第62話 毬萌とアルバイト

「ねーねー、コウちゃーん! どうしてダメなのーっ!?」

「ダメだ、ダメだ! お前、いつものスキが出たらどうすんだ!!」

「平気だよーっ! わたし、最近はしっかりしてきたもんっ!」

「嘘つけ! 俺ぁさっき廊下でセッスク君とすれ違った時の事忘れてねぇぞ!!」

「あ、あれは……、ちょっと舌がもつれただけだよぉー」

「俺が口塞がなかったら、鈴のような声で卑猥な単語がこんにちは、だったろ!!」

「ねー、いいじゃん! みんなやってるんだよぉー?」

「よそはよそ! うちはうち! そんなにみんなが良いならよその子になりなさい!!」


 スキだらけの毬萌を世間に晒してなるものか。

 そいつは俺の前でだけ許されるんだ。

 衆目の前で恥ずかしがる毬萌を誰が見たいと思うか。

 なに? 見てみたい?

 うっせぇ、ぶっ殺すぞ、ヘイ、ゴッド!!



「あのー、何事でしょうか? 僕は出直した方がよろしいでしょうか?」

 気付けば生徒会室の扉をちょいと開けて、鬼瓦くんの顔がチラリ。

 鬼神ひょっこり。

 扉が開いたことにすら気付かないとは、俺したことがかなり興奮していたようである。


「ああ、悪ぃ。何でもねぇんだ、入ってくれ」

「はあ、そう言うことでしたら」

「驚かせてごめんな。……とにかくだ、まり」


 なんで毬萌すぐいなくなってしまうん?

 振り返ると、鬼瓦くんの元へトコトコ移動している生徒会長。

 もうチートは認めるから、その隠密スキルだけを取り上げる訳にいかないのか。

「聞いてよ、武三くんっ! コウちゃんったらひどいんだよ!!」

「おまっ、なに告げ口してんだ!」

「ふーんっ。聞こえませーん」


 子供か!


「どうしたんですか?」

「あのね、わたし、アルバイトしたいって言ったの! そしたらコウちゃんが、絶対ダメーって! ひどいよね!? 人権侵害だよねっ!?」

「ひどいことあるか! こいつに務まるバイトなんかねぇって言ってんだ!」

 鬼瓦くんの瞳が優しく光る。


「なるほど、分かりました」

 そして彼はダンディボイスで言うのである。

「お二人のご要望を同時に叶える方法があります」

 そんなバカなと思うものの、それがあるのだから世の中って怖い。


「週末、うちでアルバイトをしませんか? もちろん、お二人で」



 バイトがどうしてもしたい毬萌と、そんな危なっかしい真似を断固として阻止したい俺の対立を見事に解消してくれやがった鬼瓦くん。

 そして迎えた当日。

 パティスリー・リトルラビットにて、毬萌の初めてのアルバイトが始まろうとしていた。


「じゃーん! どうだーっ! にへへ、可愛いかな?」

 リトルラビットの制服は、毬萌に良く似合っていた。

 可愛いと言っても過言ではなく、端的に言っても可愛い。

 別の側面から見ると、うちの子が一番可愛いとも言える。

 何はともあれ可愛い。


「ちょっとスカートが短いんじゃねぇか?」

「すみません、毬萌先輩に合うサイズがこれしかなくて」

「ああ、いや、鬼瓦くんは悪くねぇよ」

「ぶぅーっ! これくらい普通だよぉー! コウちゃん、うるさいっ!!」

「うるさっ!? おま、俺はお前のためにだな!」

 そのスカート丈ですっ転んでみろ。

 大惨事だぞ。

 俺はその瞬間、いったい何人の目にレモン汁吹きかけて回ったら良いのか。


「では、こうしましょう。毬萌先輩にはレジ周りを。桐島先輩には、商品の陳列、補充をお願いします。それならいかがですか、先輩」

 相変わらず、気配りのデキる男である。

 俺が女だったらほっぺにキスしてあげちゃう。


「えーっ! わたしもお店でお菓子並べたりしたーい!!」

「ダメだ! 仕事先の責任者だぞ! 彼の言う事は絶対だ!」

「はぁーい。コウちゃんのバカ」

 恨みたければ恨めば良い。

 そんな可憐な格好で店内ウロチョロさせられるか。

 誰かがお持ち帰りを試みるかもしれねぇし、写真撮影会が始まるかもしれん。

 なにより俺の気が休まらん。


「それでは、今日一日、よろしくお願いします」

「おう、任せてくれ!」

「がんばろーっ!」



 ここは地獄の一丁目か。

「店員さん、マカロンはないのかい?」

 客のおばさまが催促さいそくの声を上げる。

「は、はい! ちょいとお待ちを! すぐ、すぐ持ってきますんで!!」

 俺は調理場へ駆け足。

 鬼瓦くんと、パパ瓦さんが作っていく魅惑のスイーツを、釜でグツグツ煮られた後のように汗をかいた俺が回収し、速やかに棚へ陳列。


「ねぇ、お兄さん、マカロンってないの!?」

 どうしてたった今置いたはずのマカロンがもうないのか。

 12個も置いたんだぞ?


「はーい。マカロン12個と、その他3つで、合計2520円ですっ! えっと、2600円お預かりします! こちら、お釣りです!!」

 おばさまかよ!


「はい、ありがとうね」

「またお越し下さいませーっ!」

 そして毬萌の完璧な接客。

 何が完璧って、レジ打ちながら金額が表示される前に値段を口にしているところだよ。

 暗算で計算済ませて、ついでにレジ打ってんだよ、あいつ。

 天才かよ。……天才だよ。


「ちょっと、マカロンないの!?」

 こっちは天災かよ……。


「少々お待ちを! すぐ確認して参りますんで!!」

 永遠に続くシャトルランかな?

 俺は鬼瓦くんの言う「ちょっとしたセールで人手が欲しかったんですよ」を舐めていたようであり、口の端をペロリと舐めると塩の味がして、見通しだけが甘くて他は全部しょっぱい事実を知る。

 人気洋菓子店がセールすると、こんな事になろうとは。



 8度目のマカロン輸送を済ませた俺は、既に満身創痍まんしんそういである。

 調理場では鬼瓦くんとパパ瓦さんがまさに鬼の形相でスイーツを作り続けており、店内にそれを運ぶのは俺とママ瓦さん。

 戦力的比率は、1対9である。

 当然、俺が1。ママ瓦さんが9。それ聞く必要あった?

 レジは毬萌一人で大丈夫かと確認する度に、完璧な接客を見せる毬萌。

 なんだ、俺の取り越し苦労だったか。

 と、思った時が一番危ない。


「お姉さん可愛いねー。ラインのID教えてよー」

 出たな、悪い虫め。


「えっ、あーっ、ごめんなさい、お仕事中なのでっ」

「いいじゃんかー、教えてよー」

 俺は死にそうになりながらも、悪い虫の腕を掴んで忠告する。


「すみません、お客様。困ります」

「はあ? うっせー」

「おひゅん」

 ちょっと手を払われただけで回転する俺。

 もしや前世は惑星か。

 毬萌のピンチを助けるために来たってのに、これではいかんと再び立ち向かおうとしたところ、心臓が止まった。


「ぶぅるぅああぁぁっ! お客さん、困るんだよぉぉっ!」


 パパ瓦さんの咆哮であった。

 鬼瓦くんの5倍はあろうかと言う威力。

 悪い虫は半べそで退店し、俺の心臓がやっと動き始めた。

 俺、今回は必要なかったかもしれないとも思った。



「お疲れさまでした! これ、お給料です!」

「わーいっ! こっちこそ、雇ってくれてありがとーっ!」

「……おう。マジでありがとう」

 鬼瓦くんから茶封筒を渡されて、ニコニコ笑顔の毬萌とシナシナ笑顔の俺。

 彼に「また学校で」と挨拶して、俺と毬萌は家へ帰る。

「あっ、ちょっと待ってて! 忘れ物しちゃった!」

「おう」


 数分待つと、毬萌がトテトテと駆けてきた。

「なに忘れたん冷たっ!?」

 毬萌の手にはコーラが握られていた。

「はいっ! これコウちゃんにあげるっ」

「なんで?」



「にははっ。初めてのお給料は、コウちゃんのために使うって決めてたのだっ!!」

 はにかむ毬萌。

 続けていつものセリフ。


「今日もありがと、コウちゃん!」



 今日のコーラがことのほか甘く、格別な味だったのは、疲れのせいか。

 正常な判断能力が残っていないため、保留とすることにした俺である。

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