第20話 花梨と公平 その2

 何が起きたのだろうか。

 今はどうなっているのだろうか。

 日夜、生徒社会の適切な運営と助力に奔走し、常に周りに気を配りアンテナを張っているがゆえ、状況把握能力にはいささかの自信を持っていた俺だが、それは過信で誤りだったのかもしれなかった。

 いざ自分の事となると、何と言う対応力の無さか。

 思えば、己が身に起きる事の想定などしていなかった。

 今回は内容が内容だけに、なおの事である。



 ——どうやら俺は、可愛い後輩に愛の告白をされているらしかった。



「あー、ええとだな、花梨。それはどういう?」

 なんとふやけた返事だろう。

 汁を吸って膨らんだはんぺんよりもふにゃふにゃな言葉。

 意味などとうに分かっているだろうに。

 とても清く正しい日本男児から出たセリフとは思えない。

 もはや男と名乗るのも憚られる。

「そのままの意味です! あたし、桐島先輩の事が好きなんです!!」

 対して、花梨の、この凛として堂々とした態度はどうか。

 自己の感情を理解した瞳は、真っすぐ俺に向けられている。

 何か言わなくてはと言う気持ちと、いや待ってくれ、ここは少し考える時間が欲しいと、ひとまず保留に走ろうとする性根の弱さがせめぎ合う。

 そして俺を更に混乱させたのは、背中越しに飛んできた毬萌の言葉である。



「……良かったじゃん! 花梨ちゃん、可愛いし、頭の回転だって早いし、すっごくいい子だよっ!」



「おいおい、何言って……!」

 本当に何を言っているんだ、お前は。

 これ以上俺を困惑させないでくれ。

 ただでさえ脳の回転がほとんど停止しているのに、毬萌、お前にそんな風に焚きつけられたら俺は、本当にどうしたら良いのか分からなくなってしまう。

 結局、次に発すべき言の葉は俺の手のひらに落ちる前、塵となって消えて去る。

 そんな沈黙が1分続いただろうか。

 心情的には何十分にも、何時間にも感じられた時の流れだが、相変わらずぼんやりと見つめる時計の秒針は、一周しかしていない。

 立ち尽くす俺を見て、花梨がニッコリと笑う。


「あははっ! 先輩、そんな深刻そうな顔しないでくださいよー。別に、普通のことですよ? 高1の女子が、憧れの先輩に想いを伝えただけです!」

「いや、おう。まあ、そうなのかもしれんが……」

「ですよねー。先輩は、こういうお話に即答で答える人じゃないですもんね! むしろ、即決でお前が好きだーとか言う人なら、あたしは好きになってませんし! ですから、お返事は今じゃなくて結構です! でも、ちゃんと考えておいてくださいね?」

「あ、ああ。そりゃあ、もちろん。当たり前だろ、そんなこと」

 男として、最低限のマナーくらいは持ち合わせているようだと、俺は自分に安堵した。


 人生で初めて異性に告白されたんだぞ。

 考えるなと言う方が無理な話。

 むしろ、やっと働き始めた俺の脳が、今だって侃々諤々かんかんがくがくの論争を始めている。

 おかげ様で、一向に気の利いた言葉の一つも出て来やしない。


「じゃあ、あたしはお先に失礼します! 桐島先輩、毬萌先輩、また週明けに!」

「お、おう。お疲れさん。気を付けてな」

「うんっ。花梨ちゃん、またねー」

 再び静かになった生徒会室で、俺は「ああ、今日ってそう言えば金曜だったのか」などと、また眠たい事を考えていた。



 鬼瓦くんが戻って来たのを合図に、俺たちも帰路に着くこととなった。

 隣を歩く毬萌は、いつもと変わらない。


「んふふー。さっきはビックリしちゃったねっ」

「……おう。マジで度肝を抜かれた。今でもあれは現実だったのか自信がねぇよ」

「にははっ! コウちゃん、テンパり過ぎだよー」

「そりゃテンパるだろ!? だって、お前、俺が告白されたんだぞ!?」

「えー。別に不思議な事じゃないと思うけどなー? だってコウちゃん、カッコいいし、優しいし、気配り上手だしっ! むしろ、今まで女の子から告白されたことがないって事の方がおかしかったんだよっ!」

「バカ言うな。俺みたいな男なんて、世の中に腐るほどいる。石投げりゃ当たるレベルにワラワラと跳梁跋扈ちょうりょうばっこしてる」

「にははっ、コウちゃんがたくさんいる世の中はなんかやだなー」

「そうだろう? だから、花梨も、なんつーか、一時の気の迷いみたいなもんなんじゃねぇかな。いや、多分そうだろ」


 すると毬萌が俺の顔の前に人差し指をピッと一本立てて、頬を膨らませた。


「コウちゃん! それはダメだよ! 花梨ちゃんはすっごく勇気出して、コウちゃんに気持ちを伝えたんだからっ! そんな風に茶化しちゃダメっ! 真剣に考えてあげないと! 女の子から想いを伝えるのって、すごく、すっごく勇気がいるんだよーっ!?」


「お、おう」

 毬萌の剣幕に気圧されて、俺は言葉が出てこない。

 変わりに頭で考えた。


 そうか、そうだよな。

 毬萌の言う通りだった。

 今回ばかりは反論の余地がない。

 俺は何と言う不義理を犯してしまうところだったのだろうか。

 いつまで呆けているのだ、桐島公平。しっかりしろ。

 誰かを相手にするときはしっかり向かい合うのが信条だったのではなかったか。

 ならば、その相手が自分に好意を寄せてくれているのだから、なおの事その事実と向き合うべきではないか。


 公平と言う名前の意味を忘れたか。

 色を知る前に恥を知れ。

 恥を知ったら前を向け。

 


 やるべき事は決まった。

 とにかく真剣に思考し続けるのみ。

 これも毬萌のおかげである。


「でもよ、毬萌」

「んー? なになに?」

「お前は俺が——」

「えー?」



 お前は俺が——。その後に、俺は何を言おうとしたのか。



 思わず口をついて出た言葉だが、その意味合いを自分でも推し量れず、宙に浮いたセリフは尻尾を捕まえてそのまま飲み込んだ。


「いや、なんでもねぇ」

「にははっ、変なコウちゃん!」

「……俺、悩んでみるわ。お前が言う通り、こいつはちゃんと、誠実に答えねぇとダメな話だった。なんつーか、ありがとな」

「えへへー、どういたしましてっ! なんか、普段と逆だねっ。いつもコウちゃんが助けてくれるのに。たまにはこんなパターンも良いものだねぇー、にははっ」

「ホントだよ。お前がもっとしっかりしてくれりゃ、俺の肩の荷も軽くなるってもんなのによ。まったく、いつも世話掛けさせやがって」

「ゴメンってばー。……あっ、もう着いちゃった。じゃあね、コウちゃん! 今日も送ってくれて、ありがとっ」

「おう。また月曜にな」



 毬萌を送り届けてから、俺はUターンして自分の家へ。

 ふと、何の気なく振り返った。

 いつもは毬萌が元気よく手を振ってくれる光景がそこにはある。

 俺はそれに苦々しい顔をしながらも応えて、手を振り返してやるのだ。

 ただ、この日は既に彼女の姿がなく、俺は挙げた手を静かに下ろした。



 帰ろう。

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