなぁー」
「ん? そうか? ああ、まあ、慣れねぇ草履で転んでもいけねぇか」
「……そう言う事じゃないもんっ」
「とりあえず、気付けば会場だ。この人混みにまぎれりゃ、目立たねぇな!」
「あのね、コウちゃん。言いにくいんだけどねっ?」
毬萌が俺の手を控えめに引っ張る。
「おう」
「さっきみたいに、浴衣で走ってる男の子と女の子の方が、よっぽど目立ってたかなぁって! わたしは別に良いんだけどねーっ!」
「……Oh」
花火に浮かれて周りが見えていないのはどっちだろうか。
いや、切り替えろ。俺よ。
旅の恥は搔き捨て。
恥ずかしい記憶は、この暗がりに置いていくのだ。
ともあれ、到着。花火会場。
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