第33話 毬萌と出会い
物心ついた頃、という言葉がある。
幼児期を過ぎて、世の中のいろはが分かり始める時分の事を指す。
これは国語辞典と言う名の魔導書に記されている確かな筋の情報なので、安心して友人に吹聴すべし。
俺にとって、物心がついた頃。
いや、物心がついた瞬間。
それは、自分が凡人だと自覚した時。
つまり、稀代の天才と出会った時だった。
ワンパク幼稚園の年中組に上がった頃だったろうか。
何故だか俺の通っていた幼稚園には、各組にルービックキューブが常備されていた。
理由は分からない。
園長が玩具工場も経営していたので、そこの余り物を園にぶち込んだだけだったのかもしれない。
ちなみにその幼稚園は今、駐車場になっている。
園長が、酔った勢いで保育士の胸を片っ端から触って歩くと言う良くないワンパクを披露した結果、めでたく訴えられて社会的に終焉を迎えたのが原因だとか。
なにがそうまで園長を駆り立てたのか、理由はやっぱり分からない。
さて、ルービックキューブである。
自分で言うのも恥ずかしいが、けれども自分で言うしかないので言うが、四歳にしてルービックキューブを二面同色にすると言う偉業を果たしていた幼児こと、それは俺である。
周りの園児たちは俺を「ぱねぇ!」ともてはやした。
俺も「うへへ、凄かろう?」といい気になっていた。
そんな折、彼女が入園してきた。
そして言うのである。
「ねーねー、それって難しいの?」
俺は幼心ながらに思った。
「こいつ、潜りだな!」と。
「この園ではルービックキューブをいかに美しく扱えるかが全てなのだ。ふふふ、俺の凄さを見せつけてやろう」とも思った。
華麗に二面の色をズバピタで揃えてやると、彼女はハテナ顔。
どうやらこの幼女が、偉業を理解できない知能レベルであると察した俺は、慈悲を与えてやる事にしたのだ。
「お前もやってみろよ」
そして、俺を崇め奉れ。
「うんっ! やってみるっ!」
すると彼女は数十秒カチャカチャやって、俺に立方体を突っ返す。
「諦めの早いヤツめ」と受け取ると、俺は恐れ慄いた。
余りのショックにお漏らし寸前まで行ったほどである。
そこには、全ての面が奇麗に揃えられた、完璧なルービックキューブが存在していた。
「へ、へぇー。ちょっとはやるじゃんか。お、俺も本気出してやる」
ヤメとけば良いのに、幼稚園児の俺よ。
「お前、これバラバラにしろよ。俺だって、全部の色、揃えてやる!」
「うんっ! 分かったー」
そして再度手渡された立方体。
鼻息荒く、カチャカチャやる俺。
一分が経ち、二分が経ち、「なんかおかしくね?」と思いつつも、五分もの間格闘した俺は、半べそかきながら彼女に異議を申し立てた。
「お、お前ぇ! 何したんだよ!?」
彼女はニコニコしながらこう答えた。
「バラバラにしたんだよー? えっとね、色が揃わないようにしたのっ!」
「る、ルービックキューブは、そうやって遊ぶもんじゃねぇんだぞ!!」
それが彼女、神野毬萌との出会いであり、俺が天才と凡人の垣根を見定めた瞬間でもあった。
ちなみにそのルービックキューブは誰がどうやっても元の姿に戻せず、おもちゃ箱の奥深くに封印されたとか。
幼女の毬萌は、既に才能の塊だった。
ダイヤの原石どころか、すでに磨かれ切ったあとだったのである。
もしくは磨かなくてもキンキラに輝くダイヤなのかもしれない。
「かけっこで勝負だ!」
当時、園の中で一等賞だった俺は、ルービックキューブの敵を徒競走で討とうと目論んだ。
「いいよーっ! よーい、ドンっ!!」
結果は言うまでもないだろう。
「い、今のはお前が、よーいドン言ったから、ず、ズルだし! 今度は俺が言うし!」
ヤメとけば良いのに、幼稚園児の俺よ。
「いいよーっ! あ、でもね、わたしが勝ったらお願い聞いてくれる?」
「はっ! いいぜ、俺、負けねぇし」
「じゃあねーっ、きりしまくんの事、コウちゃんって呼んでいい?」
「こ、コウちゃん!?」
当時の俺は、この呼び名を毬萌にバカにされているような気がして、激しく拒否した。
が、「勝てば良いのだ」と思い直し、結局は受け入れた。
そんな、バカボンのパパみたいな眠たい事を考えているから……。
「やたーっ! わたしの勝ちーっ!!」
「う、嘘だ……」
先ほどよりも毬萌の足は速くなっており、体三つ分俺のゴールが遅れた。
「もういっかいするー?」
「あっ、あったりまえだろ! 今のは準備運動だったし!」
……昔の俺、頭悪いなあ。
「じゃあねーっ、今度もお願い聞いてくれる?」
「えっ?」
だが学習能力はあった、幼稚園児の俺。
踏みとどまる。
しかし、所詮は幼児。
負けを想定すると言う発想自体が存在しない。
「ダメー?」
「はっ! いいぜ、俺まだ本気出してねぇから! 本気の本気も出してねぇし!?」
そんな就職しないニートみたいな事言ってるから……。
「やたーっ! またまた、わたしの勝ちーっ!!」
「……もうヤダ」
今度は影すら踏めなかった。
「コウちゃんっ!」
「……なんだよ」
完全に心が折れて、毬萌に屈服した俺である。
「わたしの事は、お前じゃなくて、名前で呼んで欲しいなっ!」
「は、はあ!?」
男の子街道を走り始めたばかりの俺は、女の子を名前で呼ぶなんて辱め以外の何物でもないと信じて疑わなかった愚物であり、とても受け入れられる要求ではなかった。
その後、二度に渡るかけっこの末、俺は膝から崩れ落ちた。
半べその俺に、毬萌は言う。
「はいっ、これでコウちゃんは、ずーっとわたしの事、毬萌って呼ぶんだよ?」
「うぐ、わ、分かったよぉ……。ま、毬萌」
「にははーっ。なーにー、コウちゃん!」
「く、くうぅぅっ」
この時の契りを律儀に果たしているのだから、俺ってヤツもなかなかに義理堅い。
これこそ男のあるべき姿!
あっぱれ! あっぱれをあげよう!!
……何を見ている、ヘイ、ゴッド。
回想中なのに、時空を超えて湧いてくるんじゃない。
そんな訳で、ガキ大将気取っていた俺を見事に打倒した毬萌は、幼稚園で確たる地位を築くことに成功していた。
かくいう俺は、園児カーストの最下層に……となるはずが、どういう訳かナンバー2の立ち位置を維持していた。
今にして思えば、毬萌が上手く周囲をコントロールしていたのだろう。
末恐ろしい幼女である。
時を同じくして、毬萌の家が割と近所にある事が判明。
桐島家と神野家は自然に家族ぐるみの付き合いを始める。
お互いにひとりっ子で、「男の子も欲しかった」と言う神野家のおじさんとおばさんには良くしてもらえたので、この点に関して不平を述べようとは思わない。
ただ、俺の両親は、別に「女の子が欲しかった」なんて話を聞いた記憶がこれまでの人生を振り返っても見つからないにも関わらず、毬萌を猫可愛がりした。
時には俺を放ったらかしにして、ショッピングセンターで毬萌の着せ替えに興じたりもしていた。
何度俺が「ぼく、可愛いねぇ? おじさん、お菓子持ってるよ?」と怪しい勧誘を受けたことか。
なにゆえ俺の両親は、防犯ブザーを鳴らすまで我が子の危機に気付かぬのか。
思い返すと、よく無事に成長できたな、俺よ。
順風満帆に見えた毬萌の行く末。
そんな晴天に少しずつ暗雲が立ち込め始めたのは、小学校に上がってしばらくの頃であった。
ここまで情けない姿がほぼ全てを占めていた俺が活躍する場面でもある。
おい、何故よそを向いている。
これから大事なところなんだから、よく見て聞けよ、ヘイ、ゴッド。
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