第28話 毬萌と違和感
連休が明けて、今日からウィークデー。
気分も新たに、学園生活を邁進する所存。
花梨と遊園地に出掛けた事は、自分で思っていたよりもずっと良い気晴らしになっていたらしく、毬萌の家に向かう足取りも軽い。
何ならスキップでもしたいくらい晴れやかな気持ちである。
もういっそ、スキップしてしまおう。
「……あらあら、まあ」
毬萌の家のはす向かいにある吉田のおばあちゃんに俺の出来の悪いスキップを目撃された瞬間であった。
「お、おはようございます」
「本当にねぇ、若いっていいねぇ。うふふふふ」
吉田のおばあちゃんはすごく微笑ましいものを見る目で、俺の若さゆえの過ちを見つめる。
さて、テンションも一気にクールダウン。
そうとも、連休気分で浮かれていてどうする。
これから、毬萌を叩き起こして学校へ向かわねばならんのだ。
あいつは寝起きがものすごく悪いから、こんな浮付いた足取りでは、心機一転の第一歩を踏み外すところであった。
吉田のおばあちゃんに、感謝!
そして毬萌の家へ。
神野家の呼び鈴を鳴らす。
いつものように、おばさんが「ごめんねぇ、コウちゃん。あの子まだ寝てるのよ」と言うので、俺は毬萌の部屋へ階段を駆け上がる。
……予定だったのだが、これは何事ぞ。
「おっはよー! コウちゃんっ!」
「お、おはよう」
毬萌が自力で起きている、だと?
しかも、普段は雨が降ろうと槍が降ろうと、終末の笛が鳴ろうとも、小倉さんの「おはようございまーす」を聞くまで頑なに家を出ない、あの毬萌が!
こともあろうか、めざましテレビの占いが始まる前に家を出るだなんて!
にわかには信じられない事象である。
天変地異の前触れか。
そう言えば、山の方から小動物の騒ぐ声が聞こえる気もする。
「なにしてるのー? 早く行こうよ、コウちゃんっ!」
「お、おう。そうだな。うん、まあ、そういう日もあるか」
「んふふー。変なコウちゃんだなー」
変なのは俺なのか。
いや、確かに、過剰に反応し過ぎているのかもしれない。
まあ、良いか。
おかげで、じっくり話す時間が出来た。
「今日の全校朝礼だけどよ、またお前の事だから、スピーチ内容考えてねぇだろ? まあ、いつもみたいに俺がサポートするから、とりあえず司会進行の流れだけは頭に入れとけよ」
連休明けに生徒を集めて朝礼するのは、もはや学校の義務みたいなものである。
誰も望んではいないが、そう言う風に出来ているのだから、世の中の学生諸君は諦めると良い。
貧血を起こして倒れない事だけに注力せよ。
「にっへへー。コウちゃん、コウちゃん! 実はね、わたし、今日のスピーチ原稿作って来たんだよーっ!」
「……えっ? 何だって!?」
大事なことだからもう一回言うぞ。
何だって!?
「は、はははっ、俺を担ぐつもりか! その手は食わんぞ」
「むぅーっ。ホントだもん! これ、見て!」
「……おいおい、嘘だろう?」
毬萌が手渡した紙には、時候の挨拶から始まり、休み明けの注意喚起。そして軽い冗談を交えたのち、短い言葉で締める。
そんな、完璧な道筋が記されていた。
「だから、今日はコウちゃん、講壇に潜まなくっても平気だよー」
「おう、いや、えっ? どうした、毬萌!?」
今日だって俺は講壇に潜む気満々である。
シップもエアサロンパスもバンテリンだってちゃんと用意してある。
それが俺の役目だし、それが俺の仕事だからである。
なのに、どうしたことか。
毬萌がアホの子を露見させないために周到な準備をするのに、その先回りを、あろうことか毬萌本人がしたと言うのか。
「だ、ダメだ! お前、そんなこと言って、ミスったらどうすんだ!? 今日は、セッスクくんの日本体験記だって発表するんだぞ? 言い間違えたら大変じゃねぇか」
「大丈夫だってばー。もうっ、コウちゃん、信用してくれないのー?」
「当たり前だ。信用してるんだ。これまでのお前の実績を。だから、ここは譲れねぇ。セッスクくんのためにも、譲れねぇ!!」
そうとも、一年前だって二年前だって、もっと昔から、こいつは俺の前ではスキだらけになっちまうんだから。
俺が助けてやらないで誰が毬萌を救うというのか。
「もうっ、分かったよぉー。でも、コウちゃんの出番はないからねー? にへへっ」
「ふん。言ってろ」
どうせ、結局俺の出番が回ってくるのだから。
「おっはよー、マルちゃん!」
「おはよう、毬萌! 久しぶりね、あら、髪型変えた?」
「ええー? 変えてないよー?」
「あら、そう? じゃあ、連休の間に毬萌の髪が伸びたのを感じ取ってしまったのね! まあ、私くらいになると、そんな些細な変化も見過ごさないってことね! 私でなきゃ見逃しちゃうね、うん」
毬萌が氷野さんに捕まったので、俺は教頭と朝礼の打ち合わせ。
教頭は今日もしっかり太っているし、額から頭頂部にかけてはいつものようにテッカテカである。
そうとも、いつも通りなのである。
やはり、俺の神経が敏感になっているだけなのか。
世界は普段通りに回っているのか。
そうだよな、そうに違いない。
「ちょっと、桐島公平」
「はい?」
ほんの二秒前、自分に言い聞かせた事実が即行で瓦解する音が聞こえた。
氷野さんが俺に自分から話しかけてくるなんて。
これはとんでもない異常事態である。
もしかすると、北海道と本州が地続きになる前触れかも知れぬ。
首相官邸に危急の早馬を出すべきか。
「何を呆けているの、桐島公平! 私が話しかけているのよ!?」
だから呆けているのですよ、氷野さん。
「一体どういうご用向きで?」
「……はあ。あんた、ほんっとうに救いようのない男ね」
要件を聞いたら失望されるとか、しようと思ってもなかなか経験できない事である。
そして彼女は、もう一度ため息をついてから、続ける。
「毬萌の様子がおかしいと思わないの? あんた、いつも一緒にいるでしょう」
「そう! それなんだよ、氷野さん! なんかあいつ変なんだ!」
「分かってるわよ、そんな事。……で、心当たりは?」
「皆目見当もつかない」
お手上げポーズの俺を見て、「ふむふむ」と氷野さん。
「話は変わるけど、あんた、冴木花梨とはどうなってんの?」
「えっ!?」
今の「えっ!?」は、「本当に話が変わったなぁ」の「えっ!?」と、「どうしてそんな事を知っているのですか?」の「えっ!?」を同時に表現した、高度なダブルミーニングである。
「いいから答えて。朝礼が始まるでしょ」
「あ、はい。三日前、一緒に出掛けたけど」
「……ふーん。だいたい分かったわ。もう行っていいわよ。どうせ、毬萌の足元に潜り込んで、彼女の魅力的な脚を舐めまわすように見るんでしょ? いやらしい」
会話の脈略もなければ、俺への気遣いもない。
そこにあるのは罵倒だけであった。
彼女は謎が解けた時のコナンみたいな顔になっているが、俺は多分失敗した福笑いみたいな顔になっているだろう。
「はいっ! それでは、続きましてー。留学生のセッスクくんによる、日本に来て驚いたことのお話です! 彼の流暢な日本語を静聴しましょう! わたしより上手かったりして、にへへ」
体育館に笑いが起きる。
俺は講壇の中。
いつも通りである。
そしてこの日、毬萌は一度としてスキを見せなかった。
誰の前でも。
もちろん、俺の前でも。
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