第170話 登山と素直な氷野さん

 宇凪うなぎ駅に朝7時に集合。

 というか、俺たちの最寄り駅の名前、これまで言及してないんじゃないかしら。

 宇凪と書いて、ウナギと読むのだ。

 別にウナギが特産品だったりはしない。

 市のマスコットなんてヌートリアだし。



「遅いわよ! 桐島公平! 3分遅刻なんて、いい度胸ね!」

「違うんだ、氷野さん。毬萌のヤツが手間取りやがって」

「あうぅ……。ごめんね、マルちゃん。お菓子選んでたら時間が……」

 氷野さんは、毬萌の肩を優しく叩く。

「それなら仕方ないわね! ドンマイよ、毬萌!!」

 そしてサムズアップ。

 俺にもそれくらい優しくしてくれれば良いのに。


「公平兄さま、おはようございますです!」

「おう。おはよう」

「今日は心菜のために、きちょうなお時間ちょうだいして、ありがとうなのです!」

 うん。可愛い。

 実に尊い。


「電車もう来てるな。乗るか」

 今日使うのは、以前キャンプ場へ行ったJRではなく、私鉄である。

 主に山深い方面を担当する電車だけあって、平日の朝でも空席アリ。

 大変ありがたい。

 これから山登ろうってんだから、体力は出来うる限り温存しておくべし。


「みんなーっ! お菓子食べよーっ!」

「おい! そりゃ、お前、携帯食としてだな!」

「はわわ、兄さま、お菓子食べちゃダメです?」

「おう! 食べるか!」

 そして乙女3人とエノキ一本で楽しいお喋り。

 30分なんてあっと言う間だ。



「みゃーっ! 着いたねーっ!!」

「おう。近くで見ると結構高いな」

「ええと、標高は300メートルみたいね。これって高いのかしら?」

「早く登りたいのですー!」


「ちょい待ち、心菜ちゃん! しっかりストレッチして、体をほぐそうね」

「そんなこと言って、私の体に触ろうって言うの!? いやらしい!」

「そんじゃ、氷野さんは心菜ちゃんとやれば良いよ」

「ダメよ! あんた、毬萌の体に触ろうって魂胆ね!? いやらしい!」


 俺、早くもストレッチの相手を失う。


「兄さまー! 一緒にするのですー!」

 うん。天使。

「コウちゃん、わたしともやろーっ!」

 うん。柴犬。

「ふふふ、どうだ氷野さん。俺が断っても、彼女たちが離しちゃくれねぇよ?」


「ぐぅぅぅぅぅぬぅぅぅぅぅ! お、おのれぇぇぇぇぇっ!!」



 いっけね。氷野さんが殺される前の大魔王みたいになってる。



 そして、俺は無難に毬萌とストレッチをした。

 勝手知ったる幼馴染。いい準備になったよ。


「そんじゃ、登っていくか」

「がんばろーっ!」

「なのですー!」


 ちなみに、登山に適した並びと言うものがあるらしい。

 昨日、グーグル先生に教えてもらった。

 それによると、最後尾がリーダー、先頭が副リーダーとなる。

 そして、一番の初心者は2番目に置くのがベターだとか。

 今では先頭がリーダー説もあるみたいだが、うちはリーダー豊富だからどっちでもいいよ。


 その様式に則って、俺たちは隊列を組んだ。

 先頭、氷野さん。

 彼女ならば、ペースメーカーとしての役割にもうってつけ!

 風紀委員長は伊達じゃない!


 最後尾、毬萌。

 体力お化けの毬萌は、後方から全員の様子を見るのだ!

 そして、天才的にダメそうなヤツをフォローだ!


 2番目、俺。

 必然的に、心菜ちゃんが3番目。


 なに? 初心者を2番目に置くのではないのかって?

 うん。置いてんじゃん。何か問題でも?

 あ、まさか、心菜ちゃんの方が俺より体力ないんじゃないかって?

 ははっ! ないない! 馬鹿だなぁ、ヘイ、ゴッド。



 そして始まった、片道2時間のプチ登山。



 もうダメ。死にそう。



 開始15分の出来事であった。

 汗が止まらない。足元がおぼつかない。

 首が下を向き始めて、氷野さんの尻が目印になる。

 そういえば、合宿の時、ちょいと展望台に行こうとして苦心した事を思い出す。


 あの時も、俺は花梨の尻を見ていたね。

 つまり、視界に尻が入りだしたら危険のサイン。


 危険のサインじゃん!


 どうにかして休憩を言い出したいものの、さすがに15分ではと逡巡。

 そんな事を考えていると、アクシデント発生。


「きゃっ!?」

 先頭の氷野さん、足を滑らせる。


 そして奇跡が起きる。


「おうっ」

 俺、氷野さんの体をキャッチ。

 女子の体を守ろうとして来た事は数あれど、成功したのは記憶が正しければ、屋上で毬萌に恥ずかしい告白をした時のみである。


 まさか、序盤でここ一番のハッスルプレイが飛び出すとは。

 俺は自分の中に可能性を見た。


「……ちょっと、あんた、いつまで私の胸に手を当ててんのよ!?」

 言われてみれば、おっしゃる通り。

「いや、これは申し訳ねぇ! 胸だなんて気付かなくて!! ……Oh」


 俺は命を諦めた。

 しかし、氷野さんの様子がおかしい。

 普段なら、山頂に到着するくらいの勢いで蹴られるはずなのに。


「……別に。良いわよ。助かったわ。……ありがと」



 誰かー。傘持って来てー。

 これ、雨降るフラグだからー。



「み、みゃー。コウちゃーん、わたしもこけちゃったよぉー」

 見れば、毬萌が仰向けになって転がっている。

 嘘をつくにしても、もう少しリアリティにこだわれ。


「もうっ! なんで無視するのっ!? わたしもコウちゃんに助けられたいっ!」

 そういう無茶なオファーは受け付けておりません。

 なんだ、助けられたいって。

 自分からこけに行くヤツがあるか。



 それから黙々と石鯛岳いしだいだけを登り続けた俺。

 驚くべきことに、休憩なしで登頂してしまったではないか!

 息も絶え絶えで死にそうなのは差し引いても、これは奇跡である!


「……これで、さっきの借りは返したから」



 そして氷野さんのお言葉で、彼女が俺に合わせたペースメイキングしてくれていた事実に触れる。

 常に厳しく、たまに優しい。上に立つ者の鏡である。

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