第109話 温泉とトラップ(ハニー)

 腹が膨れたら、次はその日の汚れを落とすべし。

 多種多様な温泉施設を売りにしている花祭ファームランドにおいて、もはやそうしないことはルール違反のようにすら思われた。



「お風呂から上がったら、休憩スペースで集合ねーっ!」

「おう。了解」

「どうせコウちゃんはすぐ上がっちゃうと思うけどっ! わたしたちは、色々と変わり種の温泉を巡るからさっ! 牛乳飲んで待っててねぇー」

 ちくしょう、毬萌め。

 昨日の俺の失態を、さては誰から聞いたな?


「今日は俺だって色々巡るんだ! お前らには、せいぜいこの俺のたまご肌でも見せつけてやるさ! 行こうぜ、鬼瓦くん!」

「ゔぁい!」

「あはは! 公平先輩、張り切ってますねー!」

「武三くんもいるし、倒れても平気だよっ! さーっ、わたしたちも行こーっ!」

「はい! 昨日まわれなかったところから攻めましょうね!!」



「どうしましょう、桐島先輩。またサウナに行きますか?」

 昨日の過ちは、ひとえに鬼瓦くんと一緒に行動したことである。

 エノキダケと鬼神が同じ行動をしたら、そりゃあ煮えるよ。キノコだもん。

 その教訓を糧に、俺は体を洗いながらひとつの計画を立てていた。


「いや、ちょいと俺ぁ先に変わり種の湯に浸かって来るわ。鬼瓦くんはサウナを堪能しといてくれ。好きだろう? サウナ」

「分かりました。そういうことでしたら、僕も遠慮なく」

「おう。そのうち合流しようぜ」


 実は昨日から目を付けておいた風呂があるのだ。

 俺は、露天風呂の並ぶ屋外エリアを歩く。

 その湯は男湯の一番端にある。

 まず気に入ったのが、その立地条件であった。

 これだけ歩かないと入れない風呂なんて、人気は少ないに決まっている。

 露天風呂を貸し切りで。

 口にするだけでもワクワクするじゃないか。


 目指す風呂場。

 その名も『の湯』と言う。

 なんでも、温泉の成分に顕微鏡持ってこないと見えないような小さい藻が含まれているとかで、湯の色はエメラルドグリーンになっているらしい。

 藻と言えば、思い浮かぶヤツがいる。

 そうとも、俺の幼馴染である。

 何となく、名前的に通じるもののある『藻の湯』。

 俺が入らずして誰が入ると言うのだ。


「おー。ここか。ふむ」

 それにしても、結構歩いたな。

 屋外エリアの入り口から、500メートルくらいはあるのではないか。

 しかし、そのおかげで——。


「やっぱり貸し切りじゃねぇか! そんじゃ、失礼して……」

 噂通りの奇麗な緑に染まった湯船にざぶん。

「……かぁぁぁぁっ! いい湯加減じゃねぇの。この硫黄の香りがまた、ザ・温泉って感じで良いねぇー」

 まあ好き嫌いが分かれる匂いであるからして、それもこの『藻の湯』が空いている要因の一つなのだろう。


 看板が曇って見えないので、近づいてキュッキュとタオルで拭ってやる。

「ははあ、美肌効果があんのか。あいつらが聞いたら喜びそうだな。それよりも、筋肉疲労に効くってのがにくいじゃねぇの。たっはー、助かるわー」

 こんな風に、独り言だって喋り放題。

 俺の一人ラジオである。

 アレだったら、ご機嫌なナンバーの一つでも歌っちまうか。



 ババンババンバンバンとやっていたところ、ガララッと、扉の開く音がした。

 湯気で見えなかったが、なんだ、中からもここに通じていたのか。

 だったらわざわざ貧相な裸体で外を行進してくる事もなかったのに。


 と言うか、来客か。

 ど真ん中に陣取っていた俺であるが、そんなマナー違反は犯さない。

 お客人のために隅っこへと移動。

 なんて気の利くエノキダケ。


「わぁーっ! すごいねーっ!」


 随分と声の高いお客人である。

 シルエットからして、子供かな?


「そうですねー! ホントに緑色なんですね!」


 なにやら、既視感を覚える。

 この声の主たちに、俺は心当たりがあるような気がしないでもない。

 いや、しかし、だが、まさか、そんなはずは……。


「あっ、すみませーん! うるさくしちゃいましたっ! 失礼しまーすっ!」

「先輩、待って下さいよー! あたしもお邪魔します!」


 嫌な予感のチップインバーディである。

 俺ぁ鈍感だと揶揄やゆされるが、危機察知能力に関してはむしろ敏感である。


「おまっ、お前ら!? 何やってんだよ、ここ、男湯だぞ!?」

 俺は、彼女たちを救うべく、立ち上がった。


「みゃっ!? えっ、こ、コウちゃん!? どーしてこっちにいるの!?」

「な、なにしてるんですか、公平先輩! え、えっ、覗きですか!?」


 当然のように、声の主は毬萌と花梨であった。

 先に断っとくが、俺ぁ何も見ちゃいない。

 湯気が凄いし、湯は緑色で、何も見ちゃあいない。

 と言うか、見ようとしても見えない。

 あ、ちょっと言い方がアレだったね。

 見ようとはしてないよ。うん。俺、見ようとなんてしてない。


「こ、コウちゃんこそっ! わたしたち、女湯の方からちゃんと入ったんだよっ!?」

「んな訳あるか! マジな話だったら。男湯と女湯が繋がってる事になるじゃねぇか! そんな温泉があってたまるか!」


「お、お二人とも、この看板……見て下さい……」


 そこにはこう書かれていた。

 「なお、当『藻の湯』は、混浴温泉となりますので、ご注意ください」と。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 そんな罠ってある!?

 普通そういう大事な事は、案内板に描いておくべきなんじゃないの!?

 ちょっと、温泉の管理者の人! リテラシーがなってないんじゃないの!?


 と、とにかく、これはまずい。

 俺の裸は良いが、こいつらの裸はまずい。

 何より、他の客が入って来たら、本当に色々とまずい。


「お、俺ぁ出るから! それじゃ」


 そこで更にシルエットが増える。

「おじゃましまーす。あ、見て、本当に緑色だよ」

「混浴だって聞いたけど、男の人いないみたいだね」



 退路が塞がれた瞬間であった。

 疲れを癒す温泉で、このトラップはあんまりだぞ、ヘイ、ゴッド。

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