第9話 毬萌とマチュピチュ
世の中、割と毬萌の言う通りに回っている。
認めたくないが、幼少期から数えてもタコとイカをそれぞれ10杯集めても足りないくらいの実証が行われており、それらを
反逆者と言う響きには少年の心がくすぐられるが、昨今の時世を鑑みれば向かい風を浴びながら生きていくのは辛い。
取材拒否の頑固おやじが経営するラーメン屋みたいな例もあるが、取材を受けたらもっと繁盛するのにと思わざるを得ない。
前置きが長くなったが、今回も毬萌の言う通りになった、と言う話である。
彼女の言うように、鬼瓦くんはどこに出しても恥ずかしくない、逸材であった。
まずは会計に慣れるために試運転をと昨年の部活動別の予算編成表を渡して、
「君がやりやすいようにカスタマイズしてご覧あそばせ」
と言ってみたところ、驚いた。驚かされた。
ほんの数時間で見違えるように数字たちを整列させたかと思うと、次に無駄をちぎっては投げ、省いては転がした。
なんということでしょう。
匠も称賛のビフォーアフター。
カスタマイズどころか、これは整形手術の域である。
それを俺と花梨で褒めると、彼は一言。
「僕にできるのはこれくらいですから」
——ヤダ、カッコいい。
「ふっふー。だから言ったでしょ? 武三くんはすごいって!!」
得意げな毬萌に反撃の言葉など見つかるはずもなく、俺は降参した。
こうしてまた、毬萌の言う通りに世界が回ったのであった。
「僕はエッフェル塔ですかね」
話のレコードの針が飛んだ訳ではない。
急に場面が変わっただけだ。
分かりにくい事をするな? ごもっとも。
ごめんなさい。
仕事終わりの雑談タイムである。
「世界旅行するならどこに行くか」と言うお題だ。
バーソロミュー・くまみたいな質問になってしまったが、お好みの地点に飛ばしてはあげられないので、了承されたし。
まだ鬼瓦くんは生徒会に慣れていない。
そりゃそうだ。入って数日だもの。
ならば、花祭学園の潤滑油マンとして名高い俺がトークセッションに打って出るのは当然の流れであり、これまでいなかった男の話し相手の登場に内心ウキウキしている事も手伝って、会話は大いに弾んだ。
「ああ、いいよな。一緒に凱旋門も見られるしな。まあ、行ったことねぇから、エッフェル塔と凱旋門の位置関係がイマイチ分からんが。東京タワーとスカイツリーくらいだろ、多分。知らんけども。そうか、鬼瓦くんはフランス推しなのな」
「はい。フランスは好きなんです。観光だけじゃなくて、洋菓子屋としても魅力的です。僕の父も若い頃に修行のため数年滞在していたらしいです」
「ははあ、なるほどなぁ。そう言えば、アレ、なんて言ったっけ。ああ、そう、エクレア! エクレアって確かフランス菓子だったっけか?」
机で書類の決裁をしていた毬萌の目が怪しく光る。
「コウちゃん! 他にも、マカロンとかモンブランとか、フィナンシェとかスフレとか、クリームブリュレとかガレット・デ・ロアとかもフランスのお菓子だよっ!! ちなみに、わたしはどれも大好きだよっ! すっごく美味しくて、頬っぺた落ちちゃいそうになるんだからっ!」
「が、がれ、ん? ガレッジセール? なんかよく分からんが、すげーすげー。いいからお前は仕事しなさい」
「ぐぬぬぬっ! わたしだってお喋りしたいのにっ! いじわるーっ!!」
俺が冷たいと思われるのは心外である。
何故ならば、今、俺と鬼瓦くんは毬萌の仕事が終わるのを待ちながら、そのついでに雑談しているのである。
花梨はかなり前に家の用事があると言って帰った。
外もすっかり暗いのに残ってやっているのだから、冷たいどころかホッカホカである。
ならばとっとと帰ればいい?
バカ言うな、こんな暗がりの中、女子を一人で帰せるか。
「桐島先輩はどこに行きたいですか?」
「んー。そうだなぁ。……マチュピチュ、かな? ミステリアスなとことか、良いよな。もうなんつーか、響きからしてミステリアスだもん。ついつい口に出したくなる観光スポットランキングでも確実に上位ランクインすると思うぜ」
「ああ、いいですね。あんな所に、あんな大きなものが……と。確かに、男のロマンですね」
「うむ。全くもってその通り。マチュピチュ、良いよな!」
「あっ、すみません、先輩。僕、ちょっとお花を摘みに」
「お、おう。行ってらっしゃい」
男のロマンを語ったはずの鬼瓦くんが、何故か淑女っぽく退席した。
口にはハンカチを咥えている。
今日は黄色の布地にお花の刺繍がひっそりと上品さをトッピング。
やはり洋菓子屋のせがれともなると、ハンカチの趣味からしてエレガントで感心する。
それにしても、てっきり毬萌のヤツがマチュピチュの豆知識でも披露してくるかと思ったが、予想に反して静かだな。
ふと顔を上げて様子を見ると、顔を赤くしてプルプル震えている毬萌。
どうせ「一人息止め選手権」とかしてるんだろうなあと思うものの、ついつい気にしてしまうのが俺の悪い癖。
「おーい。何してんだ?」
「ひゃあっ!? き、聴いてないよ!? わたし、君たちの話、全然聴いてないよ!? 全然、全然、ぜーんぜん聴いてないからねっ!?」
「……ん? ああ、そう」
なに、この突然の宣言。
と言うか、さっき会話に入って来てたじゃねぇか。
んじゃ、聴いてんだろ。
「ごめんねっ! 実は聴こえちゃってた! でもでも、仕方ないよね、男の子だもん。そ、そういう事に興味持つのも、自然って言うか、健康な証拠だし? で、でも、ここに女の子がいるんだからさ、もう少し配慮って言うかさっ、そーゆうのがさ」
しばらくジーっと見ていると、勝手に釈明会見を始めた毬萌。
そして会話の歯車の悲鳴も聞こえた。
何と言う噛み合わなさか。
醸し出すのは、テトリスの下の方でやらかした時の「あっ、これ多分最後までズレたままだな」と言う絶望感。
「いやいや、マチュピチュに男も女もねぇだろ?」
「みゃっ!? そ、そんな大きな声で言わないでっ!!」
「はあ? お前、マチュピチュを何だと思ってんだよ」
毬萌はさらに顔を赤くする。
スライムベスか。
「えっ、エッチな言葉でしょ!? そ、それくらい、知ってるもんっ!!」
——この子は、本当にアホだなぁ。
なにゆえ、何とか言うおフランスの菓子の名前を知っていて、マチュピチュを知らんのか。
相変わらず、俺の理解を軽々越えていく。
ついて行く身にもなれ。
その後、俺はマチュピチュを図解付きで説明してやり、毬萌のアホの子モードのスイッチをオフにしようと試みた。
マチュピチュも勝手に汚名を着せられて、さぞかしご立腹であろう。
本当に、よくもまあ次から次へと色んなものに汚名を着せるもんだよ、お前は。
やり手のアパレル店員か。
そしてスイッチをオフにするのは無理だった。
「えっ、じゃあ、濃厚テリーヌミルクもエッチな言葉じゃないの!?」
「それ、さっきお前が食ってた菓子パンだろうが! 買った時点で理解しろよ!!」
ごめんなさい、敷島製パンさん。
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