第63話 花梨と家出

「先輩! 今晩、おうちに泊めて下さい!!」

 しゃっくりが確実に止まる事請け合いのセリフである。



 日が暮れて晩飯も食って、風呂に入る前にゆっくりプライムビデオ。

 『翔んで埼玉』の千葉県との抗争を見直して、YOSHIKIの大漁旗が出たところでゲラゲラ笑っていたら、台所から母親の声がした。

「あんたー! この前の可愛い子が来てるよー!!」

 どうせテレビでラブライブのCMでも流れたのだろうと無視していると、母親はさらに続ける。

「いいから降りてきな! あんたのトマトの鉢植えに残ったみそ汁ぶち込むよ!!」


 そんな脅し文句ある!?


 母親とはどこに家でも理不尽なものだが、せめて俺に対する脅しで留めて欲しい。

 もうトマト全然関係ないじゃん!

 植物にみそ汁ぶっかけるって発想がもう常軌を逸してるよ!

 俺は自分の母親が怖い!


 とは言え、大事なトマトを守らねば。

「なんだよ母さん。言ってんだろ、俺ぁアニメは見るけどソシャゲはしねぇって! 俺凝り性だから、絶対破産するんだって」

「何の話してんだい、あんた! 玄関に行きな! ほら、早く!!」

「えっ、なに? テレビに俺の好きなアニメの子が出てるとかじゃなくて?」

「ホントにバカな子だよ、あんたは。おっきな荷物抱えた女の子を待たせるなんてねぇー。あー、いやだ。お父さんが若い頃は、そりゃあもう紳士でねー」


 母親の地獄の雑談ヘルズトークを回避して、玄関へダッシュ。

 今日ほど家が狭くて良かったと思ったことはない。

「はい! どちらさんで!?」



「先輩! 今晩、おうちに泊めて下さい!!」

 話は冒頭へ戻る。



 この暗闇の中、突っ返す訳にもいかず、俺は花梨を部屋に招き入れた。

「どうしたんだ。こんな時間に女子が一人歩きするもんじゃねぇぞ」

「家出して来ました! 泊めて下さい、先輩!!」

「……Oh」

「パパってば酷いんです! もぉー、ぜーったい家には帰りません!!」

「まあ、事情は聴くとして、だ。花梨の家からうちまで歩いてきたのか? 結構あるだろ!?」

 4キロは余裕である。


「はい、むしろダッシュできました! それで、その、先輩。こんな事を言って、はしたない子と思われるかもなんですけど」

「おう」

「お風呂、貸してもら背えませんか?」


「……OFURO!?」


 いや、それはまずいだろう。

 いやいや、彼女は汗を流したいだけなのだ。

 それは分かる。分かった上でまずい。

 お試しの彼女とは言え、どこまでお試しして良いのか、その線引きは重要だ。


「いいよー。お風呂、まだ誰も入ってないから、入っちゃいなー」

 俺の部屋の隙間から、母親が顔を出す。

「うるせぇよ、母さんばばあ! 何見てんだよ、ぶっ飛ばすぞ!!」

 ゴッドよ、今日はお前の出番はなさそうだ。


「あっ、お母さま! ちゃんとしたご挨拶ができていませんでした! すみません!」

「いいの、いいのよー」

「あたし、公平先輩の後輩です! 冴木花梨と申します! 公平先輩とは後輩以上、恋人未満としてお付き合いさせむぐむぐっ!?」

「よーし、花梨、風呂だったなー! 行って良いぞー! 俺が案内してやるからなー! ただ、くっそ狭いからなー!」

「あんた……立派になってねぇ……」


 母さんばばあ、もうあっち行けよ!!



 着替えはあると言うので、制服姿の花梨をうちの風呂場へ。

 何だろう、この悪い事をしていないのに感じる猛烈な背徳感はいとくかんは。

 俺の家の風呂に、なんで可愛い後輩が入ってんの!?


「せんぱーい!」

「はぁーい!?」

 ほら、もう声が裏返ってる!

 だって、花梨が「ちょっと緊張するので、ここに居て下さいね」って言うから!

 うちのうっすい壁へだてた向こうに裸の花梨がいると思うと、そりゃ声くらいひっくり返るよ。じゃないと嘘だもん。


「洗顔フォーム忘れちゃったんですけど、ここにあるヤツ使っていいでしょうか?」

「ああ、もう、何でも好きに使って! 花梨に合えば良いんだけど」

 シャワーの音が俺の理性とチャンバラを始める。


 敵は暗黒面ダークサイドである。赤いライトセーバーが光る。

 対して理性、お前ひょろっひょろだなぁ! 消えそうな蛍光灯を携える。

 ライトセーバー対蛍光灯。

 この勝負が始まったら、俺の理性が死ぬ。

 今際いまわきわひんしていた理性を助ける救いの手。


「先輩! そろそろ出ます! ……覗いちゃダメですよー?」

「ばっ、おまっ、ばっ! 俺ぁ部屋に戻ってるからな!!」


 理性。奇跡の引き分けである。

 もはやこれは勝利と言っても過言ではなかった。



「かかか、花梨さん。それで、どどど、どうしたのかね?」

「先輩こそどうしたんですか? ヒップホップ?」

 それはね、君の格好だよ。原因は。


「なんつーか、目のやり場に困る、つーか」

「えー? このくらい普通ですよ? Tシャツの下にはちゃんとブラしてますし、ショートパンツだってキュッと締まってるので、体育座りもへっちゃらです!」


 へっちゃらじゃねぇんだよ!!


 もう、そんな風に風呂上りの火照った体を、スキだらけな格好でコーティングされたら、俺がへっちゃらじゃないんだよ!!

 いつから君まで俺の前でスキ見せる設定になったんだ!?

 なってないだろ!?

 なに? 毬萌で見慣れてるだろって?

 ああ、見慣れてるよ!

 あいつの寝間着ねまき、中学の時の体操服だぞ!

 そんなもん見てどうすんだ!

 やっぱりお前はバカだな、ヘイ、ゴッド!!



「で、どうしたんだ?」

 俺は彼女を泊めなくてはならん理由を聞き出したいだけなのに、まさかこれ程の時間と精神的摩耗まもうを費やすことになろうとは。


「そうでした! あのですね、パパが言うんです! そろそろ花嫁修業を始めなさいって! ゆくゆくは家庭に入るのだからーとか言って!! 古くないですか、考え方!!」

「お、おう。そりゃあ、まあな」

 性別なんて関係なく、多様な人生を用意されている今の俺たちからしてみれば、花梨の父親の言う事は確かに旧世代的である。


「そもそも、あたしがお婿さん貰って家に入ってもらうって決めつけるんですよ!」

「あー。まあ、花梨の家、凄いもんな。一人娘だったら、婿養子って考えもまあ分からんでもないが」

「えっ!? 先輩、名字が冴木になっても良いんですか!?」

「えっ!?」

「先輩が婿入りとか、そういうのに抵抗ない人なら、別に良いんですけど」


 良くないね。

 何が良くないって、話の展開が良くないね。


「あくまで一般論だぞ。俺の意志は置いておこう?」

「あ、はい。それで、パパと喧嘩になっちゃって、つい言っちゃったんです」

「うん。何を?」

「あたしには、お付き合いしている人がいるんだーって!!」

「なるほど」


「そしたら、もぉー! 思い出しても頭に来ちゃいます! 先輩のこと、どこの馬の骨とも分からん愚物ぐぶつとか言うんですよ! 会った事もないのに!!」

「……うん。もしかしたらと思ってたけど、俺の事だったのか」

「悔しかったら連れて来てみろなんて言うものですから、パパが謝るまであたしは家に帰らないんだーって言って出てきてやりました!」


 もしかして、俺のせいでこの子とパパは喧嘩したのかい?

 酷い流れ弾に撃ち抜かれた気分だ。

「と言う訳で、お世話になります、公平先輩!」


 ん? どういう訳かな?


「あー、でも、いやらしい事は考えちゃダメですよー? あたし達、まだお試しなんですから!」

 はしゃぎながら彼女は続ける。

「先輩のベッド、頑張って詰めれば、二人でも寝られそうですね!」

 こういう花梨の無自覚な幼さって時々凶器だと思うの、俺。



 かつてない危機に、俺の頭脳が高速回転を始めていた。

 このまま世界線を飛び越えるか。

 それとも、打開策を思いつくか。

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