第75話 毬萌とスカート その1

「おまっ、はあ!? それ、今まで持ってたのか!?」



 豪華な昼食の思い出が一気に消え去る衝撃であった。

「うんっ! だって、コテージに置きっぱなしにしてたら危ないしー」


「お前が持ってる方が百倍危ねぇよ!!」


 人とは独りよがりになりがちなものであり、時として自己の価値観を優先しすぎる余り、正しい認識を見失うことがある。

 百も承知である。その上で言わせてもらおう。

 今回、俺の興奮といきどおりは、至極真っ当なものである。

 普段の毬萌をこれでもかと見続けて、おはようからおやすみまで見守り続けてきた俺にこそ、この非難の言葉は許されるだろう。


「お前、十万円入った封筒、ポケットに入れて持ち歩いたのかよ!?」

「うんっ!」

「うん、じゃねぇ!! 落としてたらどうすんだ!?」

「えーっ? またまたぁ、コウちゃん、心配性だなぁー。わたしが落とすわけないじゃん!」

「どういう理屈で!? むしろ、お前が落とす方を想定するのが自然じゃない!?」

「平気だよぉー。ポケットに穴なんてあいてないもーん!」

「どうして不慮の事故のケースしか考えてねえんだ!」

「だって、わたし、結構しっかり者だしっ!」


 どの口が言うのか。

 これまでの人生、ほとんど一緒に過ごしてきた俺に、どうしてそんな自信満々で宣言できるのか。

 本来ならば、ここで一時間は説教するのが筋であるが、うっかり十万を紛失した日には目も当てられない。

 と言うか、何故今回の仮予算、十五万円を毬萌に管理させていたのだろうか。

 これは俺の手抜かりでもある。

 体に生肉付けてサバンナを無事に走り切れるのか。

 無茶苦茶な例えに思えるやもしれぬが、そのくらいリスキーである。



「花梨! 俺ぁ、毬萌と一緒に金をカウンターに預けてくるから、心菜ちゃんと待っててくれるか?」

「あ、はーい! 分かりました!」

「じゃあ、ついでにバーベキューセット借りて来るよーっ!」

「いってらっしゃいなのですー! 公平兄さま、毬萌姉さま!!」



「はい。確かにお預かり致します」

 貴重品を金庫にて預かってくれる花祭ファームランドのシステムに感謝。

「あのっ、バーベキューの申し込みもしたいんですけど、良いですかっ?」

「はい。もちろんです。人数をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「七人ですっ!」

「かしこまりました。では、十人用のバーベキューセットをお持ちください。エントランスを出られて左手にある、レンタルブースにてこちらをご提示くださいませ」

 チケットを入手。

「はーいっ! ありがとうございますっ!!」

 本当にありがとうございます。

 うちの虎の子の十万、どうかよろしくお願いします。

 俺は深々と頭を下げた。


「つーか、いつの間に五万も鬼瓦くんに預けてたんだ?」

「んっとね、コウちゃんが電車で過呼吸起こして死にそうになってた時!」


 おう、何も言えねぇ!


「まあ、鬼瓦くんなら心配ねぇか。几帳面だし、何より屈強だし。下手な金庫より頑丈にできてるから、安心だ」

「むむっ、なんだかわたしが信用されてない気がするんだけどー?」

「おう。安心しろ。信用してる。信用できないって信用してる」

「もーっ! コウちゃんのバカーっ! ひどいっ!!」

「そうむくれるなって。ほれ、レンタルブースだぞ。すみません、このチケットはここで良いんでしょうか?」

 初老の男性が俺からチケットを丁寧に受け取る。

「はいはい、大丈夫ですよ。バーベキューセットですね。お客様は学生さん?」

「はい。高校生っす」

「ああ、それじゃあ、大きめのヤツにしましょうね。高校生だったら、一度にたくさん焼けた方が良いでしょうから」

「わーっ! ありがとうございますっ!!」

「はは、元気が良いねぇ。お二人は恋人かな?」


「はいっ!」

「違います!」


 なにサラッと嘘をついているんだ、お前は。

「ははは、仲も良くて結構だね。はい、こっちがコンロね。ガス式と炭式の二つ出しておくから、炭の火おこしが難しかったらガス式を使うと良いですよ」

「ご丁寧にありがとうございます」

「鉄板に網、テーブルに炭や着火剤、お箸や皿もご用意させて頂きますからね」

 改めて、すごいなロイヤル会員。

 至れり尽くせりじゃないか。

「じゃあお借りします。すみませんが、ちょっとずつ運んでもいいですか?」

「もちろん、ご自分のペースでどうぞ。何かありましたら、お声掛け下さいな」

「よっしゃ。とりあえず、この一番でかいコンロから持ってくか」

「そうだねー。じゃあ、一緒に持って行こーっ!」



 百メートルくらい歩いたところで、すぐに問題発生。

 いや、これは早く気付けて良かった。本当に。

「ま、毬萌! お前、脚……と言うか、なんつーか、スカート!! 捲れてんぞ!!」

「みゃあっ!? あっ、わわわっ」

 そして俺の指摘のタイミングが悪く、毬萌がバランスを崩してコンロに密着。

 いくら手入れがされていても、コンロであるからして、汚れはある。

「あーあー、スカートに炭が。ったく、仕方ねぇな」

「あうぅ……」

「待ってろ」


 先ほどのレンタルブースへとんぼ返り。さらに俺は事情を説明。

「これをお持ちなさいませ」

 そう言って、おじさんは歯ブラシと石鹸を貸してくれる。

「汚れがついてすぐだっら、これでどうにかなりますよ。やり方は分かりますか?」

「はい。炭汚れは最初に濡らさないが鉄則でしたっけ?」

「よくご存じで。彼女も良い恋人を持って幸せだ」

 そこは違うんだけどなと思いながらも否定はせず、再び毬萌の元へ。


「じっとしてろよ」

「みゃっ!? い、良いよ、コウちゃん! 自分でするーっ!」

「いや、無理だろ! いいから任せとけ。すぐに処置すりゃ汚れは残らねぇ」

「だ、だってぇー。脚が……。恥ずかしいよぉー」

一張羅いっちょうらが汚れたままよりゃマシだろ」

 それにお前の脚なら、講壇に潜んでる時に見慣れている。

 言わないけど。


「うぅーっ。そうだけどぉーっ」



 俺と炭との真剣勝負の火ぶたが切られた。

 勝ってしまっても良いのだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る