第3話 毬萌と公平

 入学式はつつがなく終わり、俺もやっと講壇の中から解放された。

 特に印象に残ったのは、新入生総代を務めた冴木花梨さえきかりんさんの堂々としたスピーチと、それを聞いてえびす顔になっていた学園長が講壇の中の俺に気付いて戦慄した瞬間の表情である。

 そして俺は水分を補給し、入念なストレッチで強張りきった体をほぐす。

 ここで断っておきたいのは、講壇の中は本来人が長時間入るものではないと言う事である。


 俺がふくらはぎにストレッチパワーを溜めていると、クラスメイトが通りかかった。

「よう、桐島。何してんだ」

「おう。茂木と高橋。見ての通り、始業式の準備だよ」

「なんで始業式の準備でストレッチしてんだよ」

 この常識的な切り返しをしてくるのが茂木。

 好きな食べ物はナポリタン。


「いいよなー。あの神野さんと同じ生徒会とか。ヒュー、羨ましいねぇ!」

 この失敗した洋画の吹き替えみたいな喋り方をするのが高橋。

 好きな食べ物は当然ハンバーガー。


「しかし、桐島よ。あんなに優等生な女子と一緒にいると緊張しないか? 確か幼馴染だったろ? しかも、物心ついた時からの。オレだったら学園一の天才と毎日はキツイな」

「ああ……。まあな、緊張感と言うか、緊迫感と言うか。確かに思うところはあるよ」

 主に毬萌がアホの子モードになってる時なんかは、緊張でお腹痛くなる。


「でもよぉ、お前! あの天使のような笑顔が毎日見れるんだぜ!? ヒュー、神様はとんだえこひいきするもんだぜぇ。相手がエンジェルだからって二物も三物も彼女に与えちまってよぉ! ヒュー!」

「そうか、お前にはそう見えるのか」


 確かに、天才的思考とアホの子的思考を同居人にさせた神にはいつかお茶でもしながらその経緯についてぜひ聞きたい。

 あと高橋、そのヒューっての定期的に言わないと死ぬの?

 それから少し談笑したのち、彼らは去って行った。

 ならば俺は、再びストレッチを開始する。

 当然ポカリスエットも忘れない。



「では、生徒会長」

「はいっ!」

 教頭先生に促されて、毬萌が壇上へ上がる。


「皆さん、明けましておめでとうございます! ……って、これじゃお正月ですね、にへへ、ごめんなさい!」

「わはははっ」「いいぞー、生徒会長!」「可愛いー! 頑張ってー」


 現在、始業式の真っ最中である。

 午前の入学式に午後の始業式と、両方のスピーチを行わされる生徒会長は多忙である。


 それにしても、毬萌のヤツ、まずは軽いギャグで永遠に続くかと思われた学園長の話によって閉ざされていた全生徒の心を掴むとは、相変わらずの人心掌握能力。

 この人気っぷりには学園長もさぞ気を悪くしているかと思えば、またしてもえびす顔。

 あんた、可愛い女子が喋ってるといつもそんな顔だな。


「と言う感じで、今年度も元気に頑張りましょう! ええっと、続いては……」

「留学生の紹介だ」

「あっ、そだそだ。ありがと、コウちゃん」

 毬萌の高いカリスマ性は俺も認めるところだが、それでも危なっかしいところはある。

 そんな場面をサポートするのが副会長である俺の務め。


 そのためならば、場所や手段は選ばない。

 それが俺の流儀。

 そうとも、俺はまたもや講壇の中に潜伏中である。

 毬萌も凄いが、俺の事だって褒めてくれても良いと思う。

 だって、これだけの時間講壇の中に潜んでいて、誰にも気付かれないって凄くない? 


 あっ、学園長と目が合った。

 2度目なんだから、心臓に冷水かけられたみたいな顔はヤメてくれ。

 俺だって好きでこんなとこに居る訳じゃない。


「はいっ、アメリカのシアトルから来てくれた、ジュリア・ウィーさんでした! 皆さん、拍手ですよー!! そして、もう一人、イギリスからの留学生、セッ、ええと、セック」

「ちょ、まぁああぁぁぁっ!!」

「うひゃあっ!」


 毬萌が紹介しようとしたのは『セッスク・アドバーグ君』である。

 そして今、噛んで何を言おうとしたのか。

 敢えて言わないが、カリスマ生徒会長が吐いていい言葉ではない。

 朝からずっと優等生モードが続いていたので、アホの子の片鱗を覗かせるならこのセッスク君の辺りだと当たりを付けておいたのだが、やはりだったか。

 咄嗟に毬萌の太ももを引っ叩いて制止した俺のファインプレーを知る者は神様だけである。


「おい! セッのあとはスだ! 間違ってもクじゃないぞ!!」

「あっ、そっか。にはは、ごめんねー。助かっちゃった」

「いいから続けろ。セッスク君が名前呼ばれそうになって寸止め喰らって、そら見ろ、もうホームシックにかかったみてぇな表情になってる」

「うんっ!」

 毬萌は一つ咳ばらいをして、軌道を修正した。


「こちらはイギリスから来てくれた、セッスク・アドバーグ君です! イギリスのご飯はイマイチなんて言いますが、わたしは好きですよ! でもでも、うちの学食の味も絶品なので、ぜひ故郷の味と食べ比べてみて下さいっ! 皆さん、二人と仲良くしてあげて下さいねっ!」


 相変わらず、リカバリーは完璧である。

 そうして始業式もどうにか乗り切り、新しいクラスへ向かう。

 当然のように毬萌と同じクラスだったのは、もはや神の意地の悪い意志を感じる。

 わざとだろ? ヘイ、ゴッド。



 放課後。

 生徒会室のソファに倒れ込むのは俺。

 クタクタである。

 誤って乾燥機にぶち込まれたジャージくらいクタクタである。

 それでも——


「今日もごめんね、コウちゃん。でも、すっごく助かっちゃった。ありがとっ!」

「別にお前のためじゃねぇし。俺ぁ自分の仕事しただけだよ」

「でも、わたしはとっても嬉しかったから、やっぱりありがとだよっ! にへへっ」

 この笑顔を見ると、疲労感の数十パーセントは償却されてしまうのだから、俺と言う人間の底も浅い。


「おー。腰が痛ぇ」

「うぅっ、わたしのために、ゴメンね? そだ、チューしてあげよっか?」

「はあぁっ!? ——おごっ」

 ただ、ずっと体を曲げ続けていたダメージまでは償却されない。

 毬萌が素っ頓狂な事を言うものだから、俺は腰をいわせた。

「にへへー。コウちゃん、顔が真っ赤! 冗談に決まってるでしょー。あっははー」

「……くっ」



 誰か、そこの棚に置いてあるバンテリン取ってくれる?

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