第35話 アホの子、爆誕! そして……
俺が起こした乱闘騒ぎは、『桐島血しぶき事件』として語り草になった。
それ以来、オタサーの姫は何もしてこなくなったし、そもそも「こいつに付き合っているとヤバい」と取り巻き達が判断したらしく、オタサーは解散していた。
俺は両親とサブレ片手に
「鼻をグーパンで殴ってごめんね。もうしないよ。君が過ちを犯さない限り」
と謝った。
「僕の方こそごめんなさい。グーパンは勘弁して下さい。ごめんなさい」
太くんも俺に謝った。
話してみれば、太くんは良いヤツであった。
サブレは気に入っただろうか。
そして、前回語ったように、毬萌に変化が現れる。
「ダメだよコウちゃん! 運動力学に基づいたフォームは、こう! 顔は水に沈めないと!! えいっ!!」
「がぼぼぼぼ! ごぼばばばば!!」
当時、水泳を苦手としていた俺は、夏が来る前に憂鬱だった。
その憂鬱がうっかり毬萌にキャッチされたらしく、俺は温水プールに連れ出された。
そして、「わたしがコウちゃんを助けたげるねっ!」と言った彼女。
運動力学とやらのスパルタコーチによって、俺は溺れかけた。
意識が朦朧として、綺麗な花畑でばあちゃんが手を振っている幻影を見た。
ばあちゃん死んでないのに。
「コウちゃんは頭が良いのに、字が汚いんだよっ! だから、これ使って!」
「なんだよ、このボールペン」
「はい、じゃあ、このマットの上に紙を置いて、自分の名前書いてみよっ!」
「へいへいっ……と。きりしまああああああああああいっ!!」
またある時は、俺の悪筆を直して見せると張り切って、よく分からんがやたら重たいボールペンとカッチカチのマットを渡され、毬萌の部屋で習字教室。
仕組みは未だに不明ながら、一定の水準を下回る下手くそな文字を書くと全身に電気が流れると言う拷問じみた装置で俺は何度も失神した。
混濁する意識の中、じいちゃんが河の向こうで手招きしている幻影を見た。
じいちゃん死んでないのに。
このように、己の天才を俺に向けて、俺のために使い始めたのだ。
結果として、俺は水泳が学年でトップクラスの腕前になったし、悪筆だって跡形もなく消え去った。
これが一つ目の大きな変化。
そして二つ目。
いよいよ、お目見えである。
「みゃああっ!? コウちゃん、助けてぇー」
当時買ってもらったばかりだった携帯に、毬萌から電話がかかってくる。
「なんだ、どうした!?」
この俺の反応。
なんて真剣な声。
懐かしい。
最初の頃は、毎回ちゃんと心配してたんだよなぁ。
「あのね、テニスのラケットの中を体が通るかと思って!」
「試してみたらねっ!」
「お尻で突っかかって取れなくなったよぉーっ!!」
俺は電話口で思わず叫んでいた。
「アホか!!」
こうも付け加えた。
「それが出来るの、エスパー伊藤と限られた人類だけだから!!」
ちなみに、毬萌の尻で引っ掛かったラケットは、俺が二時間に及ぶ試行錯誤の末、糸のこぎりで解体に成功。
これが記念すべき、俺による毬萌救助の初体験。
これが記念すべき、毬萌によるスキだらけの初披露。
天才による天才がゆえのビッグバン。
——アホの子、ここに
一度元気よく顔を出した毬萌のアホの子モードは、雨後のタケノコよろしく、ニョキニョキと次々に生えてきた。
それでも、小学生の頃はまだ可愛いものだった。
頻度も、週に一回あるかないか。
例えるならば公文に通うくらいのペース。
なればこそ、小学生の俺でも対処できた。
それが中学生になると、頻度も難易度も跳ね上がる。
ある時は。
「コウちゃん! 水の上を理論上走れる計算が出来たから、立証しよう!」
近くの大きめの川にゴザを浮かべてその上を走らされた。
当たり前のように俺は沈んで、小学生の頃泳ぎをマスターしていた事実に感謝した。
まさか烈海王に着想を得たのではなかろうなと文句を言おうかと思案するも、「これ、
またある時は。
「どうしよう、コウちゃん! 逆立ちしたまま水が飲める仕組みが分かったよ!」
「ねえ、毬萌。今、朝の5時……」
「あのね、喉の筋肉って、あっ、厳密には食道の筋肉なんだけど」
「うん。毬萌、まだ朝日だって出てな……」
「食道の壁にはね、縦に走る筋と、輪っかみたいな筋があってねっ!」
「……今、行く」
そして俺は、パジャマ姿の毬萌に部屋へ迎え入れられる。
もう中学2年生の俺と毬萌。
普通だったら、そんなシチュエーションにドキドキしたりするもんなのかもしれん。
しかし、そんなデリケートな感情は、小学生を卒業したついでに捨て去った。
三分の一の純情な感情すらも俺には残っていなかった。
ああ、実験の検証ね。
女子に逆立ちなんてさせられる訳なかろう。
俺が逆立ちして、水をゴクゴクやったよ。
結果?
普通に水が激痛とともに鼻から出てきたけど?
嬉しそうだな、ヘイ、ゴッド。
「コウちゃーん! 喉の筋肉の使い方がへたっぴだよぉー」
「そんな班長みたいなこと言われても」と抗議しようかと一瞬思案するも、激しい眠気に負けて帰宅した。
中学の卒業式で毬萌が代表挨拶をする事が決まった時には、余りにも不安で不眠を患うほど勝手に追い込まれた俺。
そして当日講壇の中に潜り込む事に決める。
「卒業して羽ばたく事を想像すると胸が」と、読み終えたところで俺の危機管理センサーが反応。
「胸が、ムラム」
「ちょまぁぁぁっ!」
「みゃあっ」
「そこは、ワクワクだろうがぁぁぁっ!!」
「あー、そだそだっ。ありがと、コウちゃんっ!」
その後もスキを見せる度に太ももをペシペシやっていた俺。
中学の卒業式と言えば、第二ボタンがどうのこうのとか、そういうイベントがあったらしいけど、俺は知らない。
俺の思い出は、毬萌の太もも。
あと腰の痛み。
そして、「金属の研磨について研究するからねーっ」と言って毬萌に強奪された俺の第二ボタン。
そのくらいの記憶しかない。
そうして俺たちは花祭学園に入学したのである。
もちろん、毬萌と一緒に入学式へ向かったため、タダでは済まない。
道中、発生直後の密室殺人事件に遭遇すると言う奇跡を起こした。
そこで毬萌が、
「これは多分、ワイヤートリックだと思うんだっ! えっとね、外の雨どいにこうやってクルクルーってすると、ほら、一階に居ても二階の鍵がかかるんだよーっ」
などと、俺に妄言を吐いたと思えば、野次馬に交じっていた被害者の義理の息子が突然叫び出してこっちが驚く間に、「仕方がなかったんだぁ!!」と崩れ落ちた。
警察関係者が犯人を確保するタイミングで、俺は毬萌を抱えてダッシュ。
犯人の「俺の気持ちなんて分かるはずねぇよなぁ?」と言うお決まりのセリフに対しては一応の礼を尽くし、
「分からねぇよ!!」
と、叫んでおいた。
ナイス、俺。
それ以降も、アホの子に散々付き合わされてきた。
……でも、俺は内心、嫌じゃなかったのだ。
あいつに頼られることが、嬉しかった。
だから、どんな無理難題だってこなせるように、必死に天才を追っかけて。
勉強だって、雑学だって、専門知識だって、様々なものを吸収し続けた。
どこで道を間違えたのか。
そんな毬萌を泣かせてしまった。
こともあろうに、絶対に泣かせないと誓った、この俺が。
そして話は現在に戻る。
薄暗い部屋の中、頼りない常夜灯に照らされるのは情けない男の顔。
俺には、現実と対峙する責任があると思われた。
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