第57話 公平とスプラッシュ

「あ、あの、ええと、その、鬼瓦さんは、いらっしゃいます、でしょうか」


 ゆるふわはかなげ少女、勅使河原てしがわら真奈まなさんが生徒会室へやって来た。

 お目当ては当然、鬼瓦くんである。

 少々奥手なところのある彼女であるからして、ここに来るのも相当な勇気を支払って清水の舞台から飛び降りたのだろう。

 恋する乙女は誰もが果敢な訳ではないが、恋する乙女は誰でも可憐である。

 そして申し訳ない事がある。

 彼女の心情を考えるに、大変申し訳ない事実がある。

 それを言う役目を誰かに代わって欲しいのだが、それも叶わず。


「ごめんな。今、俺一人なんだよ」

「あっ……。そ、そうですか……」

 年長者の俺に気を遣って、目に見えて落ち込まないようにする姿勢は立派であるし、彼女をワンランク上の守ってあげたい女子に仕上げるエッセンスでもあると思われるが。



 やっぱり目に見えて落胆してるね!



 そりゃあ、ゴリゴリマッチョな想い人を訪ねて来て、そこに待ってるのがホワイトアスパラガスだったら、しょんぼりするよね!

 分かる、すごく分かるよ!

「今から、鬼瓦くんのとこに行く予定だったんだよ。一緒に行くかい?」

「……は、はい!!」

 本当はそんな予定、全然なかったんだけどね。



 本日は月に一度行われる、校内清掃活動の日である。

 授業は午前中までにしておいて、午後から「てめぇの学び舎はてめぇで片付けろ」の精神で、生徒たちが掃除に汗を流すイベント。


 衣替えも終わった時分である。

 ぶっちゃけ、すごく暑くて、蒸すを飛び越えヤバいをまたにかけてもうダルい。

 とは言え、生徒たちの模範であるべき生徒会は、学園内に散って生徒諸君を鼓舞こぶしたり、時には指示を出したり、率先して掃除をしてみたり。


 ただ、俺たちだけでは数が足りないので、出張でばってくるのが美化委員。

 勅使河原さんも美化委員。

 鬼瓦くんと同じ学年だから、きっと一緒の作業区画で仕事をしたかったのだろう。


「なんか、ごめんね」

 生徒会室の掃除してたのが俺で。

「あ……いえ、その、お気になさらず!」

「いやー、鬼瓦くんは力持ちだから、こういうイベントだと引っ張りだこでな。多分、今は中庭ですのこやら持ち上げてると思うんだが……。おー、いたいた!」

「……あっ!」

 勅使河原さんの潤んだ瞳が見据えた鬼瓦くんは。


「これ持ち上げるとかすごくなーい!?」

「タケちゃん力持ち! すっごい腕の太さー!」

「ちょっとぶら下がってみたいかもー」


 タケちゃん、何やってんの。


 何と言うタイミングで女子にちやほやされとるんだ、君は!

 君にモテ期が来ている事は知っているし、それはとても喜ばしい事だけども!

 タイミング! タイミングと空気を読んで!!


「……お忙しいみたい、ですね」

 ほらぁ、勅使河原さんがすげぇ落ち込んでるって!

 生徒会室で見つけたホワイトアスパラガスに連れられてはるばるやって来たってのに、想い人が他の女子にキャーキャー言われてたらそりゃ落胆するよ!


「ああっ、桐島先輩!」

 しかしさすがは鬼瓦くん。

 すぐに俺の存在に気付くあたり、やはりその辺の鬼とは格が違う。


「忙しそうだな」

「ええ、みんなが僕の事を離してくれなくて、参ってしまいますよ、はは」

 や、め、ろ!

 そんなモテ男みたいな言葉を吐くな!

 俺の陰には勅使河原さんがいるんだぞ!!

「あれ、気付かなかったよ。どうしたの、真奈さん」


 君がどうしたの!?

 なんで君、ナチュラルに勅使河原さんの事名前で呼んでるの!?


「あ、あの、委員会の仕事、手伝って欲しくて……」

「力仕事かな? だったら僕に任せてよ」

「あ、でも、中庭の、お掃除が……」

「大丈夫だよ、先に真奈さんの用事を済ませよう」

「あ、はい……。嬉しい、です……」

「では先輩。僕はちょっと行ってきますので、失礼します」

「き、桐島先輩、案内してくれて、あ、ありがとうございました……!」



 ねえ、二人付き合ってんの?


 俺の知らない鬼瓦くんがそこには居た。

 勅使河原と鬼瓦で名前がいんを踏んでるから、自然と会話もセッションしちゃって仲良しさんになったのかい?

 先輩、聞いてないよ?



 せっかく中庭まで出てきたのだから、一年生の教室でも見て回るかと思い、気持ちを切り替えて巡回スタート。

 雑巾とほうきで野球している男子生徒を三組捕まえた以外はおおむね順調そうで結構。


「副会長! お疲れ様です! 見回りですか?」

「おう、松井さん。オリエンテーリング以来だな」

 彼女とは、青山くんを相手にして共に奮闘した戦友である。


「学校には慣れたかい? 風紀委員の仕事もあるから大変だろう?」

「いえ、全然平気です! 私なんかより冴木さんの方が凄いですし! あ、冴木さーん!」

 ちょうど教室の机を運び出していた花梨を見つけた松井さんが、彼女を呼ぶ。


「せんぱーい!! サボりですかー?」

 俺に気付くと、笑顔を携えてこっちへ駆けてくる花梨。

「違うぞ! 俺ぁ、巡回中だ!」

「あははっ、冗談でーす! じゃあ、あたしの事を見に来てくれたんですか?」

「ばっ、き、君ぃ! 松井さんもいるのに、そういうのはヤメなさいよ!」

「先輩、顔が赤いですよー? 照れてるんですかー?」

「ふふふ、冴木さんと桐島先輩、相変わらず仲が良いんだね!」

「えっ、そう見えちゃうかな? 松井ちゃんってば、もぉー!」


 楽しそうに笑い合う二人。

 こちらも仲が良さそうで何よりである。


 だが、こんな微笑ましいシーンにこそトラブルが降って湧く。


 まず、廊下には先ほど連行した雑巾ベースボーラーが残したほうきが無造作に転がっていた。

 そして、水を満たした大きなバケツを抱えて歩いてくる男子生徒。

 もはやお馴染み。

 俺のトラブルシューティングツールが発動。


「二人とも、ちょっと避けた方が良いかもな」

 お喋りに夢中なガールズをエスコート。

 しかし詰めが甘い。

 ちょっとでは足りなかった。


「うわああっ」

 俺たちが廊下の面積を狭くしていたことも原因の一つと思われたが、結果として、男子生徒が放置されていたほうきに躓いた。

 2リットル以上は余裕でありそうな水量が、宙を舞う。

 このシーンを一時停止で切り取ったらば、さぞかし幻想的だろうが、時間を止める力は悲しいかな俺にはない。


「悪ぃな、花梨、松井さん」

 このシチュエーションは、ソフトボールから花梨を守った時を思い出す。

 女子に覆いかぶさるのはマナー違反。

 これもあの時を想起させられる。


「えー、なんですか、せんぱ」

 次のシーンはもう言わずとも知れたもの。

 スプラッシュである。

 俺の背中を中心に、全身が水も滴る良いホワイトアスパラガス。


「ああああっ! す、すみません!! オレ、よそ見してて!!」

 慌てふためく1年男子。

 これはいけない。


「いやいや、君は悪くねぇよ。こんなとこにしてるヤツがいけねぇ。なーんつってな! はははっ」

 蒸し暑い季節にはなって来たが、さすがに冷水浴びせられると普通に寒い。

 あと言っとくけど、俺の小粋なジョークは寒くない。


「なにバカな事言ってるんですか! もぉー、先輩、また人のために! 風邪ひいたらどうするんです!?」

「まあそう怒るなよ、花梨。誰も濡れねぇで済んだんだから」

「公平先輩が濡れてます! 早く、生徒会室へ行きますよ!」



 水浸しになった廊下は、松井さん達で掃除してくれたらしい。

 体操服から制服に着替えたは良いものの、パンツが濡れたままだったのは痛恨である。

 濡れたパンツの上にズボン履くと、すっげぇ気持ち悪いと言う知識が増えた。



 そして翌日。

 俺はしっかり風邪を引いていた。

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