第193話 土井先輩の華麗なる献身

「とりあえず踊るしかねぇ!!」

 俺は、毬萌を守るようにして、渾身の踊りを披露した。



 この日のために、準備だけはしてきたのだ。

 最悪、毬萌が踊れなくても、俺の踊りで天海先輩を魅了できれば、どうにか事なきを得るに至ることが叶うのではないか。

 そのため、ラジオ体操のあとに、氷野さんと心菜ちゃんにも付き合ってもらって、連日2時間、みっちりトレーニングをして来た。

 今こそ、その成果を発揮するとき!

 羽ばたけ不死鳥! これが俺の、不死鳥フェニックス盆踊りだ!!


 ヒュッと吹き矢が飛んできた。

 当然、俺をめがけて。

 踊り始めてわずか20秒の出来事であった。


 そんな俺の前に、クルリとターンを決めて、土井先輩が文字通り躍り出る。

「失礼いたします。ここはわたくしが引き受けましょう」

 そして土井先輩の尻に吹き矢が!

「ど、土井先輩! 土井せんばぁぁぁぁぁい!!」


 なんてことだ。

 俺の下手くそな踊りで、土井先輩が吹き矢の餌食に。

 すまない、氷野さん、心菜ちゃん。

 せっかく練習に付き合ってもらったって言うのに、俺ってヤツぁ、ここ一番で何もできなかったよ。


「桐島くん、自己を省みるのは全てが終わってからにすべきです。まだここは、戦場いくさばでございます。そして、いくさもまだ終わってはおりません」

「土井先輩!? ご、ご無事なんすか!?」

「ええ。こんなこともあろうかと、尻に中和剤を仕込んでおきました」



 尻に中和剤を!?



 ちょっと何を言ってるのか分からないが、土井先輩が無事なのは僥倖ぎょうこうである。

 この状況でこの人を失うと、多分俺は数秒で意識も失う。

 そうなっては、誰が毬萌を守ると言うのだ。

 今日、俺は踊りに来たのではない。

 毬萌を救うために、ここに立っているのだ。


 強い決意のもと、俺は再び踊り始める。

 思い出せ、氷野さんのしごきを!

 心菜ちゃんの天使のエールを!!


 ヒュッと吹き矢が飛んできた。

 もちろん、俺をめがけて。

 俺が決意を新たにしてから、わずか15秒の出来事であった。


「これはいけませんね。失礼します、桐島くん」

 そして土井先輩の尻に吹き矢が!

「ど、土井先輩! 土井せんぱぁぁぁぁぁい!!」

 いくら中和剤を仕込んであるとはいえ、尻に吹き矢が刺さるのはさぞや痛かろう。

 なんと申し訳ないことか。

 俺が不甲斐ないばっかりに。


「桐島くん。前をお向きなさい。神野さんの姿を見るのです」

「えっ、毬萌ですか?」

 どうせ、ふにゃふにゃの踊りをしているに決まっている。

 だって、盆踊りの練習なんてまったくしてきていなのだから。


 毬萌は、しっかりとふにゃっていた。

 しかし、不思議なことに無傷である。

 既に瞳に光はないが、尻も無事なようであり、俺はいささか混乱におちいる。

 この地獄のルールは何だったか。

 下手くそな踊りをした者は、吹き矢の餌食になる。

 では、なにゆえ毬萌は生き残っているのか。



 いや、違う。

 祭りの空気を乱した者が、吹き矢の餌食になるのだ!

 つまり、毬萌のふにゃっとした踊りは、セーフの判定!

 どこからどうみてもアウトにしか見えないのに、どうしてセーフなのか。

 答えは分かり切っていた。



 審判が天海先輩である以上!

 毬萌がどんなにこんにゃくみたいな踊りをしたとしても!

 それを不可と判断するだろうか!?


 答えは当然、否!

 つまり、毬萌が適当に踊ってさえいれば、万事解決していたのだ!!



 なんてこった。

 俺はとんでもない勘違いをしていたのか。

 そして、考えばかりに思考が割かれたところ、踊りがお留守になる。

「桐島くん、下がってください。わたくしの後ろへ」

 ヒュッと吹き矢が土井先輩の尻に。


「あああああっ! すみません、すみません! 俺がこの場で一番のお荷物に!!」

 そうとも、俺さえいなければ、毬萌と土井先輩は無傷なのだ。


「気に病む必要はございません。わたくしも、踊りが始まってからようやく気が付いたのです。まったく、天海の思考に追いつけないとは、恋人失格です」

 声は涼やかであるが、どうも土井先輩の動きが鈍い。

 気のせいだろうか。

 気持ちが張り詰めているから、そう思えるだけだろうか。


「さすがは桐島くん。君は騙せませんか。どうやら、睡眠剤の配合を変えてきたようです。ふふっ、わたくしも、あと二発耐えるのが限度でしょう」

「ええっ!? 太鼓を叩きながら吹き矢飛ばすだけでもアレなのに、薬の調合したんですか!? 今、この瞬間に!?」


 なに笑ってんだよ、ヘイ、ゴッド!

 確かに話はもう完全におかしいけど、こっちは真剣なんだよ!!


「ふふっ、少し意識が遠くなり始めましたね。お聞きなさい、桐島くん。これより一分後に、曲が変わります。そのタイミングでお逃げなさい」

「しかし、それだと毬萌が!」

「その点は問題ないはずです。一曲とは言え、しっかりと踊りきったのですから。約束を果たした者に対して、天海は無理強いを良しとしません」

「で、でも、土井先輩! し、尻が!!」


 土井先輩は、いつものように涼やかに笑って、言うのである。

「なに、恋人からの眠気を誘う求愛だと思えば、悪くない、もの、です、よ……」



 倒れ伏した土井先輩。

 鳴り止む音楽。

 毬萌の手を取り、走り出す俺。

 振り返ってはいけない。

 ここで振り返っては、土井先輩の行為が無に帰する。

 俺は走った。

 涙を拭きながら。吹き矢を吹かれながら。



 毬萌に吹き矢は飛んで来ねぇけど、俺にはしっかり飛んできてんじゃん!



 少し離れた別の公園のベンチで、俺と毬萌は息を整える。

「ねーねー、コウちゃん! もう終わったのーっ? わたしねー、なんだかお腹空いたーっ! ねーねー、コウちゃーん、お腹空いたよーっ!」

 俺の尻のポケットに、何かが入っている。


「わぁーっ! プリンだぁーっ! 食べるーっ!」

 それは、土井先輩の仕込んだプリンだった。

 こんなところまで見越して、先輩、あなたって人は……。


 俺は、星が落ちてきそうな夜空を見上げて、誰にともなく呟いた。



「……ああ。終わったよ」

 きっとこの一夜の出来事を、俺は忘れないだろう。

 なに、この茶番劇。

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