第5話 毬萌と迷惑メール

 突然だが、うちの学食は美味い。

 メニューの量も豊富なら、ご飯の量も豊富であり、しかも安いし美味い。

 完璧である。

 非の打ちどころがないと言っても過言ではない。


 そして放課後の今。

 俺は優雅にアフターヌーンティーと洒落こんでいる。

 午後の紅茶を片手に、チーズケーキをパクリ。

 なんて甘美なひと時。

 そんな俺のリラックスタイムを邪魔するように、スマホが震える。

 相手を見るまでもない。

 仕方がないので電話に出る。


「助けて、コウちゃんっ! わたし、オオアリクイに襲われて旦那さんを亡くした未亡人に一千万円貰って、EXILEのタカヒロとパーティに行って、新しく出来る宗教の神様にならなくちゃいけなくなっちゃったよぉー!!」


 チビチビと楽しんでいたチーズケーキを一口で頬張り、午後の紅茶でそれを胃に流し込む。

 さようなら、俺のリラックスタイム。

 口の中がカラになってから、俺は短く返事をした。

「今すぐ行く」



「ぐぬぬぬっ……!」

 生徒会室では、毬萌がピンクのスマホを握り締めて唸っていた。

 チワワかな?


「あっ、コウちゃんっ! 来てくれたー!!」

 そして俺を見つけて目をキラキラさせる。

 散歩に行く前のチワワかな?

「何がどうしてどうなったんだ。簡潔に頼む」

「このメール見て! 私はオオアリクイに旦那を殺された未亡人です。今回は訳あって、夫の遺した一千万を信頼できる貴方に譲ろうと思います……だって! どうしよう、贈与税の計算は済んだけど、心の準備がっ!!」

 理知的なパニクり方にイラっとするが、問題の根本が幼稚的過ぎてクラっともした。


「何をそんなに慌てる必要があるってんだ」

「だってぇ! ……そっか、慌てないで、もう一回計算し直せってことだね、分かったっ!! まずは基礎控除額を差し引いて、890万円でしょ。そこに30%の贈与税がかかるから……、みゃっ!? 大変だよコウちゃん! わたし未成年だから、お父さんかお母さんに代理で申告してもらわないと!!」

「そこかよ! つーか落ち着け!!」


 嫌な予感が全力疾走して来やがった。

 ……まさか、まさかとは思うが。

「おい、もう返信したとか言わねぇだろうな?」

「当たり前だよぉっ!!」

 良かった、俺が考えているほど毬萌はアホじゃなかった。

「こんな大事なこと、よーく考えてから返信するに決まってるじゃん!!」

 俺の用意したハードルを軽々超えていく。

 そうだった、コイツは余程のアホだった。


「あのな、これは迷惑メールの常套句だ。そんな未亡人はいねぇ。よく見てみろ、ここにお互いの信頼のためまずは百万振り込んでくださいって書いてあるだろ。なんで一千万くれる話が金払うことになってんだ。つーか、オオアリクイに殺されねぇだろ、人は。よくは知らんが、あいつらアリ食うんだろ? そんなのすげぇ大人しそうじゃねぇか」


「あっ、待ってコウちゃん。そこは軽々に否定できないよ? ブラジルとかでは、実際に襲われて死者が出たりしてるはずだから。被害者が出てるってことは、そのことによって悲しみを覚える人がいるんだよ? 茶化すようなこと言っちゃダメだよっ」


「……お、おう。そうか。それはなんつーか、大変申し訳ない」

 このピンポイントで博識なところが余計に腹立つが、まあ、未亡人が存在しないことは俺の必死な訴えで不承不承ながらも納得したようだ。

 会議中に居眠りしている国会議員は、速やかに俺の情熱を模倣すべしとも思った。


「……って、えっ!? 迷惑メール? じゃあ、この、EXILEのタカヒロがアツシ主宰のパーティに同伴してくれる女性を探していますって言うのも? タカヒロがアツシのパーティに出られないなんて、大事件だよ!? だって、アツシとタカヒロ、どっちが欠けたってEXILEは成立しないもんっ!」


「アツシとタカヒロの関係がそこまで重要な要素だったのは分かった。でもな、お互いの信頼のためにまずは二百万って書いてあるだろ? さっきの亜種だ。つーか、二百万あったらすげー豪華なパーティ開けるだろ」


「そこは違うよ、コウちゃん。この話の主題は、タカヒロがパーティに同伴してくれる人を探してるってことだから、自分でパーティ開いちゃったら論点が変わっちゃう」

「……ああ、そうか」

 なにゆえ俺が毬萌先生の赤ペン修正喰らっているのかは承服しかねるが、これも毬萌は納得したらしく、それは結構なことである。

 タカヒロとアツシもさぞかし喜んでいるだろう。

 ハイタッチくらいならしているかもしれない。


「あなたは神の生まれ変わりで、救世のために我々を導いてくださいって言うのは?」

「つきましては、教団設立のために五百万振り込んでくださいってさ。お前らが出迎えに来いって話じゃねぇか。詐欺だ詐欺、こんなもん」

 さっきまで眉をひそめて珍しく険しくなっていた表情がいつもの見慣れたものに戻り、俺もやっと人心地が付いた。

 それにしても、こんな恥ずかしい勘違いをしてさぞや落ち込んでいるだろう。

 致し方ない。ここは俺がひとつ元気づけてや——


「良かったぁ! じゃあ、夫を亡くしたご婦人も、パーティに行けないタカヒロも、世界を憂いている団体も、全部いないんだねっ! ホッとしたよぉー」



 ——なにこの清らかな心。眩しいんだけど。



「……なあ、学食でケーキでも食うか? 奢ってやるよ」

「えっ、いいの!? やたーっ! 行く行くー!! なんだかコウちゃん優しいね? んふふー。ケーキ、ケーキ! 美味しいケーキ!!」

 俺にできるのは、毬萌のスマホの迷惑メール設定を強に変更する事と、世界平和を祈る事。

 そして、学食のチーズケーキをご馳走してやる事くらいである。

 守りたい、この笑顔。



「ところで、さっきの迷惑メール、全部ホントの事だったらどれ選んだんだ?」

 天才の率直な意見に興味があり、チーズケーキをモグモグやっている毬萌に話を振った。

「ほれはふぇ、へっほへぇ」

「飲み込んでからから喋りなさい。ほら、ミルクティー買ってあるから」

「んむんむ、ぷはーっ! ありがとー」

「で、3つのうち、どれを選ぶんだ? ああ、待て待て。どれも選ばないってのは興が冷めるから、選ばなかった時はすげぇ貧乏になることにしよう。どうだ?」


 毬萌は考えるまでもないと言うふうに、ノータイムで答えた。

「どれも選ばないねっ!」

「なんだよ、話聞いてたか? それじゃ、お前貧乏になるんだぜ?」

「いいよー。だってさ、どのパターンを選んでも、手続きとかその後の生活とかにすっごく支障が出ちゃいそうでしょ? そしたらさ、コウちゃんと会う時間が減っちゃうじゃん!」

「いや、でも、お前、すげぇ貧乏に」

「んふふー。わたしは、別に貧乏でもいいかなっ! だって、お金なくて困ったら、いつもみたくコウちゃんが色々工夫して助けてくれるでしょ?」


「…………………」


 俺は無言で席を立ち、学食のおばちゃんの元へ駆け足。

 目当てのものを購入したらば、今度は元居た席へ再び駆け足。

 皿に細心の注意を払いながら。

「……ほれ」

「わぁーっ! プリンだーっ! えっ、なに、どうしたのー?」

「いいから食っとけ」

「ひゃっほーっ! よく分かんないけど、ありがと、コウちゃん! ぬふふー、プルプルしておるなぁー、お主! だがそれもここまで! わたしが食べてしまうからだーっ!」



 まあ、なんだ。……うん。

 とりあえず、帰りに節約術のハウツー本を買おうと思った、俺である。

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