第4話 毬萌と始球式

 入学式と始業式が終わり、ここ数日は静かなものである。

 前にも言った気がするが、まだ本年の花祭学園に置いて、学園社会を助けて正す新生徒会が正式に発足していないからだ。

 メンバーの一人は既に決まっている。

 新入生総代を務めた女子だ。

 確か名前は冴木さん。

 ただ、入学して3日や4日で生徒会の運営までしろと言うのは乱暴な話。

 そのため、彼女の招集は来週の頭と言う手筈になっているそうな。

 ぶっちゃけ、入学して1週間でもかなりハードワークだと思うのだが、その辺は本人がやる気らしいので水を差すこともあるまい。

 若いって良いね。



「ねーねー、コウちゃん。何見てるのー?」

「スポーツ新聞だよ。図書室で借りてきた」

「ふーん。面白いの?」

「まあな。プロ野球も開幕したし、贔屓の球団が勝ってるかとか、応援してる選手の昨日の成績はどうだったかとか、そういう数字を眺めてるだけでも結構楽しいぜ」

「そうなんだー」

「……興味ねぇだろ」

「にへへっ、バレちったか! だって、野球なんて簡単なんだもんっ」

 聞き捨てならない発言である。


「簡単なことあるか! プロ野球選手なんて、そりゃあもう血の滲むような努力をだな。いや、そもそも、こうやって俺たちが生徒会室でだらけてる間にも、未来のプロ野球選手は鉄の味のする青春時代を送ってんだぞ」

「でもさ、結局は野球ってホームラン打てばいいゲームだよね」

「はあ? ……まあ、確かに。ホームラン打つ事によって試合は有利になるが」

「ホームランってさ、要するにピッチャーが投げるボールの速度を目視で計って、正しい入射角に応じたスイングと、力の調整で成立するんだからさ」

 うん。ちょっと何言ってるか分からない。


「だからね、飛んでくる野球のボールの質量とスピードを計算した上で、バットの反発力を考慮すると、どのくらいの力を加えたらボールがどこまで飛ぶのか、大体頭の中で計算できるよって話だよー。もちろん、その計算を生かすために筋力は自分で高めないとだけど、プロの選手ってみんなムキムキでマッチョなんでしょ? だったらもう簡単だよねっ」

 聞き捨てても良い発言だったようである。

 一見すると、俺は今まさに一生懸命話している女子を無視すると言う悪辣な行為をしているように見えるかもしれないが、俺だって普通の女子が相手ならそんな事はしない。



「あーっ! この子知ってるー!! ピュアガールズの子だよっ! ねね、コウちゃん知ってる?」

 アホの子情報その2。

 論破できる話はすぐに飽きる。

 証明終了したら勝手に満足するんだから、放っときゃいい。

 ご覧のように、自然と次の興味へと飛んでいく。

 ホームランボールのように。


「ねぇってばー、コウちゃん、聞いてる!?」

「聞いてる、聞いてる。その、アイドルの何とかちゃんが始球式したってんだろ」

「そうだよーっ! すごいよね、えっと、ノーパ……」

「そんくらい誰でもできるだろ。毬萌だって、さっきの何たら理論で。ああ、あれは打者の話だったっけか? それなら、投手バージョンも新しく計算してくれ。女子の毬萌が理論だけでどこまで正確に投げられるのか、ちょっと興味が出たぞ」

「な、なな、何言ってんの!? コウちゃんのエッチ!!」


 えっ。待って、なんで今俺、怒られたの?


「お前こそ何言ってんだよ。そのくらい余裕だろって話じゃねぇか。何なら今ここでするか? さすがに野球ボールだとまずいけど、ほれ、そこのゴミ箱に入ってる紙くずをボールにしてさ。俺がキャッチャーやってやるから、毬萌ピッチャーな」

 おにぎり握る要領で紙くずをコネコネしていたところ、毬萌が顔を真っ赤にして口を尖らせて俺に軽蔑のまなざしを向けて叫んだ。

「こ、コウちゃんのエッチ! スケベ!! 変態っ!! み、見損なったよっ!?」


 えっ。待って、なんで今俺、そこまで失望されたの?

 さすがにそこまで罵られるような発言をした記憶がない。

 一応確認するけど、神様聞いて。

 俺はエッチでスケベで変態な事をしでかしたかい?

 もしもイエスと答えるのならば、あんたの性癖も相当歪んでるぜ? ヘイ、ゴッド。


 普通にスポーツ新聞読みながら女子と会話するのが禁止されるのなら、まず俺の前に降臨して何がどうなったらエッチでスケベなのかを明瞭に述べるべきだろう。

 その後は、なんか気持ち悪いから、もうあんたはその歪んだ性癖と一緒に空の上へ帰って結構だぜ、ヘイ、ゴッド。


 頭の上にハテナのアイコン出して首を傾げる俺を見て、毬萌は心底出来の悪い生徒を見たように、あるいは懲りずに0点の答案持って帰ってきたのび太を見たママように、深いため息を吐いた。

 なんたる侮辱か。

 学年二位の学力を持つ俺が答えられない問題となれば、もうそれは出題者の方に問題があるのではないか。


「男の子って、ホントにエッチだよっ! わたし、コウちゃんの事だけは信じてたのにっ! 別にエッチな事に興味を持っちゃダメっ、なんて言わないよ? でもさ、こんな可愛い幼馴染に、そんなこと普通させないよね!? 絶望だよ、コウちゃん! 絶望したっ!!」


 俺だってお前のイカした幼馴染じゃねぇの?

 嫌疑は未だに不明だけど、お前も勝手に大切な幼馴染に絶望してねぇか?

 えっ、絶望するほど俺、変態なの?

「だから結局なんだってんだよ! 俺ぁ、そこに書いてある始球式の真似事でもしてみねぇかって誘っただけだろう? そんなに嫌だったか?」

 毬萌は「もはや議論の余地なし」と判断したらしく、そののち大きく息を吸い込んで、叫んだ。

 俺は生徒会室の高い防音効果を誇る壁に向かって、深い感謝を送った。一礼も忘れずに。



「パッ、パンツ履かないでボールなんて、投げられるワケないでしょっ!!」



 ——あー。はいはい、なるほど。全部分かった。もう、全部分かった。



「毬萌、よく見ろ」

「そんな文字をマジマジと見せないで!」

「じゃあ読んでやる」

「そんな文字を嬉々として読まないで!」

 彼女の懇願を無視して、俺は言う。

「ノーバン始球式だ。ノーバウンド。ノーパンじゃねぇ」

「……ふぇっ!?」


 アイドルの名前に『ノーバン』と被せて、おっさんの助平心をくすぐるスポーツ新聞の常套手段である。

 そんなものに引っ掛かる女子高生なんているのだろうか。

 目の前に一人いるが。

 願わくば、これ以上のアホの子が世に存在しませんように。

「あ、あはははっ! よくぞ見抜いたね、コウちゃんっ! わ、わたしは、最初から気付いていて、敢えて君を試したのだよ! ふ、ふははっ、大したものだよ、ふははは……」

 この赤面顔は、俺の頭の中にある秘匿フォルダにでも格納しておこう。



「よーし、いっくよー!!」

「はいよ。いつでも良いぞ」

「てりゃあっ!!」

「べっしゃあぁ」


 その後、気を取り直した毬萌のよく分からん謎理論は実際に検証され、豪速球が俺の顔面をとらえた。

 俺は、硬球じゃなくて良かったと安堵しながら、「結局お前の身体能力がチートなんじゃねぇの?」と嫌疑を抱いたが、面倒なことになりそうなので黙っておいた。

 何故ならば、毬萌がボール遊びをする柴犬みたく嬉しそうな様子で、転がった紙ボールを拾いに行ったからである。

 こうなれば、俺も次は完璧にキャッチして男の意地を見せたい所存。



 追伸。

 ……無理でした。

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