第144話 土井先輩の華麗なる立ち回り

「失礼。どうやらお困りのようですね」



 現れたのは、やわらか鉄仮面の異名でお馴染み、土井先輩であった。

 昨年度の生徒会が機能していたのは、大半がこのお方の功績である。

 そして、その輝かしい記録を微塵も残さず、爽やかに俺へと副会長のバトンリレーをこなした、学内一のナイスガイでもある。


「ああ、土井先輩! 見ての通り、毬萌がアレルギー起こしちまいまして」

 俺と彼との間では、『毬萌が天海先輩絡みでアホの子になる』事を、アレルギーと呼んでいる。


「これはこれは、うちの天海がまたしても失礼を」

「いえいえ、とんでもない! むしろ、俺のチェックミスでした」

 事前に天海先輩がバスケに出場する事を知っていれば防げた惨事である。

 これは、実りもしないテニスの特訓に勤しんで本分を忘れた俺のミス。


「桐島くんはよく頑張っていますよ。去年の今時分、わたくしはもっと四苦八苦しておりました」

「ど、土井先輩……!」

 俺が女子だったら、一発で土井ルートに分岐する爽やかスマイルである。


「まずはこれを。神野さんに差し上げて下さい」

 彼が懐から取り出したのは、プッチンプリンである。

 体操服の一体どこに潜ませてあったのか。

 そもそも、どうしてこんなに冷えているのか。

 聞きたいことは山ほどあるが、今は何より毬萌の対処である。


「ほれ、よーく冷えたプリンだぞー。美味いぞー」

「わぁーっ! プリン食べるーっ!!」

 これはアホの子レベル4くらいだなと俺は測定する。

 普段のアホの子モードと違い、天海先輩が起因となって引き起こされる『反動のアホの子』にはレベルがあり、数字が上がるごとに深刻さが増す。

 ちなみにマックスは5。

 そうである。割と危険な水準である。


「どうも、俺が気付かねぇ間に、30分くらい天海先輩とバスケしてたみたいで」

「それはいけない。わたくしも盲点でございました」

「いえ、そんな! 先輩だって、ご自分の競技に出られてたでしょ?」

「そうではないのです。わたくしは、英字新聞を読んでおりました」


 球技大会の最中に!?


「ああ、先輩のチームも負けちまったんですか」

「いいえ。わたくしはソフトボールを終えて、これからテニスに出場する予定です。その合間に、英字新聞を少しばかり」


 その合間に!?

 英字新聞って、そんなアミノ酸みたいに摂取するもんだっけ!?


「コウちゃーん! プリンなくなっちゃったよぉー」

 レベル4のアホの子は、小学四年生くらいの知能レベルに落ちる。

 そして、高レベルになればなるほど、元の天才に戻すのにも時間がかかる。


「これはいけない。桐島くん、こちらを」

 そして土井先輩は、再び懐から良く冷えたプリンを。

 どこから出しているのか。

 出来る事なら問い詰めたいが、今は毬萌が大事。


「ほら、土井先輩がおかわりくれたぞー。お礼言おうなー」

「土井先輩、ありがとーっ! コウちゃんの次の次の次くらい好きーっ!」

「おまっ、ばっ! 良いから、プリン食ってようなー。口は食べるために使えー」

「おやおや、太陽も顔負けにお熱いようで。どうりで今日は蒸すはずだ」

 その微笑ましい顔はヤメて下さい。

 静かにウィットに富んだセリフをそっと添えるのもヤメて下さい。

 なんだか、いつも以上に心にキます。


「おっと、いけない。わたくしの出番が来てしまいました。お二人とも、しばらく木陰で休んでいてもらえますか? すぐに戻ります」

「えっ、先輩、ちょっ! ……行っちまったよ」


 言われた通り、俺は毬萌と木陰で一休み。

「ねーねー、コウちゃん! 心ってどこにあるのかなぁー」

「おう」

「脳って言う説もあるけど、だったら脳死判定された人に心はないのー?」

「うん」

「心臓って言う人もいるけど、だったら心臓移植したら心が変わっちゃうよねー」

「そうだな」

「わたしはねぇー、心って移動するものだと思うんだぁー」

「うんうん」

「今はねぇー、ここっ! ほら、右手がコウちゃんに触ったら、ドキドキするんだもんっ! ねーっ、今、わたしの心は右手にあるんだよぉー」



 ——誰かー。助けてー。



 想像以上に重症である。

 喋る内容が哲学的になったので、レベル3くらいには落ち着いたか。

 とは言え、会話が成り立たない。

 こんな喋る天才を壇上に立たせたら、事故ること必至である。


 例えるならば、お経を読んでくれない坊さんである。

 そんな坊さんが法事にでも来たら、大惨事である。

 いっそ、坊さんの代わりに自動で木魚叩く機械を設置して、座布団の上にはフラワーロックでも置いておいた方がよっぽど良いかと思われる。


「お二人とも、お待たせしました」

 絶望の俺の元へ、土井先輩が帰還。

「テニス、どうでした?」

「ええ、おかげさまで、優勝して来ました。それから英字新聞を少しばかり」


 英字新聞、俺も購読しようかな。読めねぇけど。


「まだ毬萌が本調子じゃなくて、どうしたもんかと」

「それならば、わたくしにお任せ下さいませ。差し出がましいようですが」



 そして、閉会式。

「えー。それでは、今回は優勝したクラスの代表者の方にご挨拶いただきます」


 花梨が俺の作った原稿を読み上げる。

 そして登壇するのは、当然やわらか鉄仮面、土井先輩。

 あちらこちらから黄色い声が上がる。


「わたくしなどが表に出てしまい恐縮です。三年生になり、球技大会も残すはあと一度。勝ち負けに拘らず、全ての生徒で一丸となって、思い出を作りたいですね」

 ヤダ、ステキ。

 俺も思わず黄色い声を出しちゃいそう。


 そして土井先輩は、こう締めくくる。

「ひとつ叶うのならば、球技大会を素晴らしいものにしてくれた、生徒会の諸君に、どうか皆さん、盛大な拍手をお願いいたします。それでは、わたくしはこれで」


 ペコリと頭を下げて、降壇する土井先輩。

 そして次の瞬間にはもう姿が見えない。影も残さず消えていた。

 余りにも華麗な立ち回り。



 俺はこの日、英字新聞の購読を決意した。

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