第14話 氷野丸子の秘密
「イベントの時なんだけど、ここの昇降口は封鎖した方が良いわね。テンション上がった生徒が走ったりすると危ないから」
「そうですね。もういっそ、ルートは少なくした方が良いかもです。競争が目的じゃないですし。そっちの方が風紀委員さんたちのご負担も減りますよね」
「うんうん、いいじゃない。冴木花梨、あんた本当に優秀なのね。毬萌が推すだけのことはあるわ! でも、私たちに遠慮は無用よ。学園の行事の安全面を支えるのは、風紀委員会の責務ですからね。ガンガンこき使ってくれていいのよ」
「えー。そんな、こき使うなんてできませんよ!」
「うふふっ、ちょっと意地悪な言い方しちゃったわね。でも、使ってくれていいって言うのは本当よ? 変な遠慮はなし。やるからには、最高のものにしたいじゃない!」
「マルさん先輩……! ありがとうございます!!」
本日は、風紀委員長の氷野さんも同行して、オリエンテーリングで使用する経路の安全性や利便性、イベント当日のシミュレーションを含めた入念な打ち合わせが進行中である。
「じゃあ桐島先輩、次は……って、あれ?」
花梨が俺を探している。
俺はここだ。
君らの50メートルくらい後ろにいるぞ。
「せんぱーい! どうしてそんなに離れてるんですかー?」
それはね、とても簡単な事だよ。
実にシンプルな答えさ。
「桐島公平! 何をやっているの!? きびきび動きなさい! まったく、愚鈍ね。あんたみたいなのが副会長だなんて、今年の生徒会はどうかしてるわ」
——氷野さんがね、すごく怖いからだよ。
花梨と氷野さんは、毬萌が間に入ったとは言え、元から相性が良かったらしく、既にお互いが信頼し合う良好な関係を築けているようであった。
それは良い。
大変結構な事なのだが、相変わらず氷野さんの俺に対する当たりが凄まじい。
どうして俺だけ常に護摩行してるみたいに怒りの炎で炙られないといけないのか。
このままじゃ、こんがりきつね色では済まない。
焦げる。消し炭になる。
以前、回転寿司でウキウキと炙りサーモン注文したら、少し前までサーモンだったはずの固形燃料みたいなものが新幹線に乗って来たことがあるが、あんなに悲しいものはない。
思い返せば、なるほど。
あの日の炙られ過ぎサーモンは、今の俺だ。
俺は「ちょっと靴紐がほどけたから、先に行っておいてくれ!」と叫び、氷野さんの「こいつ本当に使えないわね」と言う視線のレーザービームで肩を撃ち抜かれながらも、一時戦線を離脱する事に成功した。
俺の傍には、風紀委員の一年生男子。
彼も俺と同じく、氷野さんから距離を取っていた。
仲間である。
彼に親近感を覚えるなと言う方が無理な話である。
マラソン大会で死にそうになっている時に、ふと気付けば「スタート地点からこいつとずっと一緒じゃね?」と、並走するランナーに気付いた時のような、苦難の中で同族を見つけた安堵感。
俺は完璧に理解していた。
彼となら、分かり合えると。
「なあ、ちょっと聞きたいんだが」
「なんですか?」
ほら、この普通のリアクション!
聞いた? 俺に対して普通に接してくれている!
もうこれだけで、例えば話したこともない親戚のおっさんが不意にお年玉くれた時くらい嬉しいからね。
だって、最初は、俺風紀委員全員に暗殺対象として見られてるんじゃって、マジで思ってたんだもん。
「俺、氷野さんに何か悪いことしたかな?」
「はい」
えっ? 即答すんの!?
「いやいやいや! 俺、別に普通に毎日生きてるだけだよ!?」
「そこです」
えっ!? そこなの!?
俺が平和に毎日を過ごす事が既に罪なの!?
なにそれ、もしかして俺が気付いてないだけで、みんな俺の事、理科室の人体模型くらい嫌ってるとか、そういう話なの!?
「俺は生徒会の副会長としての役目を果たしているだけなのに」
「そこです」
君は人を奈落の底に突き落とすのが上手いなぁ。
もう俺のライフは残り少ないよ。
ゲージの色は真っ赤だよ。
「俺の何がいけないって言うんだ」
「あのですね、自分の話で恐縮なのですが」
「俺も恐縮だよ。生きててごめんなさい」
「先日、生徒会長に落としたボールペンを拾ってもらった事があったんですが、その際、うっかり屋さんだなぁと、素敵な笑顔を賜りまして」
まあ、毬萌の表情の8割は笑顔で出来てるからな。
それでどうしたのさ。
「とてもいい気分で廊下の角を曲がったら、氷野委員長が立っていました」
「うん。それで?」
「地獄に落ちろと言われました」
話が繋がんねぇ!
その廊下が地獄に通じてたって事でいいの? 良くないよね?
だって、地獄ってそんな、「ちょっと郵便局行ってくるわ」みたいに気軽に行くとこじゃないよね?
「ええと、つまり?」
「風紀委員になって数週間。やっと分かった事があるんです。氷野委員長は、男がそもそも嫌いであると言う事です」
「うわぁ、マジか。そういう事だったのか。……いや、でも」
「はい。それだけじゃありません」
だよね。
だって、今も二年生の男子が氷野さんの横で地図持ってるもんね。
俺たちと彼と、何か違うところがあるって事だよね。
「氷野委員長は……」
彼は息をゴクリと飲んで、こう続けた。
「男の事が嫌いで、生徒会長が大好きなんです! つまり、生徒会長に近ければ近い男ほど、あの人には嫌われます! 副会長。あなたは先ほど悪い事をしたのかと言いましたが、氷野委員長からしてみれば、生徒会長の横に常に立っていて、あまつさえ楽しげに会話をしているあなたは恨みの対象にしかならないのです!!」
「……そりゃねぇよ」
——それ、ハメ技じゃないか。
その後、彼は付け加えた。
「自分はほんの少し、ちょっとだけ生徒会長に笑顔を向けて貰えただけで、この有様です。もう、これ以上は言わなくてもお分かりになるかと思います」
うん。お分かりになったよ。
「あー、先輩! 靴紐、大丈夫でした? 結構時間かかってたみたいですけど」
二人に追いついた俺を、花梨が優しく迎えてくれる。
「ああ、すまん。ちょっと手間取っちまった」
「そのまま靴紐に絡まって窒息すれば良かったのに」
その小声の呟き、聞こえてるからね、氷野さん。
「は、ははは……。はあ……」
氷野さんの当たりが、ラグビー日本代表に余裕で入れるくらいよろしくないパワフルさを持っている理由は分かった。
それが一生解けない呪いであることも同じく分かった。
「もー、先輩がいないと困るんですから、勝手にいなくならないでくださいよー」
「悪い、悪い。でも、俺がいなくてもしっかりやれてるみたいじゃねぇか」
「ダメですよ! 先輩が近くにいてくれるだけで作業効率が上がっちゃうんですから、あたし! だから、ちゃんとそばにいてくださいね? 今回、先輩はあたしのサポート役なんですよ?」
「おう、そっか。そうだったな。分かったよ、ちゃんとお傍に立たせていただきますよ、お姫様」
「あははっ。なんですか、それー。苦しゅうないです、なんちゃって、ふふっ」
今はこの花梨からの信頼だけが一服の清涼剤。
いや、砂漠のオアシスである。
「そう言えば先輩、聞いてください。マルさん先輩ったら面白いんですよ! ガムは校内に持ち込んじゃダメなのに、ブレスケアは良いんですって。理由を聞いたら、口が臭い人って嫌じゃないって言うんです! あはは、おかしいですよねー」
「お、おお、そりゃあ笑えるな! はっはっは」
氷野さんはくすりとも笑わずに、俺に向かって無言で手を伸ばした。
反射的にこちらも受け止めるように両手を出すと、コロリと一粒の小さな個体が現れた。
……ブレスケアじゃねぇか。
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