第108話 夕食とつかの間の安寧

 あるところに、男がおりました。

 その男は、山を動かそうとしておりました。

 周りの人は「そんなことできやしない」と高をくくります。

 それでも男は山を動かそうとしましたが、やっぱり無理なので諦めました。


 結論。良いベッドは重い。



「分かった。俺の降参だ。もう諦めたから、飯行こうぜ」

 時間は気付けば午後8時前。

 腹だって減る。こればっかりは仕方ない。


「桐島先輩、大丈夫なのですか? ……その、胃腸の調子は」

 鬼瓦くんの疑問は当然である。

 カレーと形容するのが料理への冒涜とすら思われた地獄を2種類も食らった俺であるからして、消化器官もさぞかし疲弊しているだろう。

 俺だってそう思っていた。


 だが、まさかの復活。

 後遺症もない。あれほどの劇物を食したのにである。

 俺の胃や腸が優れている訳ではない。

 第一三共胃腸薬エリクサー

 胃だけじゃなくて、腸にまで効くと言う神の慈悲のような妙薬。


 備えあれば患いなし。

 やはり、薬類を一通り揃えて来ておいてよかった。

 誰かが体調を崩すかもしれないし、何より俺が体調を崩す可能性が高かった。

 これは、再びリスクマネージメントの匠を自称しても良いような気がする。



 レストランの席を確保して、各々が皿を片手に出動。

「おっ、晩飯はちゃんと食べるんだな、花梨!」

 バイキングを物色していると、ちょうどエビチリをゲットしている彼女と遭遇。

 今宵のテーマは中華らしい。

 もちろん俺は、中華料理も大好物。


「だって、お腹がすいちゃったんですもん」

「はははっ、それが良いと思うぞ! 俺ぁ飯を美味そうに食う子は好きだぜ」

「……先輩、そうやって、あたしを太らせようとしてます?」

「してないって! おっ、見てみろ! 北京ダックがあるぞ!! 初めて見た!」

 なんかよく分からんけど、お高いヤツなんでしょう?


「えっ、ちょっ!? ねぇ、花梨!? これ、どうやって食べるの!?」

 北京ダックに俺、困惑。

 シェフの人が待ち構えている点が、よりハードルを上げる。

 なにもここで貧乏をこじらせなくてもいいじゃないか。


「あはは! 先輩、可愛いです! あたしに任せて下さい。すみませーん、二人前、巻いてください!」

 巻くの!?

「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 そして完成したのは、春巻きの親戚みたいなヤツだった。


「はへぇー。あんなちょっとした切らねぇのか。もったいねぇなぁ」

「北京ダックは皮を食べるものなんですよ。残ったお肉は炒め物とかに使われるはずです!」

「なんと。やっぱり花梨は凄いなぁ」

 俺の知らねぇ事を俺よりも年下でよく知っている。

「えへへ。お役に立てて何よりです。じゃあ、あたし先に戻ってますね!」

「おう」


 俺はまだまだ食べるぞ。

 次の標的を定めていると、小籠包の前で真剣な顔をしている毬萌が居た。

「何してんだ。取らねぇのか?」

「あーっ、コウちゃん! 見てよ、この造形! どの角度から食べても具が均等に口の中でまじわるように計算されてるんだよーっ!」

「お、おう。それってすごいの?」

「すごいよっ! えっ、コウちゃん、この奇跡の比率が分かんないの!?」

 分かんねぇけど?


「あ、あー。確かにな。見事だな、こりゃ。おう」

「だよねーっ! よーし、わたしは三つ、いや、四つ取っちゃう! にひひっ」

「俺もせっかくだから取っとくか。美味そうだしな」

「あーっ、そだそだ、コウちゃん!」

「なんだよ、レアキャラでも見つけたのか?」

「あっちにね、伊勢海老と冷菜の盛り合わせっていうのがあったよーっ!」


 ——伊勢海老だと!?


「ちょっと行ってくらぁ! みんなに先に食べてて良いって言っといて!」

 ロブスターザリガニの仇を取るのは今、この時!

 ダッシュで向かうと、本当にテレビでしか見たことのない伊勢海老だった。

「取り分けましょうか?」

 シェフが俺に尋ねる。

「ぜ、ぜひ!」


「どのように致しましょう?」


 えつ、どうようにってなに? 伊勢海老にも作法があんの!?

「い、良い感じにお願いします……」

 しかし後には引けなかった。

 多分、この機会を逃したら、伊勢海老なんて二度と食えない。

「では、良い感じに取り分けましたので、ぜひお楽しみくださいませ」

 こんな貧乏丸出しの俺に親切にしてくれる優しいシェフ。

 最敬礼をするのも致し方なし。



「悪ぃ。遅くなっちまった」

「へーひ、へーひ! もうみんな食べてるから! おいひーよ!!」

「口に物を入れて喋るんじゃありません」

「あ、公平先輩のお皿、伊勢海老じゃないですか!」

「そうなんだよ、ついに出会っちまったんだよ、俺たち!」

「ゔぁああぁっ! 先輩、良かったんですね!!」

「じゃあ、コウちゃん、食べてコメントをどうぞーっ」


 えっ。ヤダ、緊張する。

 と言うか、すごく不安なんだけど。

 ザリガ……ロブスターだって期待値マックスで食べてあの様だったんだから。

 もし伊勢海老にまで裏切られたら、もう俺生きていけない。


「……はむ」

 意を決して、渾身の一口。


「ぁぁぁぁぁぁっ! うめぇぇぇぇっ!! プリップリだよ、おい! 味も最高だ! そうかぁー、これが伊勢海老かぁー。良かったなぁ、俺、今日まで生きて来て……」


「にははっ、コウちゃん大げさだなぁー! はい、わたしのフカヒレ、お裾分け!」

「良かったですねー! じゃあ、あたしからはアワビを差し上げます!!」

「おいおい! こいつぁパーティだな! ああ、幸せだ!」



「おー。鬼瓦くん、すげぇ量だな」

「僕、体が大きいもので。恐縮です」

「ここの料理、最高だもんな!」

「ええ。……この後に備えておかなければなりませんし」


「……なんでそれ、今言うんだ」

「先輩、現実と戦って下さい」



 俺のひと時の安寧は、彼の予告通り崩れ去る事になる。

 しかし、今くらいは俺だって心の底から幸せになったっていいじゃないか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る