第19話 花梨と公平 その1
その日は普段通りの朝だった。
朝飯の目玉焼きが双子だった訳でもなければ、食後のお茶に茶柱が立っていた訳でもないし、靴紐が切れた訳でもなければ、黒猫も目の前を横切らなかった。
無味乾燥な朝。
校門を通って、下駄箱を開けても手紙なんか入っちゃいないし、教室のロッカーの中にだって、以下同文。
生まれてこの方、自慢じゃないが恋愛話が降って湧いた事なんて一度としてなかったのだから、そりゃあ、そんな事態を想像しろなんて言うのも、そいつはちょっと無理がある。
だが、この日は俺にとって、俺たちにとって、大きな転機となる日だった。
「なあ、カラオケでもどうだ? 二年になってから行ってないだろ」
ホームルームの終わった教室で、茂木に声を掛けられた。
「いいな! と言いたいとこだが、今日も生徒会がなあ」
「ヒュー! 公平ちゃんはマジメだからよぉー! たまには肩をほぐした方がいいぜぇー? 昔みたいに庭でバーベキューしてレモネード飲もうぜぇー! ヒュー!」
「おう。そうだな」
高橋なりの気遣いかな? ありがとう。
「美少女が二人もいる生徒会であっちもこっちも固くして、将来はお堅い公務員にもなるのかい? ヒュー! オレは将来パイロットになりたいけど、空は飛べねぇぜ? ヒュー!」
前言撤回。
とっととパイロットになって、人様に迷惑かけないように墜落して、健康に支障のない程度に痛い目を見ると良い。
「まあ、年度が始まったばっかで今は忙しいけど、そのうち時間も作れるようになるから、また誘ってくれよ! よっしゃ、俺は生徒会行くわ」
「ああ。頑張ってな。じゃあ、俺たちも部活に行くか」
「ヒュー! 今日もいい汗流せそうだぜ! おっと、涙は流さねぇぜ? 男が泣いていいのは、ママが風邪ひいた時と、あくびをした時だけだぜ? ヒュー!」
しかし、彼らが言うように、二年になってからずっと生徒会に掛かりっきりな感は否めない。
でも、それが別に苦痛じゃないって言うのだから、困ったものだ。
ワーカーホリックかと言えば、それも違う。
毬萌の世話焼いて、花梨と茶を飲んで、鬼瓦くんと雑談する。
そんな時間が、俺は好きなんだろうと思うのだ。
ん? つまり、趣味と実益を兼ねた状態ってことか?
……なんか、それはそれで、やっぱり仕事大好きな変態みたいで嫌だなぁ。
「おっす。お疲れさん」
「お疲れ様です、桐島先輩! あの、お茶、淹れましょうか?」
俺を見てまず茶の用意を申し出る花梨。気の利く女子である。
「なんか最近、花梨にばっかやらせて悪いな。たまには俺が淹れるよ」
「だったら僕が淹れますよ。お菓子もありますし」
鬼瓦くんの今日のお菓子は何だろう。楽しみである。
「いやいや、お菓子作って来てくれてんのにこれ以上気を遣ってくれるな。ここは俺が」
「ねね、じゃあ、わたしが淹れよっか!?」
立ち上がる毬萌。なるほど、その手があったか。
「それは良いな。頼む」
「お願いします!」
「僕の出る幕ではないようですね」
三人で、「どうぞどうぞ」と毬萌に責を譲った。ダチョウ倶楽部かな?
「そう言えば、さっき陳情に来た部活がありましたよ。今日はあたしが一番乗りだったので、受け取っておきました。こちらが書類です。要点だけ纏めておいたんですけど、余計な事でしたか?」
「何言ってんだ。めちゃくちゃ分かりやすくなってるよ。ええと、茶道部か。なになに、上の階の剣道場が激しい練習をするのでホコリが天井から落ちてくる。どうにかして欲しい、と。あー、なるほど。うちの学園、何故だか武道場のある棟に華道部と茶道部がいるんだよなぁ。剣道部も普通に熱の入った練習してるだけだし、どっちの肩を持ったものか」
「あっ! ちょっと閃いたんですけど、良いですか?」
「おう、聞かせてくれ」
「鬼瓦くん、二つの部活の予算、浮いてるお金ってあります?」
「少し待ってください。……出ました」
鬼瓦くん、『24』の優秀な分析官みたいになってきたな。
その屈強な肉体と言い、似合いすぎる。
「ええと、あ、結構浮いてますね! 桐島先輩、問題になっている二つの部活の活動費から、同じ割合だけ出してもらって、天井に簡易的な工事をするのはどうでしょう? それまでは、ビニールシートでも張っておけば、多少被害も緩和されるかもです!」
「それは良い意見だな! 工事の要望は部活の顧問の先生に俺からしてみるよ。鬼瓦くんはそれまでに見積もり出してくれると助かる」
「もうやっています。……出ました」
ちょっと、CTUが引き抜きにくるんじゃないの、このデキる男の事を。
「んじゃあ、俺ぁひとっ走りして、顧問の先生に見積書見せて話付けてくる。花梨、お手柄だぞー。よーしよしよし」
「も、もう、ヤメて下さいよー。子供じゃないんですからぁー!」
はっはっはと笑ったあとに、ふと毬萌を見る。
非常に不安定な姿勢で、湯飲みを4つ同時に抱えている。
どうせ、「効率を考えたら全部同時に作業をした方が良いんだよっ! お茶の温度だって変わらないしっ!」とか言うに決まっているが、それは後で聞くとして、俺は速やかに毬萌の背後へ回り込む。
「みゃっ!? あーっ」
それ見たことか。やると思ったよ。
俺は素早く落下するお盆をキャッチ。
幸いにもバランスを崩した湯飲みはひとつ。
そいつを美しく空中で捕獲して、全てのお茶を守り、毬萌の火傷も同時に防いだ。
「セーフ! ったく、見てらんねぇよ」
「あぅ。ごめんね、コウちゃん。でもでも、こうやった方が効率を考えるとねっ」
「そいつはもう俺の頭ん中で聞いた。……とりあえず、怪我してねぇならそれで良し!」
「うう……。あれ、コウちゃん、どっか行くんじゃないの?」
「行くぞ。その前に茶を飲む。あっちぃ! いや、熱くない! せっかくお前が淹れた茶が冷めちまったら台無しだろ? そこに費やした労力はどこへ行く?」
「コウちゃん……! うんっ、そうだね、とっても合理的な考え方だっ!」
正直、アッツアツのほうじ茶をがぶ飲みするのはかなり根性を燃やす必要があったし、胃の中が火事みたいに熱を持ったが、この程度の被害なんてどうってことない。
そうだろう?
そして俺は、件の教師の元へ走るのだった。
一時間後。
「なかなか先生が捕まんなくて骨が折れたぜ。ただいま」
「おっかえりー! お疲れさまだよーっ」
「お帰りなさい! 大変でしたね!」
「なんのなんの、これくらい。……鬼瓦くんは?」
「えっと、彼なら、お花を摘みにと言って出ていきましたよ?」
相変わらず、淑女っぽく退席するなあ、彼は。
不意にタイミングが重なり、全員が沈黙した。
別に、そんなに珍しい事じゃない。
4人でいる時や5人でいる時だって、こんな事はざらにある。
しかし、この沈黙が破られる瞬間、かつて俺を襲ったどんな衝撃よりも強烈なクリティカルヒットを頂戴つかまつることになるのである。
花梨が言った。
「……ところで、お二人はお付き合いされているんですか?」
「はあぁぁ!?」
「ほえっ?」
お付き合い。
つまり、男女交際をしているかって質問だよな、これは。
待て待て、俺と毬萌が男女交際?
そんな訳あるか。馬鹿げている。
「んなことしてねぇよ! なあ、毬萌?」
「……えっ? あ、うん。そだね」
一体なんだってそんな事を確認する必要があるのかと、花梨を問いただそうとしたところ、彼女のターンはまだ終わっていなかった。
「それじゃあ、桐島先輩! あたしと、お付き合いしてください!!」
彼女の凛とした声だけが、静かな生徒会室に響く。
——何となく眺めていた時計の針が、動くのを止めたかのように思われた。
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