第21話 花梨と呼び方

 俺は、非常に寝つきが良い。

 枕が変わると眠れないと言う話はよく聞くが、俺の場合、枕が変わろうと、布団が変わろうと、環境が変わろうと関係ない。

 中学の修学旅行で俺の枕が枕投げの合戦に駆り出されている間に、自分でセルフ腕枕作って一人でスヤスヤ寝ていた事を、今でも同級生にいじられるくらいである。



 その俺が、「大地震が起きてもお前は多分寝続ける」と太鼓判を押された俺が、「新幹線の窓から顔出してても多分お前は寝られる」と勇名を馳せた俺が、この俺がである。

 土曜日、一睡もできなかった。

 何かの間違いだろうと思って、日曜日はサザエさん見たらもう布団に入った。

 鉄腕ダッシュと大河ドラマは苦渋の決断だったが諦めた。

 あとから聞いた話だと、鉄腕ダッシュは俺が大好きな農業回で、こっそりと趣味で育てているトマトの事が詳しく取り上げられたらしい。

 無念極まりない。

 神よ、それはあんまりな仕打ちだろう。


 その日は、さすがに眠りにつくことができた。

 と、思ったら、何だか嫌な夢を見て二時間ほどで目覚める。

 しかし、体は睡眠を求めているので再び眠りに落ち、やはり悪夢で目覚める。

 そんな事を繰り返していたら、月曜の朝になっていた。

 悪夢の内容?

 確か、誰かを追いかけて、必死に追いかけるんだけど伸ばした手は空を切り、みたいな感じだったと思うけど。

 その手に持っている夢診断の本を即刻寄こせ、ヘイ、ゴッド。



 授業中もかつてない眠気に襲われ、俺は両目を見開いていた。

 いつもは教師と目があえば指名される俺なのに、今日は俺と目が合うなり全教科の教師が目を逸らした。

 へこたれつつも、放課後は生徒会室へ向かうのが俺の役目。

 この扉も、今日はやけに重たく感じる。

 ……重いな。……重すぎない?


「おらぁぁぁっ!」

「んみゃっ」


 人一人分くらい重たい扉に気合を入れたところ、反対側で聞き慣れた悲鳴がこだました。

「いたたた……。ひどいよぉー、コウちゃーん」

 開いた扉の向こうでは、毬萌が尻もちをついていた。

 どうやら、こいつはドアに背を預けていた模様。

 そりゃ一人分の重さも感じるよ。

 むしろ、的確に一人分の重さを感じた俺の感覚器官を褒めてやりたいよ。


「何してたんだよ。あと、悪ぃ。怪我してねぇか?」

「にははっ、平気だよー。実は、マルちゃんのとこに持ってくファイルの順番を並べ替えてたんだー」

「ったく、そんな横着するから。あー、今度の校内服装検査のファイルか。貸してみ。いち、にの、さん、し……と」

 俺は散乱したファイルを手早く学年別に分け、更にクラス順に並べ替えた。

「おおーっ。さすがの手際だねー。ありがと、コウちゃん!」

「俺が持って行ってやろうか?」

「んーん。大丈夫。ていうか、コウちゃん、マルちゃんのとこに行きたいの?」

「行きたくねぇけど!?」

 即答せざるを得ぬ質問であった。

「でしょー? じゃあ、しばらくこっちは任せるねっ! 行ってきまーす」

 トテトテと小走りで毬萌は駆けて行った。誰かとぶつからなければ良いが。


 自分の席に座り、パソコンを立ち上げる。

 油断すると眠ってしまいそうだ。

 と言うか、少し寝ようかしら。

 ガチャリと扉が開く音が、俺を現実に引き戻す。

「お疲れ様です! あれ、桐島先輩お一人ですか?」

「おっ、おう!?」

 心臓の跳ねる音が聞こえた。

 そして、週末悩まされた不眠の原因が立った今、パズルのように組みあがった事も感じた。

 意識しないように意識していた事実のご入来。


 ——俺は、この可愛い後輩に、告白されたのだ。


「あははっ、変な桐島先輩! どうしたんですかー?」

「いや、なんでもねぇよ?」

 むしろ、君はどうしてそんなに自然体でいられるのか。

 俺なんて、花梨が部屋に来てから、眠気がすっ飛んで代わりに動悸がおいでませしてるって言うのに、その普段通りの笑顔は何事か。

 その後、鬼瓦くんもやって来て、とりあえず俺たちは仕事を始めた。



「ですから、……を! あなた……して……!」

「分かったよ。分かったから、足をつねらないでおくれよ」

「ちょっ、あなたは声が……ですよ。……に……えたら、どうするんですか!」

「ごめん、気を付けるよ!」


 ……内緒話である。

 花梨と鬼瓦くんが、何か内緒話をしている。

 何故そう断定できるのかと言えば、花梨はちゃんと内緒で話をしているけれども、鬼瓦くんの声がまったく内緒になっていないからである。

 フルオープンである。

 全砲門が開いている。

 むしろ、既に弾頭の先っちょが出ているレベルである。

 それを見て、警戒するなとは無茶な話。

 耳を澄ませてみよう。

 俺の叩くキーボードの音が途切れ、更に聴覚へと神経をとがらせれば、何もかもがつまびらかになると思われた。


「少しはあなたも意見を出してください! 同じ男の人でしょう?」

「そうは言っても、僕は人付き合いが苦手だし」

「あたしだって、本当はもっと頼りになる人に相談したいですよ! でも、あなたしか人がいないんだから仕方ないじゃないですか!」

「ひどい言い草だよ」


 うん。ガッツリ聞こえる。

 どうも、花梨が何かに困っているらしい。

 鬼瓦くんでは対処できないことなのか。

 ならば、俺を頼ってくれれば良いのに。

 うむ。歩み寄ろう。


「どうした? 何か困りごとか?」


「えっ!? あっ、別に何でもありません! ちょっと先輩はあっち行っててください!!」



 ——花梨さん? なんか当たりが強くない?



 とりあえず拒絶された俺は、自分の席へ不時着。

 目頭をハンカチで押さえる。

 でも、懲りずに聞き耳を立ててしまう、愚かな男。それは俺。

「ほら、先輩に気付かれちゃったじゃないですか!」

「でも、いい機会だったじゃない。直接言ってしまえばいいよ」


「だーかーら! 言えたら言ってますよ! って!!」


 すげぇハッキリ花梨の要望が俺に届いた瞬間だった。

 なんかよく分からんが、これは俺が提案したら済む話では。

「あー。花梨、ちょっと良いか?」

「は、はぃぃ!?」

「ああ、いや、俺たちもそろそろ打ち解けて来たからさ。何と言うか。もっとフランクに呼んでくれても良いんだぜ? 俺の事。例えば、名前とかで」

 花梨の顔からボッと音がしたような気がすると、見る見るうち耳まで朱色に染まっていく。


 時を同じくして、「僕はちょっとお花を摘みに」と鬼瓦くんがエスケープ。

 なに? 俺、何かしたかい?


「もー! 聞こえてたんですか!? だったら早く言ってくださいよ! 恥ずかしいー」

 俺はふと不思議に思ったことがあり、口に出してみた。

「いや、でもな、花梨。君は先週、あんな大胆な事を俺に向かって言ったのにだ。その、名前で呼ぶとか呼ばないとか、すげぇ些細な事で躓くのが腑に落ちねぇと言うか……。そこまで興奮する事かなって思……おうっ!?」

 俺の薄さに定評のある胸板をポカポカと叩いて、花梨は口を尖らせる。


「先輩って、色々な事を知ってるのに、女の子の気持ちには鈍感なんですね」

 ジト目の花梨さんはご立腹である。……とりあえず謝ろう。

「あー、うん。なんか、すまん!」

「……しかたないので、許してあげます」

 そして彼女はくるりと体を一回転させて、少しいたずらっぽい顔をしたかと思えば、俺に向かって言うのである。



「じゃあ、今日から呼び方、変えますね! ……こほん。公平せーんぱい!!」



 なんとなく、今晩も安眠はお預けな予感がする。

 そんな夕暮れ時の生徒会室。

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