第151話 沈まぬ(花梨の)尻
可愛い後輩のプライベートプールにて、可愛い後輩の浮かぶ尻。
それをぼんやりと見つめていると、邪まな心が浄化されていくようであった。
確かに浮かぶ尻は、それはそれでキュートである。
しかし、本来、水泳と言うものは、尻を浮かす事ではない。
彼女は「水泳のレッスン」を所望している。
ならば、この浮いている尻をどうにかしなければならぬ。
俺は、こんな豪華なプールで、何を尻、尻と連呼しているのか。
我に返るには充分なシチュエーションであった。
「……ぐすん。やっぱり潜れません、せんぱーい」
「おう。見てたぞ」
「も、もぉー! お尻ばっかり見ないで下さい!」
「いや、そりゃあ無理ってもんだろ」
だって、水上には尻しかないんだもの。
「まあ、待ちなさいよ。俺ぁ思い付いた……と言うか、思い出した事がある」
あれはかつて、毬萌の地獄の特訓を受けていた小学生の頃。
生と死の狭間で潜水泳法をマスターした時、近くでは小学校の低学年向けの『泳ぎ方講座』が行われていた。
そこでは、優しそうなお姉さんが、見た目通り優しくて、俺は大層羨ましく思い、水中でその様子を恨めしく見つめていたのだ。
その時の記憶が蘇る。
潜れないキッズたちに、お姉さんが何をさせていたのか。
「花梨。そこの転がってる石、使っても良いか?」
「へっ? はい、別に構いませんよ。ただの大理石ですし」
やっぱヤメよう。
ただの大理石とはなんだね?
随分と丸っこい石だなぁとは思っていたけど、これ磨かれてんじゃん。
ダメダメ、そんなお石様を軽々に使えるものか。
と言うか、なんで磨かれた大理石が無造作に転がってんの?
「うん。そんな高いもの、俺には使えねぇ」
「平気ですよー。そんなの、お庭にゴロゴロ転がってますし!」
「……ホントだ」
言われてみれば、ゴロゴロ転がっているね。
どうしてそんな事するのん?
「せんぱーい! 何か名案があるんですよね? 早く教えて下さーい」
「……ぐっ。やむを得んか」
俺は、お石様を一つ掴んで、プールに沈める。
かつて見た、あの光景を再現したのだ。
キッズたちに、水底に沈めた色の付いた石を拾わせていたお姉さん。
俺をしごきながら、毬萌が言っていた。
「最初はああやって、遊びながら潜り方を覚えるんだよーっ」
あの時は「なにゆえ俺にも遊びながら覚えさせてくれぬのか」と思ったが、人生どんな記憶が何に役立つかは分からないものである。
「このプール、結構深いよな」
「はい。学校のプールと同じくらいだと思います」
「うむ。そんじゃ、今沈めた石、見えるか?」
「見えますよ! もぉー。公平先輩、バカにしてません?」
「してない、してない! じゃあ、石を拾ってみてくれ」
「やっぱりバカにしてるじゃないですかぁー! そのくらいできますもん!」
やる気をくすぐる事にも成功。
良い兆候である。
「じゃあ、やってみよう! でるだけ、体を沈めて拾ってくれ」
「分かりましたよー。まったく、先輩ってば」
そして花梨が水中へ。
別に水を怖がっている訳ではないのだから、沈めないのは慣れである。
苦手意識も手伝っているのだろう。
ならば、リラックスして挑戦すればどうか。
身体能力に関しては、俺が意見するのもおこがましい水準なのだから。
静かに見守る俺。
そして、ついに花梨の尻が沈んだ!
感動的な瞬間であった。
先日見たNHKの動物特番で仔馬が生まれるシーンを思い出す。
ああ、今俺は、新たな才能の産声を耳にするのだ。
——そしてすぐに浮かんできた、尻。
「ぷはっ! 先輩、取れましたよ! どうでした!?」
「……うん。とっても良いお尻だったよ」
俺が誰かに運動のコーチをするなんて、そもそも間違っていたのだ。
「おー。良いぞ、良いぞー。すごく良い」
バシャバシャとしぶきをあげて、バタ足で進む花梨。
しかし、表情はすごく不満げである。
「せんぱーい。これって、泳いでることになるんですか?」
うん。ならないね。
だって、俺が両手を掴んで引っ張ってるからね。
「ま、まあ、なんつーか、こうやって慣れて行こうぜ」
「あたしは先輩と手を繋げて嬉しいですけど……。なんだか、全然ロマンチックじゃないです! もっと、ムードのある特訓がしたかったのにー!!」
花梨さん、それは無理な注文だ。
ずーっと尻が浮いてるんだもん。
たまに見える健康的なお尻なら、もしかするとラッキースケベ的な意味合いが生まれて、男女の仲がどうにかなったりするのかもしれんが。
常時浮いてる尻だからね。
もう俺、見慣れたよ。
「なあ、花梨。提案なんだけどな」
「……はい。なんですか!?」
「おいおい、怒るなよ」
「怒ってないです! もぉー!」
「海には、浮き輪持って行くってのはどうだろうか? ぷぁしゃけっ」
花梨さんに水をぶっかけられて、おにぎりの具みたいな声が出た。
「それじゃ、子供みたいじゃないですかぁー!」
「俺ぁ別に気にしねぇけどな。むしろ、泳ぎ着かれたら花梨の浮き輪に捕まって休憩できるし。それに、海の中にいる限りは花梨の傍からは絶対に離れないぞ?」
「も……」
——も?
「もぉー。じゃ、じゃあ、それで良いです……。先輩、ズルいです」
「おう。何か失礼があったかな? ぶぁぺぶしっ」
「女の子に向かって、絶対離れないとか……! もぉー! 先輩って、そーゆうとこありますよね!」
コーラみたいな声を出した俺に水をかけながらも、花梨さんのご機嫌回復。
何か知らんが助かった。
いや、泳げない後輩の傍を離れねぇのは普通だろ?
なにときめいてんだよ、気持ち悪ぃな、ヘイ、ゴッド。
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