第70話 公平とお姫様抱っこ

「う、ゔぉあぁ……」

 氷野さんは、彼女の自己申告通り、しばらくはダメそうだ。

 あの威風堂々とした学園での姿を知っている身からすると、にわかには信じられない弱り方である。

「そうだ。氷野さん、フリスク、フリスク! ミントの味で気分が良くなるんじゃないか!?」

 我ながらグッドアイデアである。

「……もう、ないわよ」

「うん?」

「……車の中で、全部、食べたわ」

「えっ!? 1ケース全部!?」

「……ふ、2つ」

「……Oh」

「にははーっ。こればっかりはしょうがないねー。マルちゃん、歩けそう?」

「……ごめんなさい、毬萌。……ちょっと、無理」

「そっか。じゃあ、おんぶしてあげるねっ! コウちゃん、お願い!」


「ゔぁぁああっ」

「ゔぇあぁぁっ」


 最初のが俺。後のが氷野さん。



 正直、彼女に触れたら元気になってから何をされるかだいたい予想がつくので、出来る事ならお断りしたい。

 が、しかし、俺とて、つい数時間前に同じように死にかけた訳であり、そこを振り返っても彼女を見殺しになどできようはずもない。


「じゃあ、行くぞ氷野さん!」

「……不覚だわ。一生の不覚だわ」

「せーのっ!」

 氷野さんの体が浮き上がる。

「重たっ!? あ、ダメだ」

「きゃあっ」


 氷野さんがお尻から床に落下。


 一応言い訳をさせて頂けるでしょうか。

 氷野さんは背が高い。女子陣の中でも一番高い。

 すると、必然的に体重だって普通の女子よりも増えるのが自明の理。

 彼女の胸部は実にスレンダーにできているが、それを差し引いても、ちょいと俺には荷が重すぎた。


「……あとで、殺すわ」

 俺はあとで殺されることが決まった。



 そんな俺を見かねて、頼れる巨神兵がやって来た。

「氷野先輩、ここは自分が。失礼っ!」

 ひょいっと氷野さんの体が浮いたかと思えば、お姫様抱っこである。

「鬼神お兄さん、すごいですー!! お姉さま、次は心菜も抱っこして貰いたいです!」

「……だ、ダメよ、心菜。これは超法規的措置だから。男に抱っこなんて、ダメよ」

「ええー!? じゃあ、鬼神お兄さんは諦めるです!!」

 トテトテと駆け寄って来た心菜ちゃん。


「桐島お兄さん、抱っこして下さいです!」

 うん。可愛い。

「いや、しかし俺ぁ力がないからなぁ」

「……ダメ、です?」

 うん。可愛い。

「やってみよう! 心菜ちゃん、行くぞー!」

 この時、俺の両腕にかつてない程のエネルギーが収束し、一つの奇跡が起きる。

「ぬぅぅっ! おるぅあぁぁぁぁぁっ!!」

「はわわっ! わーい! 桐島お兄さん、力持ちですー!! ひゃああっ、あはは!」

 桐島公平、生涯初のお姫様抱っこである。

 時間にして1分と少々しかもたなかったが、それでも俺はやり遂げた。

「ありがとうです! 桐島お兄さん、カッコ良かったです!!」

「俺の方こそありがとう。本当に」


「コウちゃん! はいっ!」

「どうした?」

「わたしも、抱っこしてっ!」

「なんで!?」

 突然の毬萌の申し出に困惑しかない。

 確かに、お前は小柄だが、心菜ちゃんよりは重いだろう?

 そもそも、毬萌を抱っこする理由が——

「あーあっ。電車に乗る時、コウちゃん結構重かったんだけどなぁー」

 ゔぁぁああっ。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

「おおーっ、頑張れコウちゃん! にははっ、すごい、すごいっ!!」

 30秒ほどではあるが、毬萌も抱っこして見せた。

「コウちゃん、やればデキる子だねっ! にへへーっ、嬉しいっ!」

「ああ、そう。満足してくれて良かっ」


「公平せんぱーい?」


 ——もう、抵抗するだけ無意味だね。


「ああああああああっ!!」

「わぁー! ホントにすごいですよ! あはっ、先輩、腕の震えがくすぐったーい!」


 俺はなにゆえこのような苦行を強いられるのか。

 それは、全部遅刻して皆に借りを作った自分が悪いのだ。

 知っている。でも、腕が痛い。腰も痛い。




 それから30分。

「今日は誘ってくれて感謝するわ! 生徒会役員のみんな! 3人を代表して、私が礼を言うわね! 良い合宿にしましょう!」

 本当に時間ピッタリで復活した氷野さんが、いつもの氷野さんになって謝辞を述べる。

「いやぁ、良かったよ氷野さん、元気になって!」

「桐島公平! あんたは残機が1減ったから、覚えていなさい!」

 酷いじゃないか。わざとじゃないのに。

「ダメです、お姉さま! 桐島お兄さんは心菜を抱っこしてくれたですよ!?」

「……なん、ですって?」

 1機減っただけじゃ済まないね、これは。

 どこかにE缶落ちていないかな。


「にははっ、これで晴れて全員元気に集まったね! じゃあ、わたし受付に行ってくるよーっ! みんなはここで待ってて!」

「俺も行くよ。一人でこの人数の名前書くのは手間だろ」

 お願いだから連れて行って。

「うんっ! ありがと、コウちゃん!」

「荷物はあたしが見ておきますので! 任せて下さい!!」

 雨の季節だと言うのに、この3日は天候に恵まれる予報であり、そのためかエントランスは人で結構な混み具合である。



「次の方、どうぞー」

「順番来たねっ! はーい」

「あー、予約しておりました、花祭学園生徒会っす」

「確認いたしますね。……はい、承っております。では、こちらに宿泊者様全員のお名前と、代表者様のご連絡先をお願いします」

 見た目もホテルみたいなら、受付のお姉さんも一流ホテルのような所作である。

「俺がメンバーの名前書いとくから、毬萌は代表者の方を頼む」

「はーいっ。了解だよーっ」

 手際よく分担作業。

「む……」

「はいっ、書けましたーっ! あれ、コウちゃん、どしたの?」

「……勅使河原って、どう書くんだっけか?」

「あははっ。コウちゃん減点だねーっ。貸して貸して!」


「仲がよろしくてステキですね」

 お姉さんに微笑ましい目で見られてしまった。

 俺としたことが。

「では、こちら、コテージの鍵です」

 しかし、重要アイテムをゲット。



 そうとも、俺たちの合宿は始まったばかりだ!

 待っていろ、豪華なコテージ!!

 あと、途中にE缶落ちていないかな。

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