第65話 毬萌と晩ごはん
何のことはない、特筆すべきこともない、そんな夕暮れ。
最近はずいぶん日が長くなったなぁと沈む太陽をぼんやり眺めて、「おつかれ」と手を挙げる。
これから太陽は次の空に向かう訳であり、考えてみれば年がら年中ギンギラしていないといけないのかと思うにつけ、俺は太陽じゃなくて良かったと思った。
「おじゃましまーすっ!」
「あら、いらっしゃい、毬萌ちゃん」
「コウちゃん居ますか?」
「二階に引きこもってるわよ! あの様子じゃあ、そろそろカビでも生えるんじゃないかね! なはははっ!」
「にへへーっ、じゃあ、わたしがお日様になって来るねっ!」
全部聞こえてるからな。
なんでヤツらはあんな馬鹿でかい声で喋るのか。
トコトコと軽快なステップが階段を上ってくる。
そんなに急いで、足でも滑らさなければ良いが。
「やほーっ! コウちゃん、来たよーっ!」
呼んでもないのに太陽がおいでなすった。
これじゃあ呑気にカビも生やせない。
「なにしてたのーっ?」
「本読んでんだよ。読書だ」
「えーっ? いやらしいヤツ?」
「アホか! つーか、そんな事をデカい声で言うな!」
「いいじゃん、コウちゃんしかいないんだからさーっ」
「下に母さんがいるだろうが! この手の話題を一番聞かれたくねぇよ!」
「そうだよねーっ。こんなプリチーなわたしがいるもんね、コウちゃんには!」
「おーおー、そうだな。凄いな」
「むーっ。……てぇい!!」
ベッドに腰掛けていた俺に向かって、毬萌がフライングクロスチョップを繰り出してきたものだから、俺は直撃喰らって頭をリングに打ちつけた。
リングがベッドで良かった。
「なにすんだよ」
「
「ドラゴンボール借りたのか?」
「ちーがーうーっ! 女子の必携、ファッション誌っ! さり気ないボディタッチが男子高校生を落とすには最適らしいのだよっ! ……お、落ちた?」
「さり気なくねぇし、女子はナムの技なんか使わねぇ。俺の顔の上からどいてくれ」
毬萌の腹が俺の顔の上に乗っている。
どんな体勢だよ。
このままじゃ確かに落ちるが。
俺の意識が。生物的に。
「にははっ、くすぐったいー!」
「毬萌……お前……」
「みゃっ!? な、何かな? わ、わたしの魅力が効きすぎちゃった!?」
「ちょっと太ったか?」
「コウちゃんのバカぁ!!」
「おふぅ」
ヘッドロックされる俺の頭。
これはいけない。さすがの俺だってちょっとは意識してしまう。
「毬萌、タイム、タイム! すっげぇ勢いでお前の胸が当たってんだけど!」
「みゃああっ!? コウちゃんの変態っ!!」
「いや、お前が自分でやって来たんだろ!? その理屈でいくと変態はお前だぞ!?」
「違うもーんっ! わたしは純粋な気持ちでコウちゃんを締め上げたのに、コウちゃんに
「言い方! 俺ぁ別に楽しんでなんかねぇよ! そもそも、楽しめるくらいの体になってから言え、そんなセリフは!!」
「あーっ! ひどい事言ったぁーっ! やっぱりコウちゃんもおっきい方が良いんだぁーっ! ……そうだよね、衣替えしてから、花梨ちゃんと話してる時はいつも、うん」
俺の悪評を俺を目の前にして吹聴するな。
何度も言うが、俺は話をするときは相手の胸の辺を見ると良いと言う、由緒ある教えを守って、適時適切な視線を送っているだけである。
そこにいかがわしい感情などティースプーン一杯分もない。
まったく、失礼な話である。
なに? ソースを出せ?
はは、オタフクソースが好きだなぁ、ヘイ、ゴッド。
「毬萌ちゃーん! ご飯できたわよー!! 食べていきなさーい!!」
「あっ、はーいっ!!」
ふん。結局色気より食い気じゃないか。
俺に見向きもせずに食欲を刺激する香りに引き寄せられて階段を下りる毬萌。
慌てて足を滑らさなければ良いが。
あと母さん。
なんで俺を呼ばないのか。
「あんた! 呼んだら早く来なさいよ! お鍋が煮えすぎちまうだろ!!」
「呼ばれてねぇんだよ!!」
「あら、そうだったかね? まあ、そんな日もあるさね」
「あってたまるか!」
しかし、晩飯のメニューがちゃんこ鍋である事は、俺の留飲を下げるに充分値する事実であった。
鶏肉のつみれとイワシのつみれと言う二種類が主役を張る我が家の鍋は、手前みそになるがなかなかクオリティが高い。
育ち盛りの観点から言っても、かなり当たりのメニューである。
「コウちゃん、わたしがよそったげるねっ!」
「おう。……おおー。つみれ多めとか、分かってんじゃねぇか」
「違うよーっ。これはわたしの分! コウちゃんのはこっちだよっ」
「春菊と白菜ばっかりじゃねぇか!」
「お豆腐もあるよ?」
「肉を食わせろよ! って言うか、お前のお椀の中身! 肉ばっかじゃねぇか! 野菜も食え! ほれ、春菊とつみれのトレードだ」
「うぇぇー。嫌だよぉー。春菊苦いんだもん」
「うっせぇ。好き嫌いすんな。ほれ、焼き豆腐と肉もトレードだ」
「やだぁー。お豆腐熱いんだもん」
「子供か!」
「時に毬萌ちゃん。うちのせがれのところにいつ嫁いでくるんだい?」
父さん何言ってんの!?
今まで存在すら描写されてなかったのに、いきなり出てきて何言ってんの!?
春菊キメて頭おかしくなったの!?
「そう言えば、年齢的にはもうオーケイよねぇー。孫の顔が見たいねぇ」
黙れよ、
普通高校生の幼馴染前にして、結婚の話は百歩、いや二千歩譲って良いにしても、飯時に子づくりの話ぶっこんで来るなよ!!
夫婦そろって春菊キメてんの!?
「に、にははっ。でもでも、民法上の理由でコウちゃんの年が足りないよー! ごめんね、おじさん、おばさん」
そんなシャープな返しはいらないから!
毬萌は黙って汁すすってろ! 火傷すんなよ!!
ほら、しらたきもサービスしてやるから!
「実はな、父さん、公平の学資保険解約したんだ」
「はあ!?」
「ほら、トイレに最新式のウォシュレット付けただろう? あれさ」
「ああ、そうだったわねぇ。じゃあ、やっぱり結婚は早い方が良いわよ!」
「なんで!?」
「父さんのお尻な、もう長くないんだ……」
「そうなのよ。この人、痔をこじらせてね」
「病院行けよ!」
「なんか恥ずかしいじゃないか。この年になって初めて痔の通院するのも何かと勇気がいるし、なあ、母さん」
「そうねぇ。お父さん、恥ずかしがりやだからねぇ」
バカなだけだろ。
なんで急に12種類もバターンのあるウォシュレットが付いたのか、謎の理由は分かったけども。
ほら、見ろ。
さすがの毬萌も黙りこくってしまった。
バカな両親に呆れて物も言えないんだよ。
「えっとね、気持ち的にはいつでもいいけどっ! 経済的に自立して、子供が二人生まれるとしたら、最終的には家庭を守るとしても、少しの間は共働きになるから、大学を卒業して3年、ううん、2年くらいは! だからおじさん、あと8年、頑張ってっ!!」
呆れて物も言えないよ!
「そうか……! 分かった、父さんも頑張ってみるか!」
「病院行けよ!!」
「おじさん、ファイトだよっ! わたしに出来る事があれば言ってねっ!」
「お父さん、良かったわねぇー。こんなにステキな義理の娘ができて!」
「そうだな! よし、養老保険も解約して、もっと良いウォシュレット付けるか!」
「まともな人間がいねぇ!!」
この日の鍋は塩気が効き過ぎていたようだった。
ん? どうした、ヘイ、ゴッド。
ああ、このお椀に落ちている雫のことか?
これはね、涙だよ。
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