第61話 花梨と絵心

「もぉー! この世から美術なんてなくなっちゃえばいいんですよー!!」


 のっけからとんでもない発言である。

 この世には紀元前から美術、とくに絵画は人々の生活に深く根差ねざしており、人類の歴史を紐解くとなれば、当然無視できない。

 絵と口に出せばたった一言の存在だが、その種類はもはや宇宙である。


 俺たちが気軽に手に取っている漫画やライトノベルだって千差万別なのは周知の事実であり、例えば、『ドラゴンボール』と『この素晴らしい世界に祝福を!』の絵を比べてみましたと言うのは簡単だが、優劣を語ろうとする時点で素っ頓狂すっとんきょうな話。

 どちらも無類であり、どちらも頂点であり、どちらも唯一無二である。

 人の数ほど絵も種類があるのだから、数十億の個性が地球上に存在している事になる。

 そのどれもが愛おしい文化であり芸術であり、美術なのである。



「うぅ……。くすん」

 そんな話を、ちょうど花梨にしてあげていた。

 理由はすぐに分かる。


「じゃあ先輩。この絵、何に見えますか?」

「うーん。エリンギかな?」

「キツネですよー!! 先輩のバカぁー!!」

「……Oh」


 花梨さんが美術の宿題に悩まされている。

 彼女の絵心は、なかなかに独創的である。

 かつてお弁当を作ってもらった時に、ご飯に描かれていたハートをタラコと見間違えて彼女の心証を激しく損なった事が思い出される。

 花梨の絵について、専門的な評価は置いておくとして、そして置いたものは二度と拾わない事を明言しておいて、である。

 一生懸命に描けば、美術の先生だって認めてくれるさと、何度も説得しているのだが。


「武三くんは何を描いてるのー?」

「僕は凱旋門を少々」

「おおーっ! 上手だねーっ! 写真みたいだよーっ!」

「いえ、そんな事はないですゔぁぁあああぁ!!」

「か、花梨、落ち着け! 鬼瓦くんも別に悪気があって絵が上手い訳じゃねぇんだ!」


 花梨が赤い絵の具の付いた筆で鬼瓦くんを刺殺しようとするものだから、咄嗟に羽交い絞めにして制止する。

 多分、動機は「むしゃくしゃしてやった」だと思われる。


「なんなんですかぁー! みんなして絵が上手いなんてズルいですよぉー!!」

 先ほど花梨が自信を取り戻すために、「先輩方も何か描いてください」と言うものだから、俺と毬萌は快諾した。

 そして、ヤメとけば良いのに毬萌は、今にも絵から飛び出して来て甘い匂いを放ちそうなプリンを描くものだから、花梨のイライラが上昇して、鬼瓦くんに八つ当たりをした。

 俺は速やかに毬萌を連れて学食へ行き、プリンを食わせた。


 その間に生徒会室に戻り、実に微妙で、似ていると言えるようなそうでもないようなマキバオーのイラストを描いて見せた俺。

 これで花梨も自信が付いたろうと思ったところ、「なんでそんな可愛いキャラ描くんですかぁー!」とよもやの高評価が飛び出し、鬼瓦くんが八つ当たりされた。


「心を込めて描いたら、絶対に人に伝わるさ! もう一回挑戦だ!」

 そんな松岡修造スタイルのエールを送ったところ、花梨は再起し、筆をった。

 そして彼女の力作は完成して、俺に批評を求めるものだから、細心の注意を払って答えた。



 キツネをエリンギと間違えちゃった。

 あたしってほんとバカ。

 でも色彩と言い、フォルムと言い、完璧にキノコに見えたんだ。

 仕方ないじゃないか。



「失礼します。あの、神野さん、ちょっといいかな?」

「あーっ、ナベちゃん! どしたのー?」

「うん。ちょっと美化委員に来た陳情について相談があってね。トイレットペーパーを持って帰る生徒がいるみたいで……。今、時間あるかな?」

「いいよーっ! じゃあ、わたしが行くー。コウちゃん、ちょっと出て来るね!」

「えっ、あ、おい」


 毬萌が美化委員長の渡辺さんに連れ去られた。

 相変わらず、そのふくよかなボディに似合わぬ俊敏性。

 とびに油揚げをさらわれるとはまさにこの事。


「僕はちょっとお花を摘みに」

「待て! 鬼瓦くん、ストップ!!」

 俺はダッシュで彼の太ももにタックルを仕掛けるも、当然鬼神の体は揺れもしなかった。


「な、なんですか、先輩!?」

「頼むから俺を置いて行かねぇでくれ! 花梨がしょんぼりしながら怒るって言う、竹中直人の亜種みたいになってんだ!」

「知ってますよ! 僕、冴木さんの絵筆で何回突かれそうになったと思ってるんですか!?」


「なあ、俺一人じゃどう足掻いても無理だ! 三本の矢って言うじゃねぇか! 今は俺と鬼瓦くん、二本しかないけど、なっ? 折れない矢になろう?」

「すみません、先輩!! 僕は三本束ねられた矢を折ることができるんです!! すみません! 本当にすみません!! だって、冴木さんが怖いんですよぉぉぉ!!」

「ゔああぁぁぁ!! 鬼瓦くぅぅぅん!!」


 行ってしまった。



「あー、花梨。花梨さん。もう一回頑張って」

「嫌です」

「まあそう言わずに。だって課題明日までなんだろ?」

「嫌ですー!」

 この子は普段優秀なだけに、ちょっとつまずくともろいところがあるんだよなぁ。

 しかも、年相応な幼さも顔を出すし。

 それはそれで可愛いんだが、どうしたものか。


「せ、先輩……。独り言は心の中で言って下さい……」

「えっ!? 声に出してた!? どこから!?」

「お、幼さも可愛い……の辺です」

 おう、結構出てたな。


 しかし、やる気はあるんだが、こうも心を閉ざされると打つ手がない。

 いっそ、代わりに描いてやりたいが、そりゃルール違反だしな。

 あー、それなら、グレーゾーンまでやってみるか。


「よし、花梨。合作にしよう」

「えっ?」

「俺が下書きするから、花梨は色を塗ろう。合作はダメだって先生言ってなかったろ?」


 多分「合作しても良いよ」とも言ってなかったと思うけども。

 まあ、そこは屁理屈をこねて丸めて餅にしよう。

 餅は食ったらなくなるから、怒られたらその時だ。


「よーし、そうと決まりゃ、描くぞ! モチーフは……もうこの部屋で良いか!」

「わわっ、公平先輩、ち、近いですよぉー」

「あっ、すまん。俺臭かった?」

「そういう事じゃないんです! もぉー! 先輩はいつもそうですね!」

 よく分からんが、花梨にも笑顔が戻った。

 花は短し絵描けよ乙女。

 この機を逃すな、一気呵成いっきかせいで仕上げるのだ。


「おっ、いいなぁ花梨! テーブルの色、そっくりじゃねぇか!」

「はい! と言うか先輩、よく見ると意外に絵がへたっぴなんですね! あははっ」

「おまっ、せっかく合作にしようってのに、んなこと言うなよー」

「えへへ、すみません! でも、ちょっとだけ絵を描くことが好きになれそうです!」

「そうだろう? 案外楽しいもんだろ?」

「違いますよー」



「先輩と一緒だから、苦手な事も好きになれるんです!!」



 俺がキャンバスに描く花は奇怪な形をしているものの、隣で奮闘する花は綺麗に咲いているようで、頬に絵の具を付けた花梨の笑顔は眩しかった。


「…………ほっ」

 気配を感じて扉を見ると、鬼瓦くんが安堵の息を吐きながら、そっと戻って来ていた。

 鬼神こっそり。

「どうだ、鬼瓦くん! 俺と花梨の合作だ!」

「そうです! 凄いでしょう! 褒めてもいいんですよ!?」

 鬼瓦くんはうんうんと頷き、拍手する。

 そして賛辞を述べる。



「とても良い抽象画ですね! ゲルニカですか?」


「風景画だよ!!」

「生徒会室です!!」



 そう言えば俺、去年の美術は筆記テスト満点だったのに通知表は3だったなと思うにつけ、絵心の追求を断念する決断に至る。

 ちなみに、花梨の宿題は『ゲルニカ』とタイトルを付けて提出したところ、クラスで一番の評価を得たとか。

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