第34話 公平とパンチ

 卒園すれば小学生になるのは、当然。

 青虫が蝶になるがごとし。



 まあ、現実はそんなにドラマチックではない。

 俺の地区の小学校には顔見知りがちらほら。

 その顔見知りから更に知り合いが増えて、気付けば馴染んでいるのが小学一年生。

 友達百人作ろうとは思わなかったが、それなりに友達も増えた。

 毬萌も当然同じ小学校へ上がる。

 クラスは別だったが、帰る方向が同じため、よく一緒に下校した。


 ある日の帰り道。

「今日はねー、クラスの子と縄跳びしたんだよーっ」

「どうせ一番だったんだろ?」

「すごーいっ! コウちゃん、なんで分かったのー?」

「うっせぇ、分かるよ!」


 また別の日の帰り道。

「コウちゃん、九九って全部言えるー?」

「へへっ、当たり前だぜ! 七の段だって間違えないし!」

「へぇー! じゃあ、三十一の段は!?」

「……言えないけど!? そんな段、ないし!!」

 毬萌は毎日楽しそうだった。

 学年が上がれば同じクラスになることもあり、俺たちは腐れ縁を育んでいった。

 順風満帆に成長していく毬萌。

 と、思われたが、世の中の性根は思いのほか悪い。



 小学生も後半に差し掛かる、五年生の頃。

 この年代の辺から、男子と女子の間に『恥ずかしさ』と言う見えない壁が発生し始める事は有名だが、俺と毬萌にはそれが生まれなかった。

 物心ついた頃から異性の天才に散々引っ張り回されてきた結果か。

 俺は男女の壁を作る前に天才と凡人の壁を作り、作った壁は既に破壊済みだったのである。

 究極のバリアフリーマン、桐島公平が生まれていた。


「なー、公平! これ女子に渡してくれよ!」

 クラスメイトから学級日誌を託される。

「別に良いぜ」

 それを俺はあらよっと、指定された女子に渡す。

 出前坊やもビックリの手際の良さで、俺は男子連中から重宝された。


「コウちゃーん。これ、青山くんに渡してって頼まれてきたよー」


 同じく毬萌も、女子側の運び人として活躍の場を広げていた。

 ヤツにはそもそも人との壁なんていう旧時代の遺物は存在しない。

 だから、「お邪魔します」と挨拶すると、相手の懐に飛び込んでいく。

「あーっ、青山くん居たんだぁ! 良かったーっ! はい、これ日誌だよーっ」

「あ、ありが、ありがとう、か、神野さ」

「じゃあね、コウちゃん! あーっ、放課後待っててね! 一緒に帰ろっ!」

「おー。分かった」

 このあと俺は、大切に育てていたピカチュウを青山くんの手によってライチュウに進化させられるのだが、その話はまた今度。


 天真爛漫で誰にでも分け隔てのない毬萌は、みんなに好かれた。

 カリスマ性も既に太陽光に匹敵するエネルギーを見せており、学級委員も毎年歴任していた。

 そして俺は、毬萌と同じクラスになった場合、副委員長に推挙されていた。

 だが、社会集団を形成すると、どうしてもトップに反感を持つ者も生まれてしまう。

 毬萌にとっての試練が、この年に訪れた。



「おかしいなぁー」

 その日、俺が下駄箱に行くと、毬萌がウロチョロしていた。

「どうした?」

「あー、コウちゃん。んっとね、わたしの靴が片方ないんだよぉー」

「はあ? その辺に落ちてるんじゃないの?」

「そう思って探してるんだけど、ないんだよね。むむむっ、困ったなぁ」


 結論から言えば、毬萌はとある女子から反感を買っていた。

 美少女であり、天才であり、誰からも好かれて彼女も皆を好く。

 そんな人間の存在が気に障るタイプの女子が存在した。

 十代も後半になれば幼さ故の悪感情だと理解もできるが、小学生の俺にとっては難しい話である。

 更に、この手の感覚は毬萌ですら理解できなかったのが良くなかった。

 と言うよりも、想像の範疇になかったのだろう。

「あー、ごめーん。神野さんの靴、間違ってゴミ箱に捨てちゃってたわー。ねー、太くん。そうだよねー?」

 名前は忘れたが、彼女はさながらオタサーの姫であり、いつも配下に目立たない男子を取り巻きとして従えていた。

 その一番槍である太くんが、毬萌の靴を捨てたと言う。


 当然、俺はキレた。


「お前なぁ! 何やって……なんだよ、毬萌?」

 瞬間湯沸かし器を制すのは、被害者である毬萌だった。

「にははっ。ごめんねー、わたしの靴、ばっちいからさーっ」

 大人の対応。

 天才としての知能が、最適な答えを導き出したようでもあった。

 だが、幼い小学生を相手にして、大人の対応は逆効果である。

 その日以降、オタサーの姫はやたらと毬萌に絡み、毬萌はその度に寛容な態度を繰り返した。

 今となってみれば、毬萌がこの姿勢を貫いていれば、オタサーの姫もからかい甲斐がなくなり、自然と興味は別のものに移ったかもしれない。

 だが、どうしても我慢ならない煽り耐性ゼロのバカがいた。

 俺である。



 さて、バカがバカをする時が訪れたのは、毬萌への嫌がらせが始まって一週間ほど経った日であった。

 放課後、誰よりも早く教室を飛び出し、下駄箱に潜んだ俺。

 そして、性懲りもなく毬萌の靴に手をかけようとした太くんを見つけると、助走をつけた。


「てめぇぇぇっ! いい加減にしろよぉぉぉぉぉっ!!」


 俺の人生、最初で最後のマジパンチがさく裂した瞬間だった。

 そのパンチは上手い具合に体重が乗っており、さらに太くんの顔面にクリーンヒット。

 「モキョッ」と奇怪な音を残すと、太くんの鼻からは血しぶきが上がる。


 鼻血である。


 今でこそ貧弱な俺だが、肉体的な差がまだ顕著ではない小学生時代の話であるからして、無防備な相手にゲンコツくれてやれば鼻血くらい出るらしかった。

 ちなみに太くんは出血こそしたが、外傷はまったくなかったので、ご安心をば。


「……次は誰だぁ?」

 ヤダ、怖い。

 返り血を浴びた俺は、オタサーの姫たちに詰め寄った。


「ごめっ、ごめんなっ、さい! あの、ごめっ」

 オタサーの姫は座り込んで後ずさりを始める。

 そりゃあ、白いシャツを赤く染めたキッズがにじり寄って来たら後ずさるよ。

 俺なら、最悪お漏らししてると思う。

「せ、せんせー! せんせー!!」

 そして取り巻きの一人が先生を呼びに駆け出した。

 「自分たちのした事を棚に上げやがって」と俺は義憤に駆られたが、どう見たってオーバーキルである。

 やり過ぎも良いところ。


「こ、コウちゃーん!! コウちゃーん!!」

「のわっ」


 騒ぎを聞きつけたのか、毬萌が俺を発見。

 そののち、速やかに飛びかかって来た。

「どうしてーっ!? なんで、こんな事したのぉー!?」

「おい、泣くなよ!」

「ぐすっ、ひっくっ……。だってぇーっ!」

 どうして毬萌が泣かなくてはならないのか。

 こいつは何も悪くないのに。

 そう思うと腹の底から怒りが込み上げてきた。

 俺は、全世界に宣言するように、馬鹿でかい声を上げた。



「お前を泣かせるヤツは俺が許さねぇ!!」


 現在進行形で自分が毬萌を泣かせているのに、何と言うバカっぷりか。

 さらに言葉を続けるのだから、ヤダ、もう見てらんない。


「毬萌はすげぇヤツなんだ! だから、周りの雑音は、全部俺に任せとけ!!」

「……うんっ! ひっく、えぐっ……。うんっ!!」

「俺は男だ! 女のお前は俺を頼れよ!! 俺が守ってやる!!」

 男女平等が叫ばれる昨今、多方面から怒られそうなセリフである。

 幼少のみぎりゆえ、お許しあれ。




 その後、担任にしこたま怒られ、親まで呼ばれた。

 だが、家に帰ると俺の行為は称賛され、桐島家、神野家合同による祝賀会が開かれた。

 親連中には、社会常識を一度叩き込むべきである。



 時を同じくして、毬萌に変化が現れ始めるのだった。

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