第171話 心菜ちゃんとスケッチ

「兄さまー! すごくいい景色なのですー!」

「おう。そうだね。心菜ちゃんは早速絵を描くかい?」

「はいです! お道具持ってきたのです!」


 リュックから、スケッチブックに、色鉛筆。

 消しゴムに鉛筆削り。

「むふー! 頑張るのです! 出来たら兄さまに最初に見せるです!」

 うん。可愛い。


 やる気に燃える天使の邪魔しちゃ悪いと、俺は「頑張ってね」と言って、泣く泣くしばしのお別れ。

 毬萌と氷野さんの仲良しコンビは何してるんだと探してみると。



 なぜか二人とも絶望に暮れていた。



「おいおい、どうした二人とも。どっか痛めたか?」

「コウちゃーん! どうしよぉーっ!!」

「私としたことが、なんて事をしてしまったの……! ああぁあぁぁっ!!」


「うぅぅ……。お昼ご飯持ってくるの忘れたぁーっ!!」

「……私は缶詰持ってきたのよ。……缶切り忘れたけど」

 ああ、そうだった。

 この二人、アレだったね。



 嫁力が一桁の下級戦士だったね! ポンコツ!!



「やれやれ。……さてと、俺ぁ準備するかな」

「ふぇぇ? コウちゃん、何それ?」

「なんつったっけ。ああ、ジェットボイルとか言うんだ。親父が買ったけど使ってない、まあコンパクトな湯沸かし器みたいなもんだ。多分」


「……桐島公平。何よ、それ」

「コッヘルって言うんだと。まあ、小っちゃい鍋みたいなものだよ、多分」

 そして俺は、簡易調理場……と言っても、水道しかないのだが、そこから水を調達してきて、せっせと沸かす。


 そして取り出すのは……。

 デデーン。カップラーメン!


「こ、コウちゃん! 一人だけ、ズルいっ! 悪魔ーっ!!」

「あんた、とんでもない鬼畜な男だったのね! 見た目はエノキのくせに!!」

「……みんなのもあるんだけど?」


「にへへっ、わたし、コウちゃんのそういう頼りになるとこ、好きーっ!」

「……エノキってアレよね。あると意外と嬉しいわよね。うん。ええ」


「さてと、心菜ちゃんに差し入れてくるとすっか、後は俺のと……」


「ごめんなさいーっ! コウちゃん、大好きだからぁーっ! お腹空いたーっ!!」

「わ、私は別にアレだけど、アレなら、別に、食べてやってもいいわよ?」



 やれやれ。よく回る手のひらだな。



「俺ぁ心菜ちゃんにラーメン渡してくるから、火を見ててくれ」

 そのくらいならできるだろ。

「はーいっ! 任せて、コウちゃんっ!」

「ふふん、私を誰だと思っているのよ、問題ないわ!」



「おーい。心菜ちゃん、昼飯持ってきたぞー。……おお、凄いなぁ」

 彼女のスケッチブックには、見事な山頂からの景色が閉じ込められていた。

 素人目に見ても、クオリティの高さが分かる。


「あっ、兄さま!」

「心菜ちゃん、絵が上手いなぁ! プロみたいだ!」

「むふー。心菜、お絵かき好きなのです!」

「そんな画伯様に、お昼ご飯だよ」

「わぁーい! ラーメンなのです!」

「熱いから気を付けてね」

「はいなのですー」

 うん。可愛い。


 それから俺は、役立たずコンビにラーメンを与えてやった。

 そして、氷野さんが持ってきていた缶詰も俺の持参したマルチツールで開ける。

 桃とパイナップルのデザートも心菜ちゃんに差し入れ。


「ねーねー、コウちゃん! フリスビーで遊ぼーっ!」

「お前、飯を持たずにそんなもんは持ってきたのか」

「なによ、ゆとりのない男ね。無粋よ、江戸っ子じゃないんじゃないの!?」

 おっしゃる通り、江戸っ子じゃないよ俺ぁ。


「二人で遊んできなさい。俺は今からやっとお昼ご飯なの」

「ちぇーっ! じゃあ、マルちゃん、行こーっ!」

「ええっ! お腹も膨れたことだし、心菜の邪魔にならないようにしないとね!」

 やれやれ。

 まあ、今日は人も少ないし、あの二人がポンコツなのは嫁力だけだから、放っておいても平気だろう。


 俺は、シーフードヌードルをすすりながら、心菜ちゃんを見守る。

 時折彼女はこちらを振り返って、にっこりと笑う。

 この瞬間、世界は間違いなく平和であった。



 そして三時間後。

 下山の時である。


「はひぃ、あふぅ、おへぇ、あひゅん、ひぎぃ」

「ちょっと! 後ろで気色の悪い声出すんじゃないわよ!」

「そ、そんなことおふぅ、言ったってあはん、仕方ないじゃないひぃん」

 行きはよいよい帰りは怖い。

 「行きは大変だけど帰りはそうでもなくね?」と言う童謡の一節である。

 だが、登山においては「行きで力尽きんなよ、帰りもあんぞ」と言う意味もあるとか。


 うん。言わんとしていることは分かる。

 行きも帰りも死にそうじゃねぇかって言うんだろう?

 知ってる。だって、俺も今そう思ってたもの、ヘイ、ゴッド。



 どうにか生きて下山できた。

 エベレストを制した登山家の気分である。


「はいっ、コウちゃん! ポカリ買ってきたよーっ!」

「おお、気が利くなぁ毬萌。サンキュー。……ああ、うめぇ」

 電車が来るまで15分。

 早いところ冷房の効いた車内に入りたい。


「兄さまー! あのあの、はわわ、これ、どうぞなのです!」

 心菜ちゃんが、モジモジしながら1枚の絵を取り出した。


「……おおおっ!? こ、これ、もしかして俺か!?」

「そうなのです! みんなのために頑張る兄さまを描いてみたのです!」

 これはいけない。泣きそう。

 そこには、とても俺とは思えない好青年が描かれていた。


「はわわ、公平兄さま、お気にめさなかったです?」

「……そんなわけないじゃないか! 宝物にするよ!!」


「ふん。まあ、今日のところは見逃してやるわ。……手、出しなさいよ」

 コロリと一粒……じゃない!?

 三粒、固形物。


 メントス! しかもコーラ味だ!


「あんた、好きなんでしょ? コーラ。ふん、子供みたいね! お似合いだわ!」

「おう。ありがとう、氷野さん」



 そしてやって来た電車。

 ガタンゴトンと揺られながら、思う。

 たまには登山も悪くはないな、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る