第191話 天海先輩と盆踊りと言う名の地獄
「やあ。桐島くん。お久しぶりでございます」
俺とふくれっ面の毬萌を、柔和な笑顔が出迎えた。
土井先輩は浴衣姿であり、それはもうあつらえたかの如く似合っていた。
スーパーのチラシのモデルに採用したら、その日のうちに浴衣が売り切れるであろうこと、想像に難しくない。
「あ、あの、天海先輩ってもう来られてますか!?」
まずは確認。大事な確認。
既に
これによって、気の持ちようは170度は変わる。
残りの10度?
天海先輩と絶対に遭うんだから、そりゃ10度くらいは残るよ。
「天海はすでに会場におりますが、ご安心ください」
「と、言いますと!?」
「彼女はこの地区の盆踊りの運営責任者ですので、雑事に追われております」
「なんと、そうでしたか」
高校三年生の女子が地区のイベントを取り仕切っている事実。
驚くべきだろうが、「あの人ならそのくらいやるよなぁ」と言う思いが先行して、そのまま逃げ切る。
「ですので、ずっと神野くんにまとわりつくと言う事は、物理的に不可能です」
「そうですか! いやぁ、良かったなぁ、毬萌! まり」
振り返ると、のそのそと後ずさりする柴犬。
動物病院に入っても覚悟を決められない柴犬がそこにはいた。
「お前! ちょ、待てよ! なに逃げようとしてんだ!?」
下手くそなキムタクのモノマネだって、そりゃあ飛び出しちゃう。
「ち、違うよっ!? えとね、一回おうちに帰ろっかなって思っただけだもんっ!!」
それを逃げると表現しないで、何と呼べばいいのか。
「それにしても、神野くんの服装は可愛らしいですね」
さすが土井先輩。目の付け所が違う。
今日の毬萌は、カーディガンにロングスカート。
いつもの活動的な服装ではなく、清楚でおしとやかなスタイル。
「多分、天海先輩の好みがこんな感じだと思いましたので」
服装に目が移れば、多少の逃げ道ができるかもしれないと言う足掻きである。
ちなみに、洋服の提供は氷野さん。
事情を話したら、快諾してくれた。
家族で出かける用事があるため、
「なるほど。さすがは桐島くん。良い判断ですね」
「土井先輩にそう言ってもらえると、俺も少しは安心しま」
「しっ! 静かに。どうやら、彼女がやって来ます」
緊急事態なので、長々とツッコミはしないけれども、一言くらい良いだろう。
忍者かな?
「やあ! 神野くん! 待ちわびていたよ! 今日は来てくれてありがとう!」
土井先輩の予測通り、出現予想ポイントに天海先輩が現れた。
「みゃっ!?」
事前に準備をしていても、毬萌は
が、そこは一年間天海政権に耐え抜いた毬萌。
ギギギと錆びたゼンマイの音が鳴れば、危機回避システムが起動する。
「
はい。スイッチオン。
「なはは! やはり神野くんは弁が立つな! おや、桐島くん、いたのか!」
「ええ。ずっと居ました。すんません」
「気にするな! 影の薄さこそ、副会長に求められる素養! 私の土井くんも、時々どこにいるのか分からなくなってしまう! なははっ!」
「まったく。恋人に対して何とひどい言い草。わたくしも傷つきますよ?」
「すまん、すまん! 愛しているよ、土井くん!!」
「そうでございましたか。奇遇な事に、わたくしもですよ」
なにこの
毬萌どころか、俺も帰りたくなってくるんだけど。
「神野くん! 今日の服はまた、とても可愛らしいな! 気品高い君にぴったりだ!」
「嫌ですわ、先輩。わたし、気品なんて食べたことございませんの」
「なははっ! ジョークひとつ取っても、神野くんのものは秀逸で困るな!」
「本当に嫌ですわ、先輩。今すぐ駆けだしたいのに、スカートが邪魔ですの」
事前にあれだけ心の準備をしてきたからか、毬萌の崩れ方がいつもよりほんの少しだけマシである。
「天海の嬢ちゃん! ちょいと来てくれ!」
鉢巻をまいたおじさんが、彼女を呼ぶ。
「ふむ! 私は少し雑務を整理してくるので、しばらく待っていてくれ!」
「かしこまりませんの! どこまでもお行きになってよろしくてございますのよ」
ああ! 毬萌がほにゃっとして来てるー。
お願い、天海先輩、早いとこ行って!
俺にもたれ掛かってくる毬萌を必死に支えながら、祈るような心境であった。
「もうやぁーだー! お喋りしたからもぉー良いでしょー? 帰るーっ!!」
「バカ! まだ盆踊りしてねぇだろ!? 帰っちゃダメだ!」
「なぁーんでぇー! 帰ってコウちゃんと一緒にお布団で寝るのーっ!!」
「おう! やめようなー、そういう誤解されそうな発言は!!」
のっけから手に負えないレベルになりつつある。
「失礼。神野さん、こちらを。よろしければお召し上がりください」
「ど、土井先輩!」
そこには、ソフトクリームを手にした、柔らか鉄仮面様が!!
「わぁー! 食べるーっ! 見て、コウちゃん、チョコとバニラのダブルだよーっ!!」
「お、おう! 良かったなぁー。土井先輩にお礼言おうなー?」
「うんーっ! 土井先輩、ありがとーっ! あーむっ! 甘いーっ!!」
毬萌、アホの子レベル2程度まで回復。
「助かりました。土井先輩」
「こんなこともあろうかと、屋台は神野くんが好みそうなもので構成しております」
「えっ!? 先輩も運営側だったんすか!?」
「ええ。恋人が関わっている事業ですので。介入は比較的容易でございました」
相変わらず、高次元なお付き合いをされている二人である。
地獄の1丁目は踏破完了。
ただし、この地獄、何丁目まであるのか。先は見えない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます