第177話 公平と困惑

 毬萌とキスしたいかって?

 何をバカな事を言っとるんだ。

 こいつは俺の幼馴染で、子供の頃からずっと一緒で、一番大切な女子で。



 ——それから、何だっけ。



 目の前にいる毬萌は、確かに可愛い。

 だが待ってくれ。

 そもそも俺は、誰かとキスがしたいのか?

 唇と唇を重ねる行為に何の意味があるなんて、無粋な事を言うつもりもないが。

 その行為が意味することくらい、理解はしている。


 先に進むって事だろう?


 ならぱ、問題は毬萌と、その先へ進みたいのかと言う事になる。

 いや、やっぱり待ってくれ。

 急すぎる。いきなり過ぎて理解が追い付かない。


 ……おいおい、マジかよ。

 よく考えろよ、俺。こいつ、毬萌は天才だぞ?

 こんな事を軽々しく口にするはずがない。

 つまり、毬萌は俺とその先へ進みたいって事になるのか——?



「ねえ、コウちゃん……」

 黙る俺を、毬萌は待ってくれる。

 いつも俺がやっているように、ペースを合わせて、歩調を合わせて。


「俺ぁ……」



「いてぇっ!?」

 口を開きかけたところで、氷野さんに頭を叩かれた。

「あんた、何してんのよ!」

「いや、違う、俺ぁ別に! キスとかそんなことは!!」

「はあ? キス? 私は、何であんたのお尻の下に私のパーカーがあるのかって話をしてるんだけど!?」

 言われてみれば、尻の下に服がある。

 どうやら俺は、毬萌の迫力にされて、知らぬ間に後ずさりしていたようだ。


「お、おう。これは俺としたことが」

「おう、じゃないわよ! ちょっと湿ってるじゃない! このバカ!!」

「ご、ごめんなさい」

「ったく。罰として、これから心菜と一緒にイルカの浮き輪で遊んでやりなさい! あの子が、あんたと一緒が良いんですって! まったく!」

 氷野さんに手を引っ張られて、俺は立ち上がる。


「毬萌も行きましょう? このエノキダケに浮き輪を引いて泳がせるのよ!」

「……あっ、うんっ! よーし、コウちゃん、行こーっ!!」

「お、おう」



 あのまま氷野さんがやって来なければ。

 俺は何を言っていたのだろうか。



「はわわー。公平兄さまー! イルカさん借りてきたのですー!」

 そこにはイルカに乗ってご満悦の心菜ちゃん。


 俺は、天使を見て、よこしまな考えを海に流すことにした。

 今日はそもそも、思い出作りのたに来たんだ。

 つまんねぇ助平根性すけべいこんじょう丸出して、何を思春期面してやがる。


「にははっ! おっきいねーっ! 心菜ちゃん、わたしも乗っていーい?」

「どうぞなのですー! 三人まで乗れるのです!」

 そら見ろ。毬萌だって、さっきの雰囲気が嘘だったみたいに笑ってる。

 俺だけ困惑顔してたら、みんなの嬉しい顔を曇らせちまう。


「さあ、桐島公平! 美少女三人の乗ったイルカを引かせる栄誉を与えるわ!」

「おいおい。俺に無茶な注文をするなぁ」

 一応ロープ握って平泳ぎしてみるが、進むはずもない。

 まるで、俺の心のようだとイルカに親近感を覚えた。



「せーんぱい!」

「おう。花梨」

「なかなか戻ってこないから、心配しちゃいましたよー」

「ああ、すまん。ちょっと氷野さんのパーカーを尻で温めてたんだ」

 豊臣秀吉的な温め方だったから、思い切り引っ叩かれたけどな。


「あはは! 何ですか、それ! あたしは先輩が体力を使い果たしちゃったのかと心配してましたよー」

「おう。アクエリアス飲んだから、回復したぞ」

「良かったです! 先輩、真奈ちゃんのところまで行きたいんですけどー」

「ああ、そうだった。花梨が海に入ってる時にゃ、俺ぁボディガードだったな」

「えへへ。覚えていてくれて嬉しいです!」

「おっし。俺のスーパーエンジンで、ひと泳ぎと行くか」

 花梨の乗った浮き輪を押すように、平泳ぎ開始。


「せんぱーい! 遅いですよー! もっと早く、早く!」

「おいおい、厳しいな、花梨さん。水先案内人を酷使するもんじゃねぇよ」

 有事の際に疲れて力が出なかったらどうする。


「ああ! 桐島先輩! 冴木さんも!」

「おう。鬼瓦くん! この辺、結構深いな。俺ぁギリギリ足がつかねぇぞ」

「ええ、そうなんですよ。ただ、ボディボードで遊ぶにはちょうど良くて!」

「あ、見て下さい! 真奈ちゃん、すごいですねー」

 勅使河原さん、見事な波乗り。

 しかし、うつ伏せでボディボードに乗るスタイルゆえ、少々目の毒である。


「あ、公平先輩、目を逸らしましたね?」

「ばっ! 違う! 別に見てないし!!」

「あたし、何も言ってないですけどー?」

「先輩をからかうんじゃあないよ、花梨ごふっ」

 そして、引き寄せられるかのように、勅使河原さんの乗ったボードが俺の側頭部に直撃。

 大変良い音がした。


「きゃっ、き、桐島、先輩! す、すみま、せん!!」

「おう、平気、平気。勅使河原さん、ナイス波乗り!」

 俺は親指を立てて、彼女を称える。

 存外立派なものをお持ちであられた事実にも、サムズアップ。


「しかし、ちょいと沖に出ただけで、かなり波が出るんだな」

「多分、防波堤の関係かと。もしくは、潮の満ち引きも関係しているかもしれませんね。おっと、真奈さん、平気かい? 我々男子がしっかりしなければですね!」

 喋りながら、自然に勅使河原さんを抱き寄せる鬼瓦くん。

 鬼神イケメン。



「……先輩。あたしだって、負けませんからね」

 花梨が小声で漏らした言葉は、高い波が丸ごと飲み込んでしまい聞き取れない。



「せーんぱい! あたしも波に乗ってみたいです!」

 彼女の発した二言目を、今度はしっかりと俺の耳が拾った。

「そっか。そんじゃ、次の波に合わせて浮き輪を離すからな? 気を付けろよ」

「はーい。危なくなったら助けて下さいね?」

「任せとけ」



 押し寄せてくる大波に揉まれて、顔を出した困惑は、いつの間にやら泡となる。

 そして、楽しい時間はまだまだ続く。

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