第168話 氷野さんと登山のお誘い

 早朝6時半。



「いやぁー! 今日もいい汗かいたなぁー!」

 こちら、氷野さんのマンション前の広場。

 そうとも、ラジオ体操に参加したのである。


「ちょっと! 桐島公平! スタンプ押すの手伝いなさいよ!」

「おう。ほれ、みんな、お姉さんの前に並べー。順番な!」


「あっ、モヤシのお兄ちゃんだ!」

「ちげーよ、エノキのあんちゃんだよ!」

「痩せたツクシって氷野のお姉ちゃんが言ってたよ!」



 氷野さん。俺のいない所で多種多様な蔑称べっしょうを定着させないで。

 なに? 痩せたツクシって。



「はい! おしまい! 気を付けて帰りなさい!」

「はーい! バイバイ、お姉ちゃんと、モヤシの兄ちゃん!」

「おう。あのね、俺ぁ別にモヤシじゃないよ?」

 なんで子供って言うこと聞いてくれないん?


「さてと、んじゃ、俺も帰るよ」

「待ちなさいよ」

「なんだ、氷野さん、俺とお喋りがしたいなら素直に痛い痛い痛い痛い」

 彼女のアイアンクロ―は、喰らう度に強度が上がっている。

 もうスチール缶くらいなら握りつぶせるね。


「公平兄さまー! 今日、このあとお暇あるです?」

 今日は課題を片付けようと思っていたのだ。

 英作文の文法に苦戦していて、毬萌に聞こうと計画していた。


「はわー。お忙しいのです?」


「ううん。すっげぇ暇!!」

 そして可愛い。


「実はね、明日、山に登ろうと思ってるのよ」

「えっ!? 氷野さん、ついに出家すんの!? ああっ! 痛い痛い!」

「あはは! 兄さまと姉さま、仲良しなのですー」


「心菜の宿題のためよ! 絵を描くの! あんただって中学生の頃やったでしょ?」

「おう。そういえば、あったなぁ」

 丹精込めて描いたのに、何故か未提出者と同じ評価を喰らった思い出。

「兄さま、石鯛岳いしだいだけって行ったことあるです?」

「いや、ないなぁ。でも、場所と名前は知ってるよ」


 確か、電車で30分くらいのところにある、ちょっとした山だ。

 登ろうとしたら、2時間くらいで何とかなるとか聞いたことがある。


「お山の頂上から見える景色の絵を描きたいのです!」

 うん。可愛い。

 もうね、天使はスケールが壮大。

 中学の時のスケッチのモチーフをその辺の側溝にした俺とはものが違う。


「で、私も当然行くんだけど、心菜がね……ぐぅぅぅぅぬぅぅぅぅぅぅ」


 す、すごい唇を噛み締めてらっしゃる!


「兄さまも一緒に行くのです!」

「……あんたも誘いたいんですって。不本意だけど。一応聞くけど、あんた、これからお腹壊す予定とかないの?」



「ないけど!?」

 お腹って予定立てて壊すものじゃなくない!?



「ちっ。仕方ないわね。2時間後に再集合よ」

「うん。なに? 俺、殺されるの?」

「スポーツ用品店に行くのよ! 心菜も私も、登山とか初めてだし。いくら低い山とは言え、準備は必要でしょう?」

 ああ、なるほど。


 そして一時解散。

 速やかに家に帰り、食べ飽きたそうめんをすする。

 そして、スマホをポチポチ。

 氷野姉妹と俺の3人で登山。


 うん。言うまでもなく危険だね。

 分かってるよ、ヘイ、ゴッド。

 何かあったとき、俺じゃ対処できないもんね。

 だから、助っ人を呼ぶんだよ。


「あ、もしもし、鬼瓦くん? おう、桐島だけど。今ってさ、えっ? ああ、いやいや、何でもねぇんだ! マジで平気だから、うん、楽しんでな! おう」


 鬼瓦くん、これから勅使河原さんとプールに行くんだって。

 邪魔できるはずがないよね。

 なんか、最近いつもあの二人デートしてる気がするけど。

 いつ付き合うのかな?

 ねえ、人ってどうなったらカップルになるの? 教えて、ヘイ、ゴッド。


 仕方がない。

 俺には二の矢がある。

 もう一度スマホをポチポチ。


「おう。俺。起きてっか?」

「みゃー……。なぁーに、コウちゃーん。ねーむーいー」

「電話に出るたぁ、偉いじゃねぇか」

「んー。でもまだ眠いからぁー。もうあと4時間待ってぇー」


「なんだよー。せっかく可愛い毬萌と出掛けたいと思って電話したのに。そうか、まあ、眠いなら仕方ねぇな。おう、そんじゃ」

「みゃっ!? ま、待って! 今起きたっ! 今起きたから、お出掛けするーっ!!」

 ふふ、他愛もない。



「なあ、毬萌。怒んなよー」

「べっつに! 怒ってないもんっ! ふーんっ!」

「出掛けるって事に嘘はなかったろ?」

「ぶー。だってさ! あんな言い方だったらさ! 二人っきりだと思うじゃんっ!」

「あー。分かった、分かった。今度付き合ってやるから」

「……ほんとぉー? 嘘ついたら、コウちゃんの部屋にムカデの群れを放つよ?」



 発想が猟奇的過ぎる!!

 謝るから、ヤメて、お願い!

 この天才ならそのくらいやれそうで本当に怖いから!!



 ガクガク震えていると、氷野さんと心菜ちゃんがやって来た。

「あら! 毬萌じゃない! 桐島公平! あんた、気が利くじゃ……って、どうしたのよ? なんでそんなに顔を青くしてんのよ?」

「いや、毬萌が怖いこと言うからぁぁんっ」

 毬萌にわき腹を小突かれる。


「毬萌姉さまー! 姉さまも一緒にスポーツ屋さん、行くです?」

「心菜ちゃん! おはよーっ! うんっ、一緒だよーっ!」

「やったのです! いぇーいなのです!」

「にははっ、いぇーい!!」


「それじゃあ、駅前のスポーツショップに行きましょう。この辺で一番大きいし」

「そだねーっ! 行こーっ!」

「はいなのですー! 兄さま、手つないでも良いです?」


「ぽぉう! ふぅーっ!」

 おっといけない。パッションが。


「もちろん! 良いに決まってるさ!」

「わぁーいですー」


 すると反対側の手を毬萌が。

「じゃあ、わたしもーっ!」

「なんだよ、仕方ねぇなぁ痛い痛い痛い痛い!!」


 そして後方からは氷野さんの腕が伸びる。


「3人とも、歩道を塞いじゃダメよ?」



 なるほど、おっしゃる通り。

 言うことを聞くので頭を握りつぶすのをヤメて下さい。

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