合宿編

第67話 公平と遅刻

 絶望から始まる、俺の楽しい合宿。

 何だろうね、あの「寝坊した!」って自覚する時の、この世の終わりに直面したような言い知れぬ悲壮感は。

 そして寝坊した時に限って、瞬間的に覚醒するよね。

 いつもは寝ぼけた頭を叩き起こすのに数十分かかるのに。

 起きて三秒で即覚醒。

 「やっちまった!」と言う事実と、「どうにか挽回の策は」と足掻く心情のせめぎ合い。


 でもね、俺ぁ思うんだ。

 そんな瞬間にこそ、「生きてる」って実感があるな……てさ。



 くだらない事言ってねぇで、さっさと支度しろ?

 してるよ、ヘイ、ゴッド! 泣きながら!!




「だから言ったんだよぉー。絶対早く寝てねって! それなのにー」

「いや、もう、ホントごめん! ごめんなさい!!」


 俺たちは駅までの道を大急ぎで走っている。

 大急ぎの原因? それをここで聞くか?

 なに、自戒じかいのため? だって冒頭で語ったじゃん!? 分かった、言うよ!

 俺が集合時間の15分前に目を覚ましたからだよ!

 悪かったと思ってるよ、だから背中に翼を授けて、ヘイ、ゴッド。


 昨夜、なかなか寝付けなかった俺は、万が一に備えて、目覚まし時計を2つと、スマホのアラームを仕掛けると言う入念なセーフティを構築した。

 眠りに落ちたのは、もはや明け方の4時過ぎくらいだったろうか。

 集合時刻は10時なので、余裕を持って1時間前に全ての時限装置をセッティングしておいた。

 つまり、事前準備は完璧であるがゆえ、俺に死角はないはずだった。


 目が覚めたら、9時45分でやんの。

 脳が事情を掴むのと同時に、俺は「ひゃうぉっ!」と叫んでいた。

 階段を駆け下りて、洗面所で顔だけ洗っていると母が通りかかる。

「あんた、なに朝っぱらから部屋でドンドコ鳴らしてんだい。うるさいったらありゃしないよ。止めに行くのだって、あんた、母さん忙しいんだよ?」

「おい! 目覚まし鳴らなかったんじゃなくて、母さんが止めたのかよ!」

「そりゃ止めるよ! お隣の草野さんちに迷惑でしょうが!」

「ならついでに俺も起こしてくれよ!」

「知らないねぇ、あんな騒音の中で寝てるんだから。別に起きなくても良いのかって思うのは、なにかい? 母さんがおかしいのかい? ええ?」


 なんでこんな時だけ理詰めで責めるんだよ!

 ちくしょう、母さんも目覚まし時計も大嫌いだ!!



 バッグを抱えて家を飛び出して、毬萌の家までまずダッシュ。

「あーっ! コウちゃん、遅いよーっ!!」

 律儀に俺の事を待っていてくれた幼馴染。

「すまん! 寝坊した!! つーか、先に行っててくれりゃ良かったのに!」

「ヤダよー。コウちゃん置いていけるワケないじゃん!」

 もうね、泣きそう。

 毬萌の優しさが心に染みる。

 そして、これからのタイムスケジュールを頭の中に展開するだけで、せっかく染みた毬萌の優しさの上から塩水がすり込まれて更に染みる。



「コウちゃーん! 荷物は自分で持つから良いよー?」

「ばっ、おまっ、ばっ! 俺のせ、あふ、せいで走らせといて、ひぃ、女子に重い、あふぁ、荷物抱えて走らせられる、かぁぁっ!! 転んだら、あひゅ、どうするっ!?」

「もー。コウちゃん、そーゆうとこ強情だよねぇー。じゃあ、わたしは花梨ちゃんに切符買っといてもらうように電話しとくよぉー」

「おまっ、気を付け、おまっ」

「分かってるってばぁー。あっ、もしもし、花梨ちゃん? うん、そうなんだぁー。それでね、そうそう、お願いできるかなぁー?」

 いつ振りだろうか、この感覚。

 陸の上でモンスターボールから出されたコイキングよろしく、今にも天に召しそうな俺を横目に、にこやかに電話をかけながら息ひとつ乱していない毬萌。

 チートだよ。

 俺と毬萌がドラゴンボール的な合体をしたら、むしろ弱体化するんじゃないかとすら思えるよ。



「頑張ってっ! あと200メートル! 行ける行ける、自分を信じてぇー!」

 松岡修造スタイルで追い込みをかけるのをヤメてくれ。

 自分に裏切られて今このざまなんだ。

 これ以上己を信じるなんて愚行が出来ようか。

「公平せんぱーい! 早く、早く!!」

「ぜんばぁぁぁい!! いぞいでぐだざいぃぃぃぃっ!!」

 改札の前で後輩たちが俺を呼ぶ。

 と言うか、呼び方。

 あの切羽詰まった感じだと、もう電車出るの!?

「すみません、この切符、あっちの二人の分なので、自動改札じゃなくてこちらを通してもらっても良いでしょうか? あっ、良かったぁー。ありがとうございます!」

 花梨のナイスアシストが光る。


「はひぃ、うひぃ、みんな、遅れてごべんね」

 やっと駅の構内に入った。

 男としてまずやるべきことは、筋の通った謝罪である。


「何やってんの、コウちゃん! 電車出ちゃうってば!」


 間違えたようである。

 今この場にて、俺の喘ぎ声入りの気色の悪い謝罪を求めている者など一人もいなかった。

 駅員さんの憐みの視線がその事実を雄弁に語っている。

「桐島先輩、お荷物を拝借! さあ、早く!」

 プルルルと言うお馴染みの音とともに、「2番線より電車が出ます」とアナウンス。


「あああああああいっ」


 しかしダメだ。

 両足を同時につると言うアクシデント発生。

 その場にへたり込む俺。

 当たり前だが、電車は待ってくれない。

「もぉー! 世話の焼ける公平先輩ですね、まったく!」

「ホントだよぉー。はい、花梨ちゃん、いっせーの、せっ!」

 女子二人に両脇を支えられて電車に運び込まれる俺。

 これまで生きてきた中でも、間違いなくトップクラスの醜態である。


「えー。担ぎ込み乗車は大変危険です。皆様、真似をしないようにー」



 車掌さんの小粋なアドリブで、構内にドッと笑いが起きる。

 この場面、多分俺が死ぬときに、走馬灯で流れるだろうなと確信した。

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